「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

「善とはなにか」。絶対矛盾的自己同一を絵で表すと…

2021-03-23 08:59:44 | 西田幾多郎、哲学

 善とはなにか。

 絶対矛盾的自己同一な存在である。

 絵で表すと…


朝日新聞2021.3.25

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哲学の場の創出。長野県立大学の試み

2021-03-16 09:14:39 | 西田幾多郎、哲学

 朝、歩きながら哲学を語るこころみが報道されていました。

 長野県立大学の試みだそうです。

 たいへん、有意義な試みであると感じ、急いでメモ。


 哲学のルール:



 哲学が役立つ理由:



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ひとは、結局こうなのでは。「起ぎで食って寝る。あどなんもいらんべし。」 なら、政治の役目は?その自己実現がなされるように、なんらの邪魔が入らぬようにすること。

2021-02-06 11:10:52 | 西田幾多郎、哲学

 ひとは、結局、こうなのではと、ご高齢のかたが、本日2/6の『天声人語』で述べられています。

 「起ぎで食って寝る。あどなんもいらんべし。」

 なら、政治の役割は?

 そのひとが、その自己実現がなされるように、なんらの邪魔が入らぬようにすること。

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西田幾多郎「非常時なればなるほど、我々は一面において落ちついて深く遠く考えねばならぬと思う」コロナ禍という「非常時」だからこそ、学ぶ。学ぶとは?子育てとは?

2021-01-22 11:15:35 | 西田幾多郎、哲学

 西田幾多郎氏 1870(明治3)-1945(昭和20)、コロナ禍の今こそ、学ぶべき存在であると考えています。

 政策の支柱を与えて下さっています。

 さらには、学問、子育ての本質を語って下さっています。

 

 すなわち、

 子ども「なんで、べんきょうなんかするの?」

 西田「べんきょうは、いのちのためにします。いのちがもっともたいせつです。いのちをわすれたおべんきょうは、いりません。」

 子ども「いのちをわすれたら、どうなるの?」

 西田「そのようなおべんきょうでえた、お金、立場、体、技術、知能は、かんたんにわるいこととむすびつき、わるいよのなかになってしまいます。」

   「たとえそのやれることが小さくても、愛情にみちていれば、大きないみがあります。」

 子ども「自分にもそんな愛情の種あるかな?」

 西田「土に埋まっていてみえないかもしれないけど、きっときみの心の種がみつかるよ。」

(西田幾太郎全集 17巻 岩波書店)

**************

 親「子育てで、なにが大切なのですか?」

 西田「お互いの喜怒哀楽を、「わがこと」のように、いっしょに感じることです。

    親と子が、心では、それぞれに入れ替われるほど、お互いを「わがこと」として感じることができること、

    お互いの心を感じ合えること。

    別の言い方をすると、それは、「無私」。

    「無私」、私が全身を投げ出せるような状態、私たちが「私」をなくすことのできる状態。

    親と子が、ともに「私」が主語ではなくなる状態。」

(第四編 宗教 第五章 知と愛)


*原著『善の研究』では、読み切れず、NHKテキスト『100分de名著』の助けを借りています。

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非常時の今こそ深く遠く考える 西田幾多郎氏の哲学を通じて。

2021-01-16 10:36:00 | 西田幾多郎、哲学
 西田幾多郎氏生誕150年。

 政策を創るにあたっても哲学的な柱を一本通すことも大切と考え、この機に勉強しています。

 その学びのひとつの参考となる切り口が書かれている記事です。

******東京新聞*****************


あの人に迫る 浅見 洋 石川県西田幾多郎記念哲学館館長 非常時の今こそ深く遠く考える

  2020.11.07 インタビュ 11頁 朝刊 (全3,452字) 


 日本最初の本格的な哲学書といわれる「善の研究」を著した哲学者の西田幾多郎(一八七〇~一九四五年)が、生誕百五十年を迎えた。ふるさとの石川県かほく市にある哲学専門の博物館「同県西田幾多郎記念哲学館」は、書籍の刊行などの記念事業に取り組んでいる。西田研究を続けている浅見洋館長(69)に、私たちがいま西田哲学にふれる意義を尋ねた。 (小佐野慧太)

 西田幾多郎が生誕百五十年を迎えました。

 西田に関係する本や評論が相次いで刊行されて、書店に並んでいますね。

 西田幾多郎記念哲学館も九月に一冊の本を出しました。二〇一五年に発見された西田の直筆ノートを活字化し、岩波書店の「西田幾多郎全集」の別巻として刊行しました。西田が京都大の学生に向け、倫理学と宗教学の講義をするための下準備として書いたものです。

