憲法論議がなされていくと思われますので、ご参考までに。
○NHK放送 日本国憲法誕生 全編
NHK総合テレビにて2007年4月29日放送
https://www.youtube.com/watch?v=L4xiKi2pHLM&fbclid=IwAR3p2kQfNJ0_YL9C4M3tM5_vU_63RFuddw4xQ55DQMqyjIlCpxRAqSkcTrM
日本国憲法はどのようにして生まれたのか?
いま、憲法を考える!
https://www.nhk-ep.com/products/detail/h11554AA
日本国憲法誕生の舞台裏を当時の資料と関係者のインタビューにより詳細に検証!
憲法第九条成立までの経緯も明らかに。
それまでの天皇中心の国のありかたを根本から変えることになった日本国憲法。国民主権・戦争放棄を謳った憲法誕生の背景を追うほか、日本人の発案で自発的に修正・追加された条文や、第九条の修正をめぐる経緯を詳細に紹介します。また当時を知る関係者のインタビューや各国に残る貴重な記録をもとに、舞台裏で繰り広げられたGHQと日本政府の交渉と、それを見つめる国際社会の声を再現。日本国憲法誕生をめぐる激動の1年に迫ります。
「これは極秘だったのです。GHQの中でも他の人としゃべっちゃいけなかったんです、憲法のことを。」(当時のGHQ関係者のインタビューより)
・プロローグ
・ポツダム宣言受諾から始まった憲法改正
・極東委員会誕生と天皇制をめぐる状況
・GHQの極秘草案作成
・GHQ草案、提示される
・条文をめぐる政府とGHQの徹夜交渉
・憲法改正草案の発表と極東委員会の反発
・“主権”をめぐる政府とGHQの攻防
・追加された「生存権」と「義務教育の延長」
・九条の修正はこうして生まれた
・九条修正に対する極東委員会の反発と文民条項導入
・エピローグ・新憲法公布
*収録分数:74分
非難に押しつぶされることなく、今井さんが、定時制高校の生徒らを支援するNPO「D×P」をされているということを知れて、よかったです。がんばってください。
***********朝日新聞20180505**************
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13480562.html
(憲法を考える)揺れる価値:3 弱者が弱者に「自己責任」
2018年5月5日05時00分
甘えるな。ずるい。自己責任だ。そんな毛羽立った言葉を耳にすることが増えた。でも、それは自分たちの首を絞めるだけなのではないか。日本国憲法にうたわれる「生存権」を持ち出すまでもない。いつか自分も、指をさされる立場になるかも知れないのだから。(編集委員・真鍋弘樹)
段ボールを組み立てた細長い箱に声をかけると、赤いフードをかぶった若い男性が顔を出した。
「今年の冬の寒さは、きつかった」
4月中旬、埼玉県川口市で路上に寝泊まりする人たちに声をかけるボランティアに同行した。生活保護の申請を勧められても、男性はあいまいに首を振って再び紙の箱に潜り込んだ。
「生活保護を受けるのは悪と刷り込まれている」。見回りをしながら弁護士の小林哲彦さん(52)は小さな声で言った。ともに「反貧困」の活動を10年以上続ける藤田孝典さん(35)は近年、見知らぬ人から非難されることが増えたという。
〈そんなヤツら、救う必要ない〉。ツイッターやメールで寄せられる意見の8割が批判的な意見だ。「以前は励ましが多かったが、貧困は本人のせいだという声が大きくなった。弱者に寄り添うことがしんどい」
■放置は社会損失
助けを求めるのは甘え。そんな空気が社会に染み出したのは、14年前のあの出来事からだろうか。
今井紀明さん(32)は当時の記憶が一部途切れている。イラク中部ファルージャ近郊で、他の2人と一緒に武装勢力に拘束された。解放されて帰国した後、「自己責任」という言葉が18歳の生身に降り注いだ。
100通以上の手紙が自宅に届き、ネットでは6千件以上のメッセージが寄せられた。多くが非難や罵倒、ときには脅迫だった。
〈自分の考えで危険を承知でイラクへ行ったのなら、国を責めるのはお門違い。バカヤロウ〉
今井さんは、住所が明記されていた何通かの手紙に返事を書いた。見ず知らずの自分になぜ敵意を向けるのか、それを知りたくて。
ある人から再び、返信が届いた。障害がある単身の高齢女性だった。〈私は甘えることなく、一人で何もかも全部やっています〉
バッシングを受けた経験から、自己責任のはざまに落ち込んだ若者たちを支えようと、今井さんは定時制高校の生徒らを支援するNPO「D×P」を始めた。「可能性のある若者に手を差し伸べずに放置すれば、社会全体の損失になる」
確かにそうだ。みんなで自己責任を振りかざせば、社会全体が沈んでいく。
それなのに、弱者に厳しい風潮は、世論や行政すら巻き込んで広がっている。
■生活保護に敵意
「保護なめんな(HOGO NAMENNA)」。そう書かれたジャンパーを神奈川県小田原市の生活保護担当職員らが着ていたことが昨年、発覚した。
この問題に関し、市が設けた有識者らの検討会で座長を務めた井手英策・慶応大教授(財政社会学)は、全国から寄せられた投書を読んで驚いた。約2千件のうち、45%が「よくやった」と職員を擁護する意見だった。
「自分だって大変なのだから、生活保護を受けずに我慢しろ。そんな意識が根にある」。年収300万円未満の世帯が3分の1を占めるようになった日本社会で、経済的な弱者が別の弱者に敵意を向けている、と井手教授は分析している。
中間層が転落の不安を感じている欧米諸国でも、同様の風潮が生まれている。一昨年に私が取材した米大統領選では、トランプ氏の支持者らが「移民やマイノリティーばかり優遇されるのはおかしい」と語っていたのを思い出した。
加えて、日本社会に根強い「働かざる者食うべからず」という意識が、この傾向に拍車をかけていると井手教授は考える。憲法には25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(生存権)と、27条の「勤労の権利と義務」がともに書かれている。今の日本は「勤労の義務を果たさない人の命を軽んじる社会」だという。
グローバル化を背景に主要各国で蔓延(まんえん)する情念と、日本独自の価値観が交わった地点に広がる荒れ野。誰でもいつか、ぬかるみに足を取られるかもしれない。
不毛な足の引っ張り合いをやめるには、この国の人すべてを包む仲間意識、言い換えれば、「私たち」という感覚を育むことが欠かせない。
「自己責任」という乾いた言葉で、人々の間に分断線を引くのではなく。
■日本国憲法25条と27条
<第25条> すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
(2)国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
<第27条> すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
(2)賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
(3)児童は、これを酷使してはならない。
平成最後の憲法記念日に、各紙の社説を見ておきます。
