私が、なぜ、小児科医でありながら、
立候補するのか。
多くの方が、まず、考えられると思います。
中央区医師会の先生方にも立候補することを、
相談いたしました。
尊敬する先輩の先生からは、
「時期がまだはやい。
今は、明日の患者より今日の患者に専念する時である。
地域でもっと臨床一筋で評判がでるまでは、
私は支持しない。」
というコメントをいただきました。
私が考える小児科医のすべきこと。
病気をなおすことは、当然、
第一の役目ではあります。
ただ、「病気ではない」ということと
「健康である」ということは
異なります。
私は、今日の患者さん、今日の子ども達を
「健康にしたい」のです。
「心も体も健やかに育つ」のを支えたいのです。
そのためには、
「家庭」そのものが健康に、ならなくてはなりません。
そして、地域もまた。
子どもが「心も体も健やかに育つ」には、
「家庭」そのものが健康に、ならなくてはなりません。
そして、地域もまた、「家庭」を温かく
見守らなくてはなりません。
地域とは、主として
①学校
②行政、企業、自治会・町会などの組織
③医療・福祉機関など
これら3つでつくられた、
トライアングルの中心に
「家庭」があるのです。
この家庭や地域を変えていくことで、
子ども達はもっともっと、健康になると
思うのです。
どのように変えるかのアイデアは、
マニフェストに書きました。
(ホームページをご参照下さい。
http://e-kosaka.jp/)
そして、今、たくさんの方から、
変えてほしいこと、変えていくべきことの、
声が届いています。
小児科の外来での声、
病児・病後児保育の利用者の声、
子育て広場“あすなろの木”の利用者の声、
この声を、
責任もって行政・区政に届けたいのです。
区議会には、
私が尊敬する区議もいます。
その人に頼んでもよいのですが、
それでは、間接的です。
声をじかにうけとめた私自身が、
お母さん、お父さんから
声を聞く体験をした私本人が、
直接、責任をもって、
区に届けたいのです。
私は、無所属で立候補します。
へんなしがらみのない状態で、
お母さん、お父さんからの声を、
小児科医として受け止め、
言うべきことを区政、行政に
伝えていこうと考えるのです。
これが、
小児科医として立候補する理由です。
私の立候補は、
小児科医の仕事の延長線上にあるのです。
子ども達が、心と体が健やかに育つのを
支えると言う仕事です。
私はあくまで、小児科医なのです。
「それでも地球はまわる」じゃないけれど、
「それでも小坂は小児科医」なのです!!
小児科医に、政治が果たしてわかるのか。
「誰がやっても、政治は変わらない」という声を聞いて、
「絶対、そんなはずがない。何かできるはず。」と
私は答えます。
私は「政治を、改革できる」と信じているぐらいだから、
政治を分かっていないのかもしれません。
ただ、『政治学』を学ぶ努力は、やってまいりました。
私も皆様と同様、世の中の政治に対しての疑問を抱きつつ、
日々過ごして参りました。
私の人生の出会いが、単に問題意識を持つことから、行動へと
すすめさせたのであります。
小児科医の突然の思いつきでの立候補ではなく、
実際の立候補については、最後の最後まで、
立候補するべきか、しないでおくべきか悩み悩んで、
3月を迎えました。
早稲田大学の社会人向け講座で
4-5年前から、
国際政治学者 石井貫太郎先生の
(目白大学教授)
講座を欠かさず受講して参りました。
はじめは、“教養”のつもりでした。
“門前の小僧”として聞いているうちに、
日本の政治に大いなる疑問を
抱くようになってしまったのです。
何とかしなくては、ならないと思ったのです。
講座を聞いて、うなづいて、
知識が増えたことに喜びを感じるだけでなく、
得た知識を使いたくなったのです。
立候補という行動を実際にとる
素地をつくったのは、
まさに石井貫太郎先生なのです。
そうこうしているうちに、
2-3年前にこれもまた、
早稲田大学の社会人向け講座で、
国際政治学者 坪井善明先生
