「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

【お知らせ】『知ってる?こんな国』第二弾:メキシコ編

2008-03-31 11:37:09 | 文化振興、異文化交流
明日4/1は、クリニック隣りのみんなの子育て広場“あるなろの木”で勉強会『知ってる?こんな国』が開催されます。

第一回インドネシアに続き、今回は、メキシコ編です。


地域の方で、関心のある方でしたらどなたでも参加可能です。中高生でも十分理解可能かと思います。

ぜひ、参加されてはいかがでしょうか?

国際化、グローバリゼーションと言われますが、世界の国々、その文化、人を知るところから始まると私は、思っています。

****以下、あすなろの木のお知らせより****
☆知ってる?こんな国☆

毎月JICAの方をお呼びして海外での体験談をお話していただきます。 その国での貴重な体験を通して各国の文化・情勢などわかりやすく説明。 第2回目の国は、メキシコ。『本当の豊かさ』とは? 日本と違うところがいっぱい。講師は、メキシコで生活をした先生です。

講 師: 田辺 光宏 氏(元NHKアナウンサー、国際協力機構会員)

日 程: 4月 1日 (火)

時 間: PM7:00-8:30

参加費 :無料

場所:みんなの子育て広場“あすなろの木”
(中央区月島3-10-4 イイジマビル1階)

*次回予定、5月中旬 石村真平氏 インドネシア PARTⅡ

以上。
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台湾、中華民国、Republic of China

2008-03-29 12:00:00 | 文化振興、異文化交流
 昨日3/28、台湾の外交官らとの懇親会に友達の議員の紹介で、参加させていただいた。目黒駅近くの台湾家郷料理店にてその会合はあった。

 台湾の方々は、『駐日台北経済文化代表事務所』いわゆる大使館の次席や書記官クラスの方々や、国立大学の学長が来られていた。一地方議員では、不釣合いであったかも知れないが、大いに歓待してくださった。

 円卓を囲みながら、会話に花咲かせた。私なりに得た情報を書く。(聞き間違いなどがある場合、今後訂正していきます。)

 台湾は、日本の新幹線を、はじめて海外に輸出できた国。日本より速いスピード時速300kmで走っているらしい。
 日本の新幹線が選ばれたひとつの理由には、地震の多い国で走る新幹線が、地震国台湾でも、適しているという考えがあってのことらしい。

 台湾の一つの大きな問題は、当然ではあるが、国と認められていないことに派生。それにより、国連にも加盟できない。ということは、世界保健機構(WHO)にも加盟できない。SARSや新型インフルエンザなど世界的流行の感染症対策に対して、情報不足など医療行政に立ち遅れがある。医療技術自体は、高いものを台湾はもっている。
 同様に、世界の航空機関連の団体(ICAO?)にも加盟できていない。飛行場の作りなども世界的な基準があるが、それら情報が入らない。管制塔の高さが世界基準にあっていないことが、航空機事故につながったことがかつてあった。

 今回の総統選挙では、野党が勝った。与党民進党の経済政策の失策への国民不満が、そういう結果に結びついたと、分析していた。
 誤解を恐れず、大枠を概要で述べると、
 民進党(与党)は、対中関係では「独立」を目指し、「親日」。
 国民党(野党)は、対中関係では「融合」であり、「日本にやや疎遠」。

 言語は、北京語の中国語が通じる。
 但し、みん南系(福建省由来)は、台湾語。客家(はっか)系(広東省由来)は、客家語。

 人口は、2300万人。本省人が80%、外省人が20%。1%が原住民(高砂族)。
 台湾人はかつて、アメリカに目を向けていたが、最近の動向として、一番親しみを持つ国は、アメリカを抜いて、日本らしい。

 軍事は、徴兵制。今後は、日本の自衛隊のように募集に切り替えることも検討。20歳を過ぎると、男性はだれもが2年間徴兵される。大学や、大学院では、入隊時期をずらすこともありうる。
 中国の軍事力が強まり、2010年には、台湾海峡の制空権、制海権は、中国側のものになる可能性がある。
 高速道路は、6車線程あり、有事の際のジェット機の発着場にすることができる。

 政治は、清を倒した孫文が、中国国民党を率い、1912年中華民国を建国、首都南京。第二次世界大戦の状況下、毛沢東は、中国人民解放軍を率い、北京に中華人民共和国を建国。中国人民解放軍に押され、蒋介石率いる国民党軍が、その後台北に首都機能を遷都。かつては、「大陸反抗」の機運があったが、現在では、その機運は落ちてきている。

政治・歴史は、特ににわか知識ではかけないため、ウィキぺディアを、引用。
***以下、引用***
 中華民国の公式な首都は、南京(ナンキン)とされている。中華民国憲法に基づいた正式な中華民国政府が1948年に発足した際、中華民国の公式な首都は名実ともに南京であった。だが、当時激しさを増していた国共内戦において国民党軍はソビエト連邦の全面的な支援を得た中国人民解放軍(中共軍)に相次いで敗北し、1949年4月には首都・南京を人民軍に奪われるまでになった。そのために中華民国政府は首都を移す必要に迫られ、広州、重慶、成都を経て1949年12月7日に台北に首都を移した。

 首都移転当初、中華民国政府は「全中国を代表する国家」という立場から首都の台北移転を一時的なものとしており、「大陸反攻」(武力による大陸部の奪還)後に再び首都を南京に戻すつもりであった。そのために、公式的な首都所在地は南京のままとされ、台北は臨時首都という扱いとなった。だが、中華民国政府の見解とは裏腹に、冷戦という第二次世界大戦後の新たな国際環境が整ったことで「大陸反攻」の実行が絶望的な状況となった他、1971年に冷戦下の微妙な国際政治バランスのもと行われた、いわゆる中国代表権問題によって国際連合を脱退せざるを得なくなった後には、中華人民共和国を「全中国を代表する国家」として承認する国が増加し、中華民国は国際的に孤立するという事態に追い込まれることとなった。

 しかし、中華民国政府は自らが「全中国を代表する国家」という立場を今日まで固持し続けており、そのために事実上の首都である台北の扱いも臨時首都のままとなっている。
***引用終わり***

 アジアには、多種多様の国があり、人がいて、文化がある。
 台湾、行った事ないが、是非、訪れたい。交流も大切にしていくべき地域である。
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