日経新聞は、自民党の改憲案の内在する矛盾を述べています。
日経:安倍首相の新提案は全くの別ものだ。2項は残しつつ、自衛隊の存在を書き足す。歴代内閣が継承してきた「自衛隊は戦力でなく、専守防衛のための必要最小限の実力組織なので合憲」との憲法解釈も維持するという。さらに言えば、自衛隊明記案が国民投票で仮に否決されても、自衛隊が合憲であるとの立場に変わりはないそうだ。可決でも否決でも合憲ならば、わざわざ国民投票を実施する必要があるのだろうか。
産経新聞は、(そのような矛盾があっても、)改正する意義を述べています。
産経:9条の下でとられている「専守防衛」は本土決戦にも等しいおかしな方針だ。今の憲法は自衛隊による拉致被害者の救出を阻んでいる。そうした問題に気づく人が増えれば政策転換にもつながる。もう一つの大きな意義は、国民投票の力である。中国や北朝鮮などの動向をみれば、自衛隊が国民を守る戦いに従事する可能性を否定できない時代になった。国民投票で憲法に自衛隊を明記することは、命をかけて日本を守っている自衛隊員を国民が支える意思表示となる。隊員の士気と日本の抑止力を高めるものだ。
読売新聞は、自民党改憲案を載せています。特定政党に与するのではなく、もう少し自社の主張を述べていただきたいといつも思います。これでは、広報紙の域を出ないと私は感じます。
朝日新聞、毎日新聞は、改憲の議論の土台ができていないとしています。
朝日:それに加え「安倍1強政治」のうみとでもいうべき不祥事が、次々と明らかになっている。憲法の定める国の統治の原理がないがしろにされる事態である。とても、まっとうな改憲論議ができる環境にない。
毎日:本当に国民の利益になる憲法の議論は、健全な国会があってこそ成り立つものだろう。敵と味方を峻別(しゅんべつ)するあまり、客観的な事実の認定さえ受け付けない現状は不健全である。まずは国会が首相権力への統制力を強めるよう求める。
東京新聞は、九条に自衛隊を明記することを、日本国憲法というウグイスの巣に、ホトトギスの卵が産みつけられることに、わかりやすくたとえられています。
******朝日新聞20180503*******
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13478086.html
(社説)安倍政権と憲法 改憲を語る資格あるのか
2018年5月3日05時00分
憲法施行から70年の節目にあったこの1年で、はっきりしたことがある。それは、安倍政権が憲法改正を進める土台は崩れた、ということだ。
そもそも憲法とは、国民の側から国家権力を縛る最高法規である。行政府の長の首相が改憲の旗を振ること自体、立憲主義にそぐわない。
それに加え「安倍1強政治」のうみとでもいうべき不祥事が、次々と明らかになっている。憲法の定める国の統治の原理がないがしろにされる事態である。とても、まっとうな改憲論議ができる環境にない。
■統治原理ないがしろ
この3月、森友学園との国有地取引をめぐる公文書の改ざんを財務省が認めた。
文書は与野党が国会に提出を求めた。改ざんは、憲法の基本原理である三権分立、その下での立法府の行政府に対するチェック機能を損なうものだ。民主主義の根幹にかかわる重大事なのに、政権はいまだに改ざんの詳しい経緯を説明していない。
いま政権を揺るがす森友学園と加計学園の問題に共通するのは、首相につながる人物に特別な便宜が図られたのではないかという疑惑である。
長期政権の下、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」という憲法の定めが、大きく揺らいでみえる。
昨年の通常国会の閉会後、野党は一連の問題を追及するため、憲法の規定に基づいて臨時国会の召集を要求した。首相はこれを放置し、野党の選挙準備が整っていないことを見透かして、衆院解散に打ってでた。憲法を無視したうえでの、「疑惑隠し」選挙だった。
■普遍的価値も軽視
この1年、社会の多様性や個人の尊厳を軽んじる政権幹部の言動も多く目にした。
象徴的だったのが、昨年7月の都議選の応援演説で、首相が自らを批判する聴衆に向けた「こんな人たちに負けるわけにはいかない」という言葉だ。
都議選の惨敗後、いったんは「批判にも耳を傾けながら、建設的な議論を行いたい」と釈明したのに、今年4月に再び、国会でこう語った。
「あの時の映像がいまYouTubeで見られる。明らかに選挙活動の妨害行為だ」
財務事務次官によるセクハラ疑惑に対し、被害女性をおとしめるような麻生財務相、下村元文部科学相の発言もあった。
憲法が定める普遍的な価値に敬意を払わないのは、安倍政権発足以来の体質といえる。
この5年余、首相は経済を前面に立てて選挙を戦い、勝利すると、後出しじゃんけんのように「安倍カラー」の政策を押し通す手法を繰り返してきた。
国民の「知る権利」を脅かす特定秘密保護法、歴代内閣が違憲としてきた集団的自衛権の行使に道を開く安全保障関連法、捜査当局による乱用が懸念される共謀罪の導入……。合意形成のための丁寧な議論ではなく、与党の「数の力」で異論を押しのけてきた。
1強ゆえに、内部からの批判が声を潜め、独善的な政権運営にブレーキがかからなかったことが、現在の問題噴出につながっているのではないか。
ちょうど1年前のきょう、首相は9条に自衛隊を明記する構想を打ち上げ、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と宣言した。与野党の対立で国会内の機運はすっかりしぼんだが、首相はなお任期中の改憲に意欲をみせる。
自民党は首相の意向を受けて、自衛隊明記に加え、教育、緊急事態対応、合区解消の計4項目の改憲案をまとめた。憲法を変えずとも、法律で対応できることが大半で、急いで取り組む必要性はない。
■優先順位を見誤るな
「21世紀の日本の理想の姿を、私たち自身の手で描くという精神こそ、日本の未来を切りひらいていく」。首相は1日、新憲法制定を目指す議員連盟主催の会合にそんなメッセージを寄せた。
透けて見えるのは、現憲法は占領期に米国に押し付けられたとの歴史観だ。人権、自由、平等といった人類の普遍的価値や民主主義を深化させるのではなく、「とにかく変えたい」という個人的な願望に他ならない。
本紙が憲法記念日を前に実施した世論調査では、安倍政権下での改憲に「反対」は58%で、「賛成」の30%のほぼ倍となった。政策の優先度で改憲を挙げたのは11%で、九つの選択肢のうち最低だった。「この1年間で改憲の議論は活発化した」という首相の言葉とは裏腹に、民意は冷めたままだ。
いま首相が全力を尽くすべきは、一連の不祥事の全容を解明し、憲法に基づくこの国の統治の仕組みを立て直すことだ。それなくして、今後の政権運営は立ち行かない。
首相の都合で進める改憲は、もう終わりにする時だ。
*******毎日新聞******
https://mainichi.jp/articles/20180503/ddm/005/070/063000c
社説
引き継ぐべき憲法秩序 首相権力の統制が先決だ
平成最後の憲法記念日である。
施行から71年。日本国憲法は十分に機能しているか。現実と乖離(かいり)してはいないか。安定した憲法秩序が時代をまたいで次へと引き継がれるよう、点検を怠るわけにはいかない。