(早稲田大学教授)に出会います。
坪井先生は、講座の受講生に、
1ヶ月に一度、ゼミを開いてくださいます。
課題図書を与えられ、それに対し、
二千字で考えを述べるもので、
結構、ボリューム満点です。
このゼミの締めくくりは、
十四代の酒がある居酒屋での
懇親会です。
この懇親会で、立候補するかどうか
迷いに迷った小坂に、
やりなさいと肩をたたき、
背中を押してくださったのが、
坪井善明先生です。
政治家には、マニフェストが重要ですから、
昨年には、(平成18年1月26日、27日)
早稲田大学マニフェスト研究所主催の
『マニフェスト・スクール(地方議員研修会)』
に参加いたしました。
大学院公共経営研究科教授 北川正恭先生の
お話もお伺いし、
「マニフェストという道具が、
政治を変えていくきっかけを作る」
お話に心動かされたのを覚えています。
今回、私はマニフェストを作っています。
実際は、本当のマニフェストを書く資格があるのは、
首長であることは、重々承知の上です。
私の考え、やりたいことを書いたものに過ぎないのですが、
今後、議員をする4年間で、さらにマニフェストを
充実させていきたいと考えています。
ふつう小児科医は、政治に素人です。
人生の出会いが、政治好きの小児科医
を作ってしまいました。
これからは、
国際政治学者 石井貫太郎先生
国際政治学者 坪井善明先生
マニフェスト研究所 北川正恭先生
らの先生方から学んだことを、
実践していく所存です。
そして、専門の先生の意見を聞きつつ、
知らない部分を、知識に変えて行きます。
地域の声、
お母さんからの声、
お父さんからの声、
子どもの声を、
必ず、実現していきます。
小児科医と区議の両立は果たして可能なのか?
(当然、法律上は可能です。)
「何事もやってみなくちゃわからない。」
という考えで、私は行動してしまいます。
自分に対する説明であれば、
これだけでいいのではありますが、
他人にもこれを信じろとはいえません。
日頃、小児科外来で、
何回もお会いしている
親御さんの中には、
「こいつは、そんなことやりかねないやつだ」
という位は、
お察しつくかもしれません。
ただ、人はみためだけでは、
分からない部分もありますので、
ここに、両立が可能であるという
私なりの根拠をお示ししたいと思います。
それは、自分が今までやってきた、
『実績』を示すことだと考えます。
私の人生は、
「あれもやりたい、これもやりたい」の連続でした。
そして、なんとかやってきました。
私に実力があったわけではなく、
支えてくださった人のおかげであり、
感謝してもしきれないです。
私には、
物事を可能にする出会いがあって
幸運だとつくづく思うのです。
以下、
小児科医と区議の両立が
可能であるということの
私の根拠とするために、
私の過去を書きます。
人の過去の話なんて、たいくつになるでしょうから、
関心のある方のみ、読み進めてください。
***********************
小学校6年生
生徒会副会長。
この時、政治に目覚めたのでしょうか。
小学校、中学校、高校の12年間皆勤。
私の自信のもとは、ここにあると思っています。
小児科外来に来る小学生の
皆勤にこだわるのは、私自身の体験からです。
皆勤には、運も必要で、
できない子もいます。
ただ、まずは、みんなに是非すすめたいことなのです。
高校時代、
とくに高3のときは、
智弁学園和歌山高校の生徒会長、
ひとつ下の副会長、書記にたすけられました。
智弁学園和歌山高校応援団の副団長、
弱小智弁でも、応援は負けなかったと思います。
文化祭での文集『好きやねん智弁』編集長、
そして、大学受験。なんとか、
現役での広島大学理学部合格を
勝ち取りました。
医学部に行きたい気持ちを持っていたため、
妥協しての合格でしたが、
その時は、私は学校の先生になろうと、
自分を説得していました。
実は、今でも学校の先生には、
あこがれています。
理学部大学一年生
ミュージカル『コーラスライン』を自主公演。
マーク役を演じる。
理学部大学二年生