 ノートが見つかった経緯は。

 西田のご遺族が引っ越しをする際、自宅を整理していて見つかったそうです。ノート五十冊のほか、メモなど大量の紙資料が哲学館に寄託されました。水にぬれてページがくっつき、開くことすら難しかった。中もカビが生えていたり、インクがにじんだりして、なかなか読めません。寄託は大変うれしかった半面、「どうしたものかな」と頭を抱えました。

 出版までの道のりは。

 国内では古文書など和紙を修復する技術は高いのですが、洋紙についてはまだまだ。それでも、東日本大震災で水没した資料の修復を続けている奈良文化財研究所の協力で、ほとんどの資料を開いて見られるようになりました。哲学館を中心に内容を読み解き、五年がかりでようやく活字化できました。

 ノートからはどんなことが分かる?

 西田が「善の研究」の思想を、どう深めようとしていたかがうかがえます。

 「善の研究」は、金沢の第四高等学校の教授だった三十代の頃までの思索をまとめたものです。森の中でふと湖を目にして見とれるような、主観と客観の区別がつかない「純粋経験」という概念を軸に、独自の哲学を展開しました。

 一方で、このノートは京大に赴任したばかりの四十代前半に書かれました。その後、西田は四十七歳のときの著書「自覚に於(お)ける直観と反省」で、純粋経験を成立させる私たちの内なる働きとして「自覚」という概念を前面に打ち出しました。新発見のノートからは、西田の思想が「純粋経験」から「自覚」へと深まっていく跡をたどれます。

 具体的には?

 西田が「自覚」の概念に至るまでには、私たちの認識の在り方を合理的に解明しようとした新カント派の思想との対話がありました。「自覚に於ける直観と反省」で、「リッケルトなどの新カント学派を研究するに及んで、この派に対して何処(どこ)までも自己の立場を維持しようとした」と言っている通りです。

 しかし、今回活字化した四十歳のときのノートには、リッケルトの名前は見られず、ベルグソンをはじめ、非合理的とも言える私たちの「生」の解明を目指した「生の哲学」の哲学者の名前が数多く見られます。西田は当初、ベルグソンらに「善の研究」の思想を発展させる可能性を見ていたのでしょう。対して、三年後に書かれた別のノートにはリッケルトの名前が見え、新カント派との対話が始まったことが分かります。

 そのほか、ノートから読み取れることは?

 西田が貪欲に欧米の最新の哲学を吸収していた姿が浮かびあがりました。

 欧米では現在、日本とは比較にならないほど、著作権が切れた本のデジタルアーカイブ化が進んでいます。例えば西田のノートの中の欧文の記述をインターネットで検索すれば、どの本からの引用なのかがすぐに分かる。そうして調べてみると、研究者の私から見て驚くほど、膨大な量の本を彼が読んでいたことが分かりました。

 このノートに基づく講義は、久松真一、西谷啓治、木村素衛といった「京都学派」を代表する思想家が受けています。彼らは、世界的に見て最先端の哲学を西田から学んでいたのです。

 京都学派といえば戦争協力のイメージがあります。

 確かに、京都学派には、西谷のように太平洋戦争を肯定的に意義づけ、戦後に公職追放を受けた人物もいます。一方でマルクス主義に近づき、治安維持法違反で逮捕され獄死した三木清、戸坂潤も西田に師事しました。右にせよ左にせよ、西田は当時のさまざまな思想が流れ出てくる源流だったと言えます。

 西田自身は、戦争の賛成論者とも、反対論者とも単純に言えないというのが私の見方です。ただし、いま西田の本を開くと「国体」や「八紘一宇(はっこういちう)」といった戦前・戦中に特有な言葉が使われていますし、西田の哲学体系に現実社会を根底から批判する傾向が弱いのも確かです。西田哲学が戦争を押しとどめるような力を持たなかったという問題は、これからも深く考えていく意味があると思います。

 西田哲学に興味を持ったきっかけは?

 私は大学一年生のころ、語学を学ぶ目的で神学校の門をたたきました。死を超える世界があるという宣教師の話に引かれ、熱心なクリスチャンになりました。西田に近づいたきっかけも、その宗教観に興味を持ったからです。博士論文では、西田がキリスト教とどう対話したかを研究しました。

 西田哲学は禅を中心に仏教からの影響も強く、死を深く見つめた哲学です。二〇三〇年代には団塊の世代が八十代前半に突入し、「多死社会」が到来すると言われていますが、西田哲学は私たち一人一人が死を見つめるヒントを与えてくれるはずです。