1年前、安倍晋三首相は憲法9条への自衛隊明記論を打ち上げた。自民党をせき立て、野党を挑発し、衆院総選挙まではさんで、改憲4項目の条文案作成にこぎつけた。
しかし、衆参両院の憲法審査会は今、落ち着いて議論できる状況にはない。最大の旗振り役だった首相への信用が低下しているためだ。
モリ・カケ、日報、セクハラ。問われている事柄を真正面から受け止めず、過剰に反論したり、メディア批判に転嫁したりするから、いつまでもうみは噴き出し続ける。
90年代政治改革の産物
この間くっきりと見えたのは立法府と行政府のバランスの悪さだ。
改ざんした公文書の提出は、国会への冒〓(ぼうとく)としか言いようがない。なのに、国会はいまだに原因の究明も、事態の収拾もできずにいる。
国会が首相を指名するという憲法67条は議院内閣制の規定だ。同時に66条3項は内閣の行政権行使にあたり「国会に対し連帯して責任を負う」よう求めている。憲法が国会に内閣の統制を期待している表れだ。
連合国軍総司令部(GHQ)による憲法草案の作成過程で、当時27歳のエスマン中尉は「行政権は合議体としての内閣にではなく、内閣の長としての内閣総理大臣に属する旨を明確にすべきだ」と主張した。
これに対し、総責任者のケーディス大佐は「強い立法府とそれに依存した行政府がいい」と考えて退けたという(鈴木昭典著「日本国憲法を生んだ密室の九日間」)。
しかし、強い立法府は生まれなかった。とりわけ安倍政権では、首相の過剰な権力行使が目立つ。
昨年8月、首相は内閣改造に踏み切りながら、野党による国会召集の要求を無視し続けた。総選挙後にようやく特別国会を開くと、野党の質問時間を強引に削減した。
本来中立性が求められる公的なポストに、意を通じた人物を送り込むのもいとわない。内閣法制局長官の人事や各種有識者会議がそれだ。
小選挙区制の導入、政党助成制度の創設、首相官邸機能の強化といった1990年代から進められてきた政治改革が、首相権力の増大に寄与しているのは明らかだ。
中選挙区時代の自民党はライバルの派閥が首相の独走を抑えてきた。しかし、今や首相は選挙の公認権と政党交付金の配分権を実質的に独占する。政府にあっては内閣官房スタッフの量的拡大と内閣人事局のにらみを前に各省は自律性を弱めた。
すなわち国会と内閣の同時掌握が「安倍1強」の根底にある。ここに権限のフル活用をためらわない首相の個性が加わって、日本の憲法秩序は安倍政権を通じて大きく変容してきたと言わざるを得ない。
議論は健全な国会から
国会には立法機能と政府の創出機能がある。同時に国会は行政を監視し、広範な合意に導く役割を併せ持つ。国会が権力闘争の場であることは否定しないが、現状は政権党が政府の下請けに偏り過ぎている。
今国会で増えた質問時間を持て余した自民党議員が、意味なく首相をほめそやしたのはその典型だ。
大島理森衆院議長はよく「民主主義は議論による統治だ」と語る。議院内閣制の下でこの原則を生かすには、立法府と行政府との相互抑制や強力な野党の存在、首相の自制的な態度などが要件になる。
公職選挙法や国会法など統治システムの運用にかかわる法律は「憲法付属法」と呼ばれる。一連の政治改革が当初の予測を超えて憲法秩序をゆがめているとしたら、付属法の是正がなされるべきだろう。
少なくとも国政調査権の発動を、与党の数の論理で封じる慣行は見直していく必要がある。公文書管理法や情報公開法の厳格な運用も、憲法秩序の安定に貢献するはずだ。
冷戦前、国連の集団安全保障が機能する前提で生まれた憲法9条と、現在の国際環境を整合させるために議論をするのはおかしくない。
しかし、本当に国民の利益になる憲法の議論は、健全な国会があってこそ成り立つものだろう。敵と味方を峻別(しゅんべつ)するあまり、客観的な事実の認定さえ受け付けない現状は不健全である。まずは国会が首相権力への統制力を強めるよう求める。
********東京新聞******
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018050302000156.html
【社説】
憲法記念日 平和主義の「卵」を守れ
2018年5月3日
自民党により憲法改正が具体化しようとしている。九条に自衛隊を明記する案は、国を大きく変質させる恐れが強い。よく考えるべき憲法記念日である。
ホトトギスという鳥は、自分で巣を作らないで、ウグイスの巣に卵を産みつける。ウグイスの母親は、それと自分の産んだ卵とを差別しないで温める。
一九四八年に旧文部省が発行した中高生向けの「民主主義」という教科書がある。そこに書かれた示唆に富んだ話である。
◆「何ら変更はない」とは
<ところが、ほととぎすの卵はうぐいすの卵よりも孵化(ふか)日数が短い。だから、ほととぎすの卵の方が先にひなになり、だんだんと大きくなってその巣を独占し、うぐいすの卵を巣の外に押し出して、地面に落してみんなこわしてしまう>
執筆者は法哲学者の東大教授尾高朝雄(ともお)といわれる。「民主政治の落し穴」と題された一章に紹介されたエピソードである。そこで尾高はこう記す。
<一たび多数を制すると、たちまち正体を現わし、すべての反対党を追い払って、国会を独占してしまう。民主主義はいっぺんにこわれて、独裁主義だけがのさばることになる>
この例えを念頭に九条を考えてみる。基本的人権や国民主権は先進国では標準装備だから、戦後日本のアイデンティティーは平和主義といえる。国の在り方を決定付けているからだ。
九条一項は戦争放棄、二項で戦力と交戦権を否認する。自民党はこれに自衛隊を書き込む提案をしている。安倍晋三首相が一年前にした提案と同じだ。
だが、奇妙なことがある。安倍首相は「この改憲によって自衛隊の任務や権限に何らの変更がない」と述べていることだ。憲法の文言を追加・変更することは、当然ながら、その運用や意味に多大な影響をもたらすはずである。
◆消えた「必要最小限度」
もし本当に何の変更もないなら、そもそも改憲の必要がない。国民投票になれば、何を問われているのか意味不明になる。今までと何ら変化のない案に対し、国民は応答不能になるはずである。
動機が存在しない改憲案、「改憲したい」欲望のための改憲なのかもしれない。なぜなら既に自衛隊は存在し、歴代内閣は「合憲」と認めてきたからだ。
安倍首相は「憲法学者の多くが違憲だ」「違憲論争に終止符を」というが、どの学術分野でも学説は分かれるものであり、改憲の本質的な動機たりえない。
憲法を改正するには暗黙のルールが存在する。憲法は権力を縛るものであるから、権力を拡大する目的であってはならない。また目的を達成するには、改憲しか手段がない場合である。憲法の基本理念を壊す改憲も許されない。
このルールに照らせば九条改憲案は理由たりえない。おそらく別の目的が潜んでいるのではないか。例えば自衛隊の海外での軍事的活動を広げることだろう。
歴代内閣は他国を守る集団的自衛権は専守防衛の枠外であり、「違憲」と国内外に明言してきた。ところが安倍内閣はその約束を反故(ほご)にし、百八十度転換した。それが集団的自衛権の容認であり、安全保障法制である。専守防衛の枠を壊してしまったのだ。
それでも海外派兵までの壁はあろう。だから改憲案では「自衛隊は必要最小限度の実力組織」という縛りから「必要最小限度」の言葉をはずしている。従来と変わらない自衛隊どころでなく、実質的な軍隊と同じになるのではないか。
