こんにちは。22期生の塩谷です。
最近、羽生結弦選手が記者会見を行い、プロスケーターへの転向を発表しました。
本当に長い間ご苦労様でした。今でこそ、羽生さんに限らず、高橋大輔選手や浅田真央さん、それ以外にもここでは書けないくらい沢山のトップアスリートがいて、日本のフィギュアスケートが本当に強くなったと感じます。
私の選手だった30年前はちょうど様々なスター選手が排出され始めた頃です。私の一つ下に伊藤みどりさんがいて、3つ下に鍵山正和さん(北京オリンピックで2位になった鍵山優真さんのお父さん)、4つ下に1994年の世界選手権で優勝した佐藤有香さん、テレビにも出演している八木沼純子さんというスター選手がいた時代です。今のようにオリンピックや世界選手権でメダルを取れるだろうと盛り上がる状況ではありませんでしたが、世界で活躍できる選手が徐々に出てきた時代でした。
口が裂けても上手いとは言えない私は、社会人になってその世界との関係を持たなくなり、このような形で話すこともありませんでした。小学校に入る前から始め大学卒業までやっていたスポーツでありながら、ワイワイガヤガヤが好きだった私は、個人のスポーツを心から楽しめていなかったからだと思います。
社会人になってスケートに助けてもらったことといえば、合コンに行った時の話題に困らなかったこと、初めて会った人でも話すと覚えてもらえたこと、あと荒川静香さんがトリノオリンピックで優勝した時に法人の役員から実況解説して欲しいと言われ仲良くなったことぐらいでしょうか。中途半端な芸だと芸に助けてもらうことは、多くないということかもしれません。
でも、最近、少し違う感情が芽生えてきました。それは第1回の山﨑塾長の講義で自身のこれまでを振り返った時のことです。準備期間が長すぎて忘れてしまっていましたが、私は団体技ではなく、個人技的な世界にもう一度身を置いてみたいのではないか。誰かがやってくれるのではなく自分で何とかしなければならないという、厳しい世界で自分を磨いてみたいのではないかということです。そして、この感覚は幼い頃からずっとその世界に身を置いてきたから、このように考えるようになったのではないかという感情です。
企業人で面白く、やりがいを感じたのは、1人では出来ない大きな仕事、或いは難しい仕事をみんなでチャレンジし、達成できた時。そして、お客さまに喜んでいただけた時でした。中小企業診断士という一見一人でする仕事のようにも見えますが、個を磨きあった仲間と共に誰かの力になれることがあったら素晴らしいことだと思います。直接的には“芸が身を助ける”という話にはなりませんでしたが、“昔取った杵柄”で自分の得意技を磨いていきたいです。
この話も最後になりますが、スケートをしていた時、上手くなくても一生懸命やっていると応援してくれる人がいて、その応援にとても助けていただいた記憶があります。診断士になった最近もそれに近い感覚があり、人への感謝を強く感じます。それにしてもこの感情が1年後どう変化しているか、どんな1年になるか自分でも分かりませんが、これからも、いたらぬ点はビシビシしごいていただけると嬉しいです。長文となりましたが、本日もお読みいただきありがとうございました。
最近、羽生結弦選手が記者会見を行い、プロスケーターへの転向を発表しました。
本当に長い間ご苦労様でした。今でこそ、羽生さんに限らず、高橋大輔選手や浅田真央さん、それ以外にもここでは書けないくらい沢山のトップアスリートがいて、日本のフィギュアスケートが本当に強くなったと感じます。
私の選手だった30年前はちょうど様々なスター選手が排出され始めた頃です。私の一つ下に伊藤みどりさんがいて、3つ下に鍵山正和さん(北京オリンピックで2位になった鍵山優真さんのお父さん)、4つ下に1994年の世界選手権で優勝した佐藤有香さん、テレビにも出演している八木沼純子さんというスター選手がいた時代です。今のようにオリンピックや世界選手権でメダルを取れるだろうと盛り上がる状況ではありませんでしたが、世界で活躍できる選手が徐々に出てきた時代でした。
口が裂けても上手いとは言えない私は、社会人になってその世界との関係を持たなくなり、このような形で話すこともありませんでした。小学校に入る前から始め大学卒業までやっていたスポーツでありながら、ワイワイガヤガヤが好きだった私は、個人のスポーツを心から楽しめていなかったからだと思います。
社会人になってスケートに助けてもらったことといえば、合コンに行った時の話題に困らなかったこと、初めて会った人でも話すと覚えてもらえたこと、あと荒川静香さんがトリノオリンピックで優勝した時に法人の役員から実況解説して欲しいと言われ仲良くなったことぐらいでしょうか。中途半端な芸だと芸に助けてもらうことは、多くないということかもしれません。
でも、最近、少し違う感情が芽生えてきました。それは第1回の山﨑塾長の講義で自身のこれまでを振り返った時のことです。準備期間が長すぎて忘れてしまっていましたが、私は団体技ではなく、個人技的な世界にもう一度身を置いてみたいのではないか。誰かがやってくれるのではなく自分で何とかしなければならないという、厳しい世界で自分を磨いてみたいのではないかということです。そして、この感覚は幼い頃からずっとその世界に身を置いてきたから、このように考えるようになったのではないかという感情です。
企業人で面白く、やりがいを感じたのは、1人では出来ない大きな仕事、或いは難しい仕事をみんなでチャレンジし、達成できた時。そして、お客さまに喜んでいただけた時でした。中小企業診断士という一見一人でする仕事のようにも見えますが、個を磨きあった仲間と共に誰かの力になれることがあったら素晴らしいことだと思います。直接的には“芸が身を助ける”という話にはなりませんでしたが、“昔取った杵柄”で自分の得意技を磨いていきたいです。
この話も最後になりますが、スケートをしていた時、上手くなくても一生懸命やっていると応援してくれる人がいて、その応援にとても助けていただいた記憶があります。診断士になった最近もそれに近い感覚があり、人への感謝を強く感じます。それにしてもこの感情が1年後どう変化しているか、どんな1年になるか自分でも分かりませんが、これからも、いたらぬ点はビシビシしごいていただけると嬉しいです。長文となりましたが、本日もお読みいただきありがとうございました。