広島大学が誇る新入生全体の一万人規模の
新入生歓迎オリエンテーションキャンプの
グループリーダー。
大学祭では、
ディスコを企画する運営委員長に。
その頃珍しいレーザー光線も導入。
お分かりのように、勉強そっちのけの、
遊びの企画が多い日々。
遊ぶ日々の中で、
妥協していた自分に再度気付き、
退学し、医学部再受験することになります。
高校時代の親友のお母さんに
叱られたのが、最後の引き金でしょうか。
大学行きながらの仮面浪人で失敗。
一度、広島大学理学部に退学届けを出しました。
あともどりできないなか、
一年間浪人生活を送り、
広島大学医学部に合格。
医学部の大学時代、
医学部の三年生は、大変きつい。
この時、属していたクラブが、本学の
ESS(English Speaking Society)という英語クラブで、
そのDebete Section(英語討論部門)の主将でした。
医学部では、生理学、生化学、解剖学と解剖実習、
覚えることが山ほどあって、
一度の試験では受からずに、再試験。
一年分の試験範囲の再試験を
一週間に5科目重なって、
絶体絶命でした。
もつべきものは、友。
友達から得た質の高い
過去の出題問題回答集の助けもあり、
無事、進級。
医学部4年生の時、
大学病院のある霞キャンパスの
大学祭実行委員長。
医学部5年生の時、
医学部自治会長。
医学部6年生のとき、
卒業式の次の日に結婚式。
と、医師国家試験合格と
聖路加国際病院研修医採用試験に合格。
(テストのできは、非常に悪かったと思いますが、
面接で採用していただいた感あり。)
東京女子医大時代、
臨床医をしながら、
遺伝子解析の手法を用いて、
ある染色体異常の病気の子の
血小板減少の原因究明の
論文をもとに、医学博士号取得。
属した研究室、指導して下さった松岡瑠美子先生、
ともに共同研究したパートナーに
恵まれての成果でした。
医師としての小坂を
作ってくださったことから、
その研究室を小坂は、
「松岡再生工場」と呼びます。
2001年、開業とともに、
病児保育事業も併設し、
5年無事に運営。
(2002年4月から2007年3月まで、
中央区の委託事業、
2007年4月から自主運営)
2005年、隣の古本屋が
場所を移したのをきっかけに、
なにをするかを考える前に、
借りることにし、結局、
子育て広場“あすなろの木”を
自主運営開始。
丸2年経過。
行政とのからみで言えば、
教育委員会 地域家庭教育協議会との
協働で、
「世界一受けたい授業 in 中央区」を
昨年2006年9月に開催。
子どもたちに、
その現場の第一線で活躍している人による
授業開催。
のべ100人程度の参加を得ました。
一昨年2005年も同様の企画で、
小学生に政治学の講座
「総理大臣には、どうやったらなれるの?」
を開催しました。
秋には、
中央区健康福祉祭りに2年連続参加し、
子育て講座
『お父さんといっしょ、お母さんといっしょ』を開催。
現時点での役職は、
日本子どもNPOセンター理事、
プレディ月三地域運営協議会委員、
東京青年会議所会員、
臨港消防団団員。
中央区医師会元理事(3/16に理事辞任届け提出、その後受理された)
NPOフローレンス元理事、
園医は、
ちゃいれっく月島保育園
マミーエンジェル月島保育園
グレースホーム
がんセンターどんぐり保育園
私の宝は、
現在小学校4年生の息子と、
幼稚園年長の娘。
以上が、私の過去です。
たいしたことないと言われるかもしれません。
しかし、私にとっては、与えられた環境の中、
精一杯生きたつもりです。
よい仲間にささえられながら。
楽しい人生だったと思っています。
私のクリニックが、あれもこれもできているのは、
齋藤彰事務長とスタッフのおかけです。
スタッフが、今回の立候補に理解をしめしてくれている
ことにも感謝しています。
■小坂和輝(こさか かずき)公式サイトはこちら
■わたしの詳細なプロフィールを知りたい方はこちらからどうぞ。
■わたしのマニフェスト(政策)をまとめてご覧いただけます。