それが隠された動機ならば自民党は具体的にそれを国民に説明する義務を負う。それを明らかにしないで、単に自衛隊を書き込むだけの改憲だと国民に錯覚させるのなら、不公正である。
また安倍首相らの根底には「九条は敗戦国の日本が、二度と欧米中心の秩序に挑戦することがないよう米国から押しつけられた」という認識があろう。
しかし、当時の幣原(しではら)喜重郎首相が連合国軍最高司令官マッカーサーに戦争放棄を提案した説がある。両者とも後年に認めている。日本側から平和主義を提案したなら「押しつけ論」は排除される。
歴史学者の笠原十九司(とくし)氏は雑誌「世界」六月号(岩波書店)で、幣原提案説を全面支持する論文を発表する予定だ。
◆戦争する軍隊になるか
他国の戦争に自衛隊も加われば、およそ平和主義とは相いれない。日本国憲法というウグイスの巣にホトトギスの卵が産みつけられる-。「何の変更もない」と国民を安心させ、九条に自衛隊を明記すると、やがて巣は乗っ取られ、平和主義の「卵」はすべて落とされ、壊れる。それを恐れる。
**********日経新聞*******
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO30113250S8A500C1EA1000/
改憲の実現にはまず環境整備を
社説 2018/5/3付
きょうは憲法記念日である。改憲、護憲両勢力はそれぞれ集会を開き、気勢をあげる予定だ。そのことに意味がないとは言わない。だが、非難の応酬合戦がよりよい日本につながるとも思えない。同じ目線で話し合う土俵をつくれないものだろうか。
憲法論議はこの1年、かつてなく盛り上がった。安倍晋三首相が昨年の憲法記念日に「2020年を新憲法で迎える」と提唱したのがきっかけだ。「一石を投じるため」と本人が言った通り、波紋は大きく広がった。
世論の支持率は低下
それで議論は深まったのか。むしろ逆だ。論点は拡散し、迷路に入り込んだ感すらある。
自民党は野党時代の2012年に改憲草案をまとめ、党議決定した。戦力不保持を定めた9条2項を削除し、国防軍を持つと明記した。諸外国と同じく軍隊を持つ国になるということだ。是非はさておき、わかりやすかった。
安倍首相の新提案は全くの別ものだ。2項は残しつつ、自衛隊の存在を書き足す。歴代内閣が継承してきた「自衛隊は戦力でなく、専守防衛のための必要最小限の実力組織なので合憲」との憲法解釈も維持するという。
さらに言えば、自衛隊明記案が国民投票で仮に否決されても、自衛隊が合憲であるとの立場に変わりはないそうだ。
可決でも否決でも合憲ならば、わざわざ国民投票を実施する必要があるのだろうか。
自民党憲法改正推進本部の細田博之本部長は「現状では2項を残すのが、国民の理解を得られるぎりぎりの線だ」と説明する。党内には2項削除を将来の課題とする2段階論もある。
本音は2項削除がしたいのならば、粘り強くそう訴えればよい。憲法改正を急ぐいまの安倍政権を見ていると、憲法に不具合があるというよりは、安倍首相の政治的遺産づくりに軸足があるのかと勘繰りたくなる。
しかも、2項削除を譲歩したにもかかわらず、新提案は国民に歓迎されたとは言いがたい。日本経済新聞社とテレビ東京の世論調査によれば、憲法改正について「現状のままでよい」は1年前の46%から48%へ増え、「改正すべきだ」は45%から41%へ減った。
改憲反対には森友・加計学園問題などへの批判も含まれているとはいえ、現状で国民投票を実施すれば賛否拮抗は必至だ。欧州連合(EU)離脱を決めた英国の国民投票のときのような、国論二分の混乱に陥るだろう。
改憲勢力は思うに任せぬ展開にいらだちを募らせているようだ。おととい憲政記念館であった改憲派の国会議員の集まり「新しい憲法を制定する推進大会」はこんな決議を採択した。
「新憲法制定の機運は安倍内閣の登場によって大きく進められたが、いまや正念場である」
改憲に必ずしも積極的でない公明党の斉藤鉄夫幹事長代行が登壇し、「幅広い合意なしに国民投票を行うと、取り返しのつかない失敗をしかねない」と発言すると、「(検討が)遅いんだよ」との罵声が飛んだ。
与党内の足並みさえそろわないようでは、国民投票どころか、国会での改憲の発議でさえ高いハードルである。
課題が多い国民投票法
他方、立憲民主党など護憲野党の姿勢も感心しない。「安倍政権のもとでの改憲論議に応じない」との声をよく聞くが、9月の自民党総裁選で新首相が誕生したらどうするのか。改憲に本当に反対ならば、手続き論ではなく、政策論で勝負すべきだ。
国会における憲法論議は、2000年に設けられた憲法調査会、07年にできた憲法審査会を通じて少しずつ進んできた。与野党双方の憲法族と呼ばれる議員同士の相互信頼があったからだ。
安倍政権はこうしたパイプを壊してしまった。本当に改憲を望むならば、新提案にこだわらず、与野党の声に幅広く耳を傾ける姿勢を示すべきだ。いま求められるのは地道な環境整備である。
憲法審査会を再起動するよい方法がひとつある。国民投票の仕組みの再検討である。期日前投票がしにくい、未成年の運動制限がない、などさまざまな課題が指摘されている。手直しなしに国民投票が実施されれば、投票率が伸びないなど投票の正当性に疑問符が付くことだろう。
実務的な修正作業を通じて、与野党間の信頼を徐々に醸成していく。改憲項目の本格的な検討はそれからでも遅くない。
*************読売新聞************
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20180502-OYT1T50083.html
憲法記念日 自衛隊違憲論の払拭を図れ
2018年05月03日 06時00分
◆合意形成へ審査会の活性化を◆
憲法はきょう、施行から71周年を迎える。新しい時代にふさわしい憲法のあるべき姿について、国民一人ひとりが考える機会としたい。
日本を取り巻く国際情勢は劇的に変化している。日本社会は急速な少子高齢化や技術革新に伴う諸課題にも直面する。
終戦直後に制定されたままの憲法では、対応しきれない事態や新たな課題も生じている。
憲法は国の統治の基本を定めたルールであり、不断に見直していくことは当然だ。
◆自民党案をたたき台に
安倍首相(自民党総裁)は、昨年の憲法記念日に、自衛隊の根拠規定を設けるための9条改正を政治課題に掲げた。
自民党は党内論議を加速させ、今年3月、9条改正や緊急事態条項の創設などの4項目について、改憲の考え方をまとめた。改正項目を絞り、具体的な条文案として提起したのは評価できる。
だが、安倍内閣の失速で、改憲の機運は盛り上がりを欠く。
野党は安倍内閣との対決姿勢を強め、衆参両院の憲法審査会の開催に応じていない。政局に絡め、議論を拒むのは疑問だ。
少数意見に耳を傾けながら、改正原案を真摯しんしに論議し、結論を出すのが審査会の役割である。
野党は審査会で、自民党の改憲案について見解を明らかにするのが筋だ。一致点を探り、問題点があれば改善する。そうした建設的な議論が求められる。
国家として当然持つべき自衛権を憲法にどう位置付けるかは、長年の懸案である。
平和を守り、日本周辺の秩序を安定させる自衛隊の役割は近年、重要度を増している。