 西田哲学はいまも古びていないのですね。

 私は、「純粋経験」から「自覚」へと思索を深めた西田が、最後に到達した「場所の論理」という考えに引かれます。この考えについて、西田は著書「働くものから見るものへ」の中で、「有るものは何かに於いてある」と説明しています。

 私たちは、周りの環境に限定(制限)されて生きています。さきほどの言葉を言い換えれば、「私たちはこの世界に於いてある」のです。例えば、新型コロナウイルスが流行してから、私たちの行為は限定され、日常でマスクを着けたり、三密を避けたりと、しなくてはいけないことや、してはいけないことが増えました。

 しかし、西田は一方で、人間を「創造的世界の創造的要素」だと言っています。私たちは、この世界からさまざまな限定を受けているけれど、私たちの存在こそ、この世界を創造していく力なのだと言うのです。

 なんだか勇気づけられます。

 私は石川県立看護大の特任教授をしています。コロナ禍で看護師たちがこれまでのように患者に寄り添うことが難しくなっていますが、私は学生たちに「患者に寄り添う努力を続けてほしい」と話しています。私たちは、もがきながら未来をつくっていくのです。

 西田は「非常時なればなるほど、我々は一面において落ちついて深く遠く考えねばならぬと思う」と語っています。コロナ禍という「非常時」だからこそ、よりいっそう哲学の価値は増すのだと思います。

 あさみ・ひろし 1951年、石川県能登町生まれ。秋田大鉱山学部に進み、哲学・思想を学ぶため教育学部に転部。金沢大大学院文学研究科哲学専攻を修了後、石川工業高等専門学校に倫理・哲学担当教官として勤務するかたわら、筑波大で博士号を取得。2000年から石川県立看護大教授。論文「西田における生命論の宗教的背景とその展開」で比較思想学会研究奨励賞。16年、石川県西田幾多郎記念哲学館の館長に就任した。17年から同大名誉教授・特任教授。著書に、西田と仏教学者の鈴木大拙、哲学者の西谷啓治の思想を比較した「二人称の死-西田・大拙・西谷の思想をめぐって」、哲学者高橋ふみの評伝「おふみさんに続け! 女性哲学者のフロンティア」など。

 あなたに伝えたい

 私は学生たちに「患者に寄り添う努力を続けてほしい」と話しています。私たちは、もがきながら未来をつくっていくのです。

 インタビューを終えて

 「善の研究」以上に重要な西田の著述として、浅見洋館長は「場所的論理と宗教的世界観」を紹介してくれた。「場所の論理」の立場からつづった宗教論。西田の絶筆となった論文だ。

 難解な箇所につまずきながらも読み通した。「人生の悲哀、(略)多くの人は深く此(こ)の事実を見詰めて居ない」という西田の言葉に、ハッとさせられた。

 この論文の成立には、仏教学者の鈴木大拙の影響があったという。二人は第四高等学校の前身の第四高等中学校の同級生で、西田の死まで親交は続いた。

 今年は大拙も生誕百五十年を迎える。コロナ禍の今、二人の本を家でじっくり読み比べてみるのも面白い。

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西田幾多郎生誕150周年~西田幾多郎の哲学とは~

2021-01-10 19:32:51 | 西田幾多郎、哲学

 西田幾多郎氏、生誕150周年とのこと。

 この機に、その哲学に触れてみることにしました。

 その著書、『善の研究』は、ネットで見れるようです。⇒ https://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/946.html
 読んでみましたが、実は、難解で、理解できませんでした。

 問題意識として、宗教への哲学的な理解がどうであるか知りたいところです。

*************************

善の研究

西田幾多郎



 この書は余が多年、金沢なる第四高等学校において教鞭を執っていた間に書いたのである。初はこの書の中、特に実在に関する部分を精細に論述して、すぐにも世に出そうという考であったが、病と種々の事情とに妨げられてその志を果すことができなかった。かくして数年を過している中に、いくらか自分の思想も変り来り、従って余が志す所の容易に完成し難きを感ずるようになり、この書はこの書として一先ず世に出して見たいという考になったのである。
 この書は第二編第三編が先ず出来て、第一編第四編という順序に後から附加したものである。第一編は余の思想の根柢である純粋経験の性質を明(あきらか)にしたものであるが、初めて読む人はこれを略する方がよい。第二編は余の哲学的思想を述べたものでこの書の骨子というべきものである。第三編は前編の考を基礎として善を論じた積(つもり)であるが、またこれを独立の倫理学と見ても差支ないと思う。第四編は余が、かねて哲学の終結と考えている宗教について余の考を述べたものである。この編は余が病中の作で不完全の処も多いが、とにかくこれにて余がいおうと思うていることの終まで達したのである。この書を特に「善の研究」と名づけた訳は、哲学的研究がその前半を占め居るにも拘らず、人生の問題が中心であり、終結であると考えた故である。
 純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明して見たいというのは、余が大分前から有(も)っていた考であった。初はマッハなどを読んで見たが、どうも満足はできなかった。そのうち、個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである、個人的区別より経験が根本的であるという考から独我論を脱することができ、また経験を能動的と考うることに由ってフィヒテ以後の超越哲学とも調和し得るかのように考え、遂にこの書の第二編を書いたのであるが、その不完全なることはいうまでもない。
 思索などする奴は緑の野にあって枯草を食う動物の如しとメフィストに嘲(あざけ)らるるかも知らぬが、我は哲理を考えるように罰せられているといった哲学者(ヘーゲル)もあるように、一たび禁断の果を食った人間には、かかる苦悩のあるのも已(や)むを得ぬことであろう。

