24期生の小山と申します。
中央支部国際部でお世話になった山﨑塾長にご紹介頂き、この度入塾させて頂くことになりました。
私は当面の間、企業内診断士を続けるつもりであり、プロコン塾は検討してなかったのですが、せっかく頂いたご縁は大切にしてみようと入塾の門を叩いた次第です。皆様のお話を謙虚に聞きながら、今後1年間の活動を通じて自分の方向性を見定めながら、成長していきたいと思っております。
今回は、稼プロ生として初投稿となりますので、自身の経歴を振り返りつつ自己紹介をさせて頂きたいと思います。
1.所縁ある土地
①出生地:高知県高知市
→母親が高知の山奥、香美市物部村出身で、里帰り出産で高知市に生まれました。社会人になるまで、夏休みは毎年母の故郷の物部村に滞在していました。物部村は、平家の落ち武者伝説が残る自然豊かな素晴らしい場所であり、私の心の故郷となっています。
②出身地:千葉県印西市
→データセンター進出ラッシュで沸いている千葉ニュータウンです。両親が住んでいます。街が人工的であったり、実際に住んでいたのは10年足らずなので故郷としての意識は薄かったのですが、ここ数年、千葉ニュータウンの空の広さを求めての帰省が増えています。
③居住地:神奈川県川崎市
→タワマン林立し、大型SCもある至便の街です。交通の便は最強です。(但し、人口密度が高く、少々息苦しさも感じます。。。)
2.学生時代の経験
以下がキーワードとなります。
①教養学部
→学生時代は、幅広く勉強させてもらい、特に科学哲学、宗教学にハマりました。ともすれば、実学ばかりを求められる世の中ですが、私自身は古典も大切にしつつ幅広い教養を身に付けていきたいと思っております。最近はメソポタミア文学『ギルガメッシュ叙事詩』にハマっています。4000年以上も昔の世界最古の物語で、旧約聖書、ギリシャ神話始め、世界の神話/物語の原型がここにあります。不条理性だらけで、人生について色々考えさせられます。
②中国留学
→大学4年の折に1年間休学し、南京大学に留学、寮生活の中で、中国人学生/各国の留学生と濃密な時間を過ごしました。1998年当時の江沢民政権は対日強硬姿勢で、中国人学生や留学生と激論を交わすこともありましたが、その当時の友人とは今も繋がっています。中国語は仕事で使う機会が減っていますが、漢詩や中国の歌(王菲)を中国語で理解できることに感謝しています。
③コミュニケーション論
→専攻はコミュニケーション論です。卒論は『(某国)マスメディアにおける、プロパガンダキャンペーン発生の構造』。中国留学時代の経験から、マスメディアの報道は一歩退いて受け止めることを意識しています。情報源の信ぴょう性、報道するメディアのスタンスや利害関係を見定めつつ、物事を多面的にみる姿勢を常に持っておきたいと思っています。
④テニス
→学生時代から人生の半分近くの時間をテニスに費やしています。思うようには上達しませんでしたが、体力と根性はそれらなりに身に付きました。テニスされる方、ぜひお声がけください。
3.社会人としての経験
2000年に某商社に入社して以来、中国からの様々な食材の輸入、ウクライナ、ロシアへの自動車の輸出、インド・インドネシアへの工場設備の輸出や、欧州からの自動車部品の輸入等、幅広く経験させて頂きました。自動車メーカーに転職してまた商社に出戻ったり、フィリピンで事業会社経営に携わったり、経営企画部や営業企画で事業投資を担当したり、色んなことをやらせて貰いました。会社人生も後半戦となりましたが、海外事業会社への出向経験を更に積んで、「国際」✖「事業会社経営者」という軸を持って、生涯仕事を続けていきたいと思っています。
4.キャリアビジョン/キャリアアンカー
稼プロ!第1回の講義のテーマは「キャリアビジョン」でした。その際、「キャリアアンカー」(能力・動機・価値観の自己イメージ)を質問に答える形で自己採点したのですが、私は「奉仕・社会貢献」のスコアが最も高く意外に感じました。しかし、今改めて自分の出生/経歴を振り返ると合点がいくように思います。どんな形にせよ、私は、日本の国益を守るために、一民間人として世界各国との懸け橋の役割を続けたいと思いますし、診断士の資格を活かし、いつか心の故郷である高知の山奥の活性化に貢献したいと思う次第です。
今後1年間、どうぞよろしくお願い致します!
小山俊一(24期生)