読売新聞の世論調査では、自衛隊が「合憲」だと考える人は76%に上り、「違憲」ととらえる人は19%にとどまった。
多くの憲法学者は自衛隊は「違憲」との立場を取る。中学校の教科書の大半が、違憲論に触れている現状は改める必要がある。
自衛隊に正統性を付与し、違憲論を払拭ふっしょくする意義は大きい。
自民党は「9条の2」を新設し、必要な自衛の措置をとる「実力組織」として、自衛隊の保持を明記する案を打ち出した。
自衛隊は9条2項で禁じられた「戦力」に当たるのか否か、という不毛な議論が続く懸念がある。他党との合意形成を優先した現実的な判断なのだろう。
自民党の石破茂・元幹事長は、2項を削除し、自衛隊を軍隊として位置付ける案を唱えている。自民党はさらに議論を深め、意見を集約することが大切だ。
◆議員任期延長は妥当だ
緊急事態への対応では、大規模災害時に、国会議員の任期を延長する特例を設ける案を示した。
国民の生命や財産を保護するため、政府が緊急政令を制定できるとの規定も盛り込んでいる。民主主義を適切に機能させるために、必要な措置である。
議員の任期延長について、公明党や立憲民主党からも検討する余地があるとの意見が出ている。自民党案を土台に、審査会で具体的な条文案を詰めたらどうか。
改憲のテーマは、自民党案の4項目に限らない。衆院と参院の役割の見直しも重要だ。
衆参ねじれ国会では、野党が多数を占める参院が重要法案や同意人事案の生殺与奪権を握った。国会の混乱と、国政の停滞を招いたことを忘れてはなるまい。
法案の衆院再可決の要件を3分の2以上から過半数に引き下げるなど、「強すぎる参院」の是正に取り組まなければならない。
自民党は、参院選の「合区」を解消するため、3年ごとの参院選で各都道府県から最低1人を選ぶ改憲案を示している。
参院議員を地域の代表と位置付けるなら、参院の権限の縮小は、避けられない。
◆国民的議論を深めたい
憲法改正には、衆参各院の3分の2以上の賛成による発議後、国民投票で過半数の賛成を得るという高いハードルが待ち受ける。
野党も含めた幅広い合意形成を図ることが、世論の支持を広げるうえで重い意味を持つ。
政党や国会議員は憲法についての主張を明確にするとともに、支持者らに分かりやすく説明する努力を尽くすべきだ。
諸外国は憲法の規定を、国内外の実情に合わせて常に見直し、機能させるよう努めている。
国民が憲法改正を実現する意義を理解し、現実にそぐわない部分を手直しするのが望ましい。着実に議論を重ねたい。
***********産経新聞**********
https://www.sankei.com/column/news/180503/clm1805030001-n1.html
【主張】
憲法施行71年 「9条」では国民守れない 平和構築へ自衛隊明記せよ
南北首脳会談の成果が演出されようと、北朝鮮危機がどう展開するかは予断を許さない。その中でもはっきりしていることがある。北朝鮮の核・弾道ミサイル戦力の脅威を取り除く上で、憲法9条は無力だという点だ。
9条が国民を守っているのではない。北朝鮮危機がその証左であることに気づき、自らを守れる内容へと憲法を改めていかなければならない。第一歩となるのが、自衛隊の明記である。
日米両国をはじめとする国際社会は、厳しい経済制裁と軍事的圧力をかけて、北朝鮮に核・ミサイル戦力の放棄を迫っている。
≪世界の現実直視したい≫
その圧力に耐え切れず、金正恩朝鮮労働党委員長は微笑(ほほえ)み戦術に転じた。平和を乱す自国の行動を反省したからではない。トランプ米大統領との首脳会談が、真の平和をもたらすかは不透明だ。
日米が「最大限の圧力」に努めてきた基礎には、集団的自衛権によって互いに守り合う強固な同盟関係がある。
日本には「9条信奉者」とも呼ぶべき政党やその支持者たちが存在する。だが、彼らが北朝鮮危機を乗り越えるために建設的な提言や問題提起をした話は寡聞にして知らない。9条を掲げ、北朝鮮を説得する動きもみられない。だんまりを決め込んでいるのか。
平和を守ろうと動いてきたのはむしろ、9条のもたらす制約や弊害に悩みながら、安全保障上の工夫をこらしてきた安倍晋三政権や自民党である。
安保関連法の眼目は、憲法解釈の変更で可能になった集団的自衛権の限定行使容認である。これに基づき、北朝鮮の危機を目の当たりにしても、日米同盟が機能しているのは幸いである。
自衛隊と米軍の共同訓練が増えている。「いざ鎌倉」の際に互いに守り合う関係になったことは、米軍による北朝鮮への圧力を増すことに寄与している。
もし「集団的自衛権の限定行使は違憲だ」という「9条信奉者」の言い分に従えばどうなるか。日米同盟の対処力と抑止力は大幅に弱まり、北朝鮮は強面(こわもて)に戻るだろう。日本と世界の平和にとって、ゆゆしき事態である。
9条が、日本の安全保障政策と論議の水準を高めることを妨げてきた弊害の大きさも考えたい。9条には、はき違えた平和主義の源になった面が小さくない。
それは、軍事を正面から論ずることを忌避する風潮を助長してきた。日本の義務教育では、抑止力や同盟といった、安全保障の初歩的知識さえ教えていない。
自衛隊に関し、最近の国会では日報問題ばかりが取り上げられた。北朝鮮危機のさなか、何を真っ先に論じるべきかは自明だ。安全保障を実際に担う政府側との認識の「格差」を解消しなければ、日本の未来は危うい。
≪安保論議の底上げ図れ≫
「戦力の不保持」を定めた9条2項を削除し、軍の保持を認めることが9条改正のゴールである。だが、政治情勢を考えれば、一足飛びにはいかない。そこで、安倍首相が提案した自衛隊明記の方法を、自民党は改憲項目とした。
これが実現すれば、憲法学者の間の自衛隊違憲論に終止符を打つことができるが、そのほかにも大きな意義がある。
まず、日本全体の安全保障論議と意識の底上げが期待できる。国の大切な役割として防衛があることが明確になるからだ。
平和のために国が防衛力を活用する場面はあり得る。必要なら仲間の国同士で守り合う。そういった世界の常識を、国民が共有することに資するだろう。もとより平和主義とは十分両立する。
9条の下でとられている「専守防衛」は本土決戦にも等しいおかしな方針だ。今の憲法は自衛隊による拉致被害者の救出を阻んでいる。そうした問題に気づく人が増えれば政策転換にもつながる。
もう一つの大きな意義は、国民投票の力である。中国や北朝鮮などの動向をみれば、自衛隊が国民を守る戦いに従事する可能性を否定できない時代になった。
国民投票で憲法に自衛隊を明記することは、命をかけて日本を守っている自衛隊員を国民が支える意思表示となる。隊員の士気と日本の抑止力を高めるものだ。
だからこそ、安倍首相と自民党は、憲法改正の実現に向けて歩みを止めてはならないのである。
レペタ教授からの警告とのこと。
自民党改憲草案https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/130250_1.pdfの問題点を考えるひとつの参考までに。
https://twitter.com/tkatsumi06j/status/702387553027158016/photo/1
弁護士升永英俊先生。
私のたいへん尊敬申し上げる弁護士先生のお一人です。