明治四十四年一月 京都にて

西田幾多郎




********************************
京大人文学教室

「西田幾多郎生誕150周年~西田幾多郎の哲学とは~」をテーマに、京大人文学教室を全4回シリーズで開催します。
「人間とは何か」という人類の最も根本的な問いに対して、研究が進められている京都大学の人文学。人文学シリーズの初回となる今回は、京都大学の人文学でも最も有名な研究の一つともいえる「京都学派の哲学」の中、西田幾多郎生誕150周年を記念して、「西田哲学」を取り上げます。有名な『善の研究』における「純粋経験」の哲学から後期の「絶対矛盾的自己同一」の思想まで、西田の哲学の変遷を4名の先生方の講義を通して振り返ります。

第1回人文学教室「西田幾多郎の『善の研究』とはどういう書物か」
2021年1月13日(水)
講師:藤田 正勝(京都大学名誉教授)
日本でもっともよく知られた哲学書は西田幾多郎の『善の研究』(1911年)です。それは日本の哲学が自立した歩みを始めたことを示す画期的な著作でした。そこで西田は、われわれはどのような世界観・人生観をもつべきなのかという問題をめぐって真剣に思索しました。それはわれわれに深い感銘を与えます。この書の特徴やそれが後世に与えた影響などについて、またそれは現在海外でも高く評価されていますが、その現代的意義などについて、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。『善の研究』(岩波文庫版)に一度目を通されることをお勧めいたします(必須ではありません)。

第2回人文学教室「京大での西田幾多郎講義ノートを開く―全集別巻刊行までの軌跡―」
2021年1月29日(金)
講師:浅見 洋(石川県西田幾多郎記念哲学館館長)
2020年9月23日に刊行された西田幾多郎記念哲学館(代表:浅見洋)編『西田幾多郎全集 別巻』(岩波書店)には、西田幾多郎が京都帝国大学赴任(1910年)直後の講義のために記した「倫理学講義ノート」と「宗教学講義ノート」を収録しました。未公開の水損・汚損したノートを公開するプロセス、意義とともに、『善の研究』刊行(1911年)前後の西田の思索の展開、京大での講義風景を紹介したいと思います。

第3回人文学教室「自由と自然(おのづから)―親鸞と西田」
2021年2月16日(火)
講師:安部 浩(京都大学大学院人間・環境学研究科共生人間学専攻 教授)
人間の自由は自然と融合し、一体的である。そうした考え方の中に、日本人の「自由」概念の独自性があることを九鬼周造は指摘しました。本講義では、親鸞の思想、及び西田幾多郎の親鸞解釈に即して、この特異な自由観の内実を詳らかにしていきたいと思います。その解明を通して、京大時代以後の西田後期哲学の要所を照射することが、本講義の最終目標とするところです。


第4回人文学教室「西田哲学の場所―「極東」と「極西」が重なるところ」
2021年3月10日(水)
講師:杉村 靖彦(京都大学大学院文学研究科思想文化学専攻 教授)
西田哲学は、明治以来の西洋哲学の摂取の中で初めて登場した、日本独自の哲学と目されています。しかし、西田自身が追究したのは、決して「日本」哲学や「東洋」哲学ではなく、形容詞抜きの「哲学」であって、全てのものの「根柢」であるはずの「絶対無の場所」に立ち、「世界的世界」を眺め渡そうとするものでした。この西田哲学という営み自体は、一体どのような「場所」に位置づけられるのでしょうか。この講義では、「極東」と「極西」という地理的・歴史的概念を手引きとして、この問いに迫ってみようと思います。それによって、西田哲学がどこから来て、どこへ行こうとするものなのか、その「世界哲学のフォーラム」(J・W・ハイジック)における独自な位置と可能性を垣間見ることができるでしょう。

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