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名言の数々

2024-07-25 12:00:00 | 24期のブログリレー

皆様、こんにちは。24期生の松田博司です。

私はこれまで人生の節目節目に数々の名言に支えられてきました。初ブログではこれまでの人生を振り返って、その一端を紹介しながら、自己紹介と決意に代えさせていただきます。

「人生は死ぬまで挑戦」

まず20代。学生時代の恩人に海外渡航の挨拶に行った際、贈られた言葉は、ロッキー青木の「人生は死ぬまで挑戦」でした。当時、海外志向の強かった私は、サラリーマン生活から一転、オーストラリアを目指しました。初めての海外でした。

インドレストランでの皿洗いに始まり、最終的に北東部の無人島で真珠の養殖の仕事にありつけました。司馬遼太郎の小説でも知られる「木曜島」からさらに小型船舶で3時間程(時化た時は4~5時間)離れた無人島での仕事でした。西海岸にも真珠養殖場があり、船上で何日も過ごすこともありました。しかし、やがてオ-ストラリア人のボスと苛酷な労務環境をめぐり対立。今思えば働き方やカルチャーの違いによる衝突でした。時間をかけて丹精込めて真珠をつくりたい日本人の職人気質。一方、しんどい仕事は一気呵成に片付けて、本土へ戻り家族や友人と楽しく過ごしたいオーストラリア人の生活中心主義…。

「人間万事塞翁が馬」

当時、下っ端の私は真っ先にクビ。オーストラリアでの様々な夢を見果てぬまま、みじめな思いで帰国。その時、失意の底にいた私を勇気づけた名言のひとつが、中国、前漢時代の哲学者淮南子の「人間万事塞翁が馬」でした。プロレスラーのようなオーストラリア人のボスとケンカした自分を責めても覆水盆に返らず。「♪私バカよね~おバカさんよね~♪」と自分を慰めても責めても現実は変わりません。変えられるのは未来だけ。こんなあんぽんたんの自分なんてと思う一方で、だからこそ自分のことはもうどうでもいいけどせめて人様のお役に立てるような自分になりたい、そんな使命感のようなもの芽生えそれだけが救いでした。やがて、進路を180度転換し、難関の会計士を目指すことにしました。合格後、会計監査、業務プロセス改善コンサル兼ERP導入支援、中国への赴任と挑戦を続け、キャリアを重ねました。そして中国勤務10年を迎えようとしていた折、無性に私を駆り立てたのが、眠れる巨象、インドでした。

「Stay hungry, stay foolish」

中国で勤め続ければ、安定収入とそれなりのポストを得られたかもしれません。しかし、正直なところ、「カンペ―」攻撃の毎日にいつしか焦りと虚しさを覚えるようになりました。中国を一度リセットしようか、もっと大変そうなインドで自分を試してみたい…。そんな時、迷いを断ち切ってくれたのが、友人から贈られた、スティーブ・ジョブズの名言「Stay hungry, stay foolish(和訳はニュアンスが少し異なるので原語のまま)」でした。インドでは初っ端から思い通りにいかないことばかり。しかし、10年の中国駐在で免疫がついたのか、幸いお腹をこわすことはありませんでした。怖かったのは、深夜残業後に帰宅する途中、おそいかかろうとする野良犬位。それにしてもインド人と働くのは本当に疲れるものでした。日本なら、中国なら、と腹立たしいことばかり。インド人をいくら叱っても、翌日にはニコニコ首を振りながら(いいね!問題なし!の意味)の天然ぶり。生活面でも出勤前にエネルギーの大半を使い果たすような格闘の連続でした。けたたましくあっちこっちから突っ込んでくるリキシャ―、隙を伺って部屋に入ってこようとするサル、待ちぼうけの連続…。まさに「Stay hungry, stay foolish」にインドと向き合い、自分の選択した、信じる道を懸命にひた走る日々でした。気が付くと、インドでも10年超のキャリアを積んでいました。そんな矢先、勤務先の会社が米国の会社に完全買収されました。ある日突然、「事務所を閉鎖するから」と、2か月内の帰国を命じられました。もうしばらく続くと思っていたインド探求の人生はあっけなく幕を閉じました。

「明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるかのように学べ」

帰国したものの、20年以上、海外に駐在していた私にはどうも日本のサラリーマン生活におさまるイメージがわきませんでした。先の見通しも立たないまま、帰国即退職。あわてて転職活動する気にもなれなかった私の興味を引いたのが、中小企業診断士でした。受験勉強を始めると、範囲が広く、奥が深いこと。50代後半の初老ながら、専門学校で試験勉強に専念する日々が始まりました。「今更何やってんだ」と卑屈になりそうな自分を奮起させてくれたのが、ガンジーの「明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるかのように学べ」でした。会計士なので、幸い科目免除で、5科目受験ということもあり、1次試験は約4か月で突破しました。が、2次試験は全く歯がたちませんでした。その時、チラシで養成課程ルートがあることを知り、たまたま受かった東京の養成課程で、働きながら学ぶ生活が始まりました。本年5月に晴れて診断士登録することができました。

「一日一生」

これからは、これまでのキャリアと資格のポテンシャルを最大限引き出していければと思っています。座右の銘のひとつにしているのが、インドでお世話になった恩人がよく言われていた内村鑑三の「一日一生」。約37年前、海外に飛び出した頃、日本はジャパン・アズ・ナンバーワンと言われていました。ところが、今や、日本経済の活力基盤である中小企業の倒産が未曾有の増加傾向にあります。これからは、日本の中小企業の「一生」を「一日」でも長くしっかりご支援できる自分でありたいと決意しています。そのため、自ら「一日一生」の思いで、稼プロの皆様との出会いに感謝しつつ、一瞬一瞬を大切に生きてまいりたいと思います。それが、日本再生につながることを信じて。そして世界でひとつの花を咲かせることになることを信じて。来年卒塾するまでで、これからも多くの名言を心に刻んでまいりたいと思っています。

コメント (18)
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