法科大学院時代に、ご本人は、腕を骨折されすぐに病院に行く必要があるにも関わらず、私たちの特別講義を優先されて講義をして下さいました。
政治の根幹にある重大な問題「一人一票の選挙権の平等」にも第一人者として取り組まれておられます。
日本国憲法27条(と28条)。
労働基本権に関する規定です。
これら条項もまた、とても大切だと思います。
自分は、27条を理解するに当たり、まず、大事なことは、「働けるということは、義務の前に権利である」ということだと考えます。(以前のブログ:http://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/8c35694366b639cd2f81c9d726c6e573 )
私たちのまさに自己実現の形のひとつが、働けることじゃないでしょうか。
国は、働ける環境整備を、鋭意行っていかねばなりません。
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日本国憲法
第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。
自民党案
(勤労の権利及び義務等)
第二十七条 全て国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律で定める。
3 何人も、児童を酷使してはならない。
日本国憲法
第二十八条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
自民党案
(勤労者の団結権等)
第二十八条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、保障する。
2 公務員については、全体の奉仕者であることに鑑み、法律の定めるところにより、前項に規定する権利の全部又は一部を制限することができる。この場合においては、公務員の勤労条件を改善するため、必要な措置が講じられなければならない。〔新設〕
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自民党案は、日本国憲法とほぼ同じ内容であることがわかります。文体や格調の高さからは、日本国憲法のほうが優れています。この点改憲する必要はありません。
大きな点は、自民党案では、28条に2項を新設しています。
この新設に関しては、28条のことなので、28条の説明の際に述べます。
以下、27条、28条に関する基礎知識。
19世紀の資本主義の発達の過程において、労働者は、失業や劣悪な労働条件のために厳しい生活を余儀なくされました。労働者の生活を向上させるために、労働者を保護し、労働運動を容認する立法が制定することとなりました。
日本国憲法は、27条で勤労の権利(勤労権、労働権)を保障し、勤労が国民の義務(ただし、勤労が義務とはいえ、法律により勤労を国民に強制することができるという意味ではありません。)であることを宣言し、かつ、勤労条件の法定(勤労条件法定主義)を定めています。
28条で労働基本権(団結権、団体交渉権、団体行動権・争議権の労働三権)を保障しています。
27条3項の児童の酷使の禁止は、子どもが過酷な労働環境で働くことを強制された歴史を繰り返すことのないよう、子どもの権利を守るための規定です。
この規定から、
〇児童(満15歳後の最初の3月31日が終了するまで)を労働者として使用することの原則禁止(労働基準法56条)
〇児童(18歳未満)を午後10時から午前5時までの間に働かせる深夜業の原則禁止(同法61条)
〇児童(18歳未満)の危険有害業務に関する就業制限(同法62条)
〇児童(18歳未満)の坑内労働の禁止(同法63条)
が定められています。
以下、関連法律の該当箇所を抜粋します。
*******関連法律 抜粋***********************
<労働基準法>
第六章 年少者
(最低年齢)
第五十六条 使用者は、児童が満十五歳に達した日以後の最初の三月三十一日が終了するまで、これを使用してはならない。
○2 前項の規定にかかわらず、別表第一第一号から第五号までに掲げる事業以外の事業に係る職業で、児童の健康及び福祉に有害でなく、かつ、その労働が軽易なものについては、行政官庁の許可を受けて、満十三歳以上の児童をその者の修学時間外に使用することができる。映画の製作又は演劇の事業については、満十三歳に満たない児童についても、同様とする。
(年少者の証明書)
第五十七条 使用者は、満十八才に満たない者について、その年齢を証明する戸籍証明書を事業場に備え付けなければならない。
○2 使用者は、前条第二項の規定によつて使用する児童については、修学に差し支えないことを証明する学校長の証明書及び親権者又は後見人の同意書を事業場に備え付けなければならない。
(未成年者の労働契約)
第五十八条 親権者又は後見人は、未成年者に代つて労働契約を締結してはならない。
○2 親権者若しくは後見人又は行政官庁は、労働契約が未成年者に不利であると認める場合においては、将来に向つてこれを解除することができる。
第五十九条 未成年者は、独立して賃金を請求することができる。親権者又は後見人は、未成年者の賃金を代つて受け取つてはならない。
(労働時間及び休日)
第六十条 第三十二条の二から第三十二条の五まで、第三十六条及び第四十条の規定は、満十八才に満たない者については、これを適用しない。
○2 第五十六条第二項の規定によつて使用する児童についての第三十二条の規定の適用については、同条第一項中「一週間について四十時間」とあるのは「、修学時間を通算して一週間について四十時間」と、同条第二項中「一日について八時間」とあるのは「、修学時間を通算して一日について七時間」とする。
○3 使用者は、第三十二条の規定にかかわらず、満十五歳以上で満十八歳に満たない者については、満十八歳に達するまでの間(満十五歳に達した日以後の最初の三月三十一日までの間を除く。)、次に定めるところにより、労働させることができる。
一 一週間の労働時間が第三十二条第一項の労働時間を超えない範囲内において、一週間のうち一日の労働時間を四時間以内に短縮する場合において、他の日の労働時間を十時間まで延長すること。
二 一週間について四十八時間以下の範囲内で厚生労働省令で定める時間、一日について八時間を超えない範囲内において、第三十二条の二又は第三十二条の四及び第三十二条の四の二の規定の例により労働させること。
(深夜業)
第六十一条 使用者は、満十八才に満たない者を午後十時から午前五時までの間において使用してはならない。ただし、交替制によつて使用する満十六才以上の男性については、この限りでない。
○2 厚生労働大臣は、必要であると認める場合においては、前項の時刻を、地域又は期間を限つて、午後十一時及び午前六時とすることができる。
○3 交替制によつて労働させる事業については、行政官庁の許可を受けて、第一項の規定にかかわらず午後十時三十分まで労働させ、又は前項の規定にかかわらず午前五時三十分から労働させることができる。
○4 前三項の規定は、第三十三条第一項の規定によつて労働時間を延長し、若しくは休日に労働させる場合又は別表第一第六号、第七号若しくは第十三号に掲げる事業若しくは電話交換の業務については、適用しない。
○5 第一項及び第二項の時刻は、第五十六条第二項の規定によつて使用する児童については、第一項の時刻は、午後八時及び午前五時とし、第二項の時刻は、午後九時及び午前六時とする。
(危険有害業務の就業制限)
第六十二条 使用者は、満十八才に満たない者に、運転中の機械若しくは動力伝導装置の危険な部分の掃除、注油、検査若しくは修繕をさせ、運転中の機械若しくは動力伝導装置にベルト若しくはロープの取付け若しくは取りはずしをさせ、動力によるクレーンの運転をさせ、その他厚生労働省令で定める危険な業務に就かせ、又は厚生労働省令で定める重量物を取り扱う業務に就かせてはならない。
○2 使用者は、満十八才に満たない者を、毒劇薬、毒劇物その他有害な原料若しくは材料又は爆発性、発火性若しくは引火性の原料若しくは材料を取り扱う業務、著しくじんあい若しくは粉末を飛散し、若しくは有害ガス若しくは有害放射線を発散する場所又は高温若しくは高圧の場所における業務その他安全、衛生又は福祉に有害な場所における業務に就かせてはならない。
○3 前項に規定する業務の範囲は、厚生労働省令で定める。
(坑内労働の禁止)
第六十三条 使用者は、満十八才に満たない者を坑内で労働させてはならない。
(帰郷旅費)
第六十四条 満十八才に満たない者が解雇の日から十四日以内に帰郷する場合においては、使用者は、必要な旅費を負担しなければならない。ただし、満十八才に満たない者がその責めに帰すべき事由に基づいて解雇され、使用者がその事由について行政官庁の認定を受けたときは、この限りでない。
<児童福祉法>
第八節 雑則
第三十四条 何人も、次に掲げる行為をしてはならない。
一 身体に障害又は形態上の異常がある児童を公衆の観覧に供する行為
二 児童にこじきをさせ、又は児童を利用してこじきをする行為
三 公衆の娯楽を目的として、満十五歳に満たない児童にかるわざ又は曲馬をさせる行為
四 満十五歳に満たない児童に戸々について、又は道路その他これに準ずる場所で歌謡、遊芸その他の演技を業務としてさせる行為
四の二 児童に午後十時から午前三時までの間、戸々について、又は道路その他これに準ずる場所で物品の販売、配布、展示若しくは拾集又は役務の提供を業務としてさせる行為
四の三 戸々について、又は道路その他これに準ずる場所で物品の販売、配布、展示若しくは拾集又は役務の提供を業務として行う満十五歳に満たない児童を、当該業務を行うために、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律 (昭和二十三年法律第百二十二号)第二条第四項 の接待飲食等営業、同条第六項 の店舗型性風俗特殊営業及び同条第九項 の店舗型電話異性紹介営業に該当する営業を営む場所に立ち入らせる行為
五 満十五歳に満たない児童に酒席に侍する行為を業務としてさせる行為
六 児童に淫行をさせる行為
七 前各号に掲げる行為をするおそれのある者その他児童に対し、刑罰法令に触れる行為をなすおそれのある者に、情を知つて、児童を引き渡す行為及び当該引渡し行為のなされるおそれがあるの情を知つて、他人に児童を引き渡す行為
八 成人及び児童のための正当な職業紹介の機関以外の者が、営利を目的として、児童の養育をあつせんする行為
九 児童の心身に有害な影響を与える行為をさせる目的をもつて、これを自己の支配下に置く行為
○2 児童養護施設、障害児入所施設、児童発達支援センター又は児童自立支援施設においては、それぞれ第四十一条から第四十三条まで及び第四十四条に規定する目的に反して、入所した児童を酷使してはならない。
******************************************
日本国憲法26条。
************************
日本国憲法
第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
自民党案
(教育に関する権利及び義務等)
第二十六条 全て国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、等しく教育を受ける権利を有する。
2 全て国民は、法律の定めるところにより、その保護する子に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、無償とする。
3 国は、教育が国の未来を切り拓(ひら)く上で欠くことのできないものであることに鑑み、教育環境の整備に努めなければならない。〔新設〕
*************************
教育を受ける権利を保障するとても重要な条文です。
子ども達にとって、最も重要な条文といってもよいかもしれません。
念のため、書きますが、この条文が義務として定めているのは、子ども達が義務で勉強しなければならないことや学校へ行って勉強する義務ではありません。
子ども達に教育を受けさせる義務、勉強できる機会をつくる義務が、親や国にあることを定めています。
そのことを、憲法学者故芦部先生は、
「教育を受ける権利は、その性質上、子どもに対して保障される。その権利の内容は、子どもの学習権を保障したものと解される。
子どもの教育を受ける権利に対応して、子どもに教育を受ける責務を負うのは、第一次的には親ないしは親権者である。26条2項が、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」と定めているのは、そのことを明示している。また、教育を受ける権利の社会権としての側面として、国は、教育制度を維持し、教育条件を整備すべき義務を負う。この要請を受けて、教育基本法および学校教育法等が定められ、小・中学校の義務教育を中心とする教育制度が設けられている。」(『憲法第5版』岩波書店 264ページ)と書かれています。
教育権の所在については、教育内容について国が関与・決定する権能を有するとする説(国家の教育権説)と、子どもの教育について責任を負うのは、親およびその付託を受けた教師を中心とする国民全体であり、国は教育の条件整備の任務を負うにとどまるとする説(国民の教育権説)の争いがあります。
最高裁判例は、両説「極端かつ一方的」であるとして否定し、教師に一定の範囲の教育の自由の保障があることを肯定しながら、その自由を完全に認めることは、1)児童生徒には教育内容を批判する能力がなく、2)教師に強い影響力があること、3)子どもの側に学校・教師を選択する余地が乏しいこと、4)全国的に一定の水準を確保すべき要請が強いことなどから、許されないとし、結論としては、教育内容について、「必要かつ相当と認められる範囲において」決定するという、広汎な国の介入権を肯定しています(学説の批判有り)。(旭川学力テスト事件最高裁大法廷判決昭和51.5.21)
憲法26条2項で謳う、義務教育の無償については、一般に、「授業料不徴収」の意味であると解されています。1963年以降、教科書は無償で配布されています。
憲法上、よく問題になるのは、義務教育や高校教育ですが、26条は、生涯教育、家庭教育、社会教育も含んでいます。
さて、自民党案との比較、自民党案は、1項と2項は大きく変えてはいませんが、3項を新設しています。
この条項の新設は、本当によいのでしょうか?
教育の目的を、自民党は、はき違えていないでしょうか?
何のための教育ですか?国のための教育ですか?
日本のひとりひとりの子どもが、その子の個性や可能性を十分に伸ばし、人生に役立つ知識技能を身に着ける教育をすることが大切なのではないでしょうか。
ですから、まず、鑑みるべきことは、「教育が、個人が人格を形成し、社会において有意義な生活を送るために不可欠であること」でしょう。
日本の学校で教育を受けた優秀な人材が、国の未来を切り拓いたとしても、それは結果論であり、そのことを直接に期待するのは、教育の目的をはき違えていると、私は、思います。
資源のない日本が世界で太刀打ちするためには、教育こそ大切なことはわかるとしても、そのことを憲法の条文に盛り込む前に、もっともっと大切な個人の人格形成に寄与する教育についてをこそ、盛り込むべきだと考えます。
小中高と、国のために勉強した経験のあるかた、どれだけおられるでしょうか。
日本国憲法25条。
本日25条、おそらく、「生存権」という名と共に、社会科でも何度も出てきて、最も親しみの持てる条項ではないでしょうか。
その分、とても重要な条項です。
25条から、26、27、28と社会権が保障されています。
社会権とはなにか、憲法学者の故芦部先生の解説を読みます。
「日本国憲法は、生存権(25条)、教育を受ける権利(26条)、勤労の権利(27条)、労働基本権(28条)という社会権を保障している。社会権は、20世紀になって、社会国家(福祉国家)の理念に基づき、とくに社会的・経済的弱者を保護し実質的平等を実現するために保障されるに至った人権である。その内容は、国民が人間に値する生活を営むことを保障するものであり、法的にみると、それは国に対して一定の行為を要求する権利(作為請求権)である。この点で、国の介入の排除を目的とする権利(不作為請求権)である自由権とは性質をことにする。もっとも、社会権にも自由権的側面がある。
社会権が保障されたことにより、国は社会国家として国民の社会権の実現に努力すべき義務を負う。たとえば、憲法25条2項が、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と規定するのは、その趣旨である。」
(『憲法第5版』岩波書店 258頁)
******************************
日本国憲法
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
自民党案
(生存権等)
第二十五条 全て国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、国民生活のあらゆる側面において、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
(環境保全の責務)
第二十五条の二 国は、国民と協力して、国民が良好な環境を享受することができるようにその保全に努めなければならない。〔新設〕
(在外国民の保護)
第二十五条の三 国は、国外において緊急事態が生じたときは、在外国民の保護に努めなければならない。〔新設〕
(犯罪被害者等への配慮)
第二十五条の四 国は、犯罪被害者及びその家族の人権及び処遇に配慮しなければならない。〔新設〕
***************************************
自民党案は、日本国憲法とほぼ同じといえるでしょうか。
憲法「すべての生活部面」が自民案「国民生活のあらゆる側面」となっています。
これも同じとみてよいでしょうか。
内容が狭まっていなければよいと思います。
あと、自民党案では、25条の2、25条の3、25条の4が新設されています。
これら新設された内容は、方向性としてはよいと思います。
文面は、検討の余地が多分にあり。自民案は、すべて文言が弱すぎる。そのような文面で、本当に国は、それら新たな人権を守る気があるのかと思いたくなります。
例えば、自民党案25条の4「犯罪被害者及びその家族の人権及び処遇に配慮」ではなく、犯罪被害者及びその家族の人権及び処遇を「保障する」レベルまでの表現はほしいと思います。
まずは、自民案に頼るのではなく、これら条文の文面をよく練り、適正手続きのもと、憲法に入れていくべきか、法律の規定を充実させることで済むのか、議論を深めることこそが求められていると思います。
一番やってはならないことは、これら条文に飛びついて、自民党案の負の部分に目をつぶってしまうことです。
日本国憲法24条。
憲法24条1項で、婚姻の自由と夫婦の権利の同等をうたい、2項で、家族に関する立法は、「個人の尊厳と両性の本質的平等」に基づくべきであると定めています。
GHQ民政局のペアテ・シロタ・ゴードンの意欲で起草され、GHQ内部や日本政府による数多の修正を受けながら、現在の形で残ったものだそうです。
民法(家族法)の基本原理・最高法規という色彩が強く、「法の下の平等」を保障する14条の特別条項と位置付けられています。
すなわち、13条の個人の尊厳や14条の両性の平等の意義を再確認し徹底化することを求めた規定です。(参照『判例憲法2』第一法規 85ページ)
***************
日本国憲法
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
自民党改憲案
(家族、婚姻等に関する基本原則)
第二十四条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。〔新設〕
2 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
3 家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
***************
まず、自民案は、いろいろな点を変えようとしているため、なぜ、そのように変えるのか、自民党の解説を読みます。
*****自民党パンフ******
http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf
Q家族に関する規定は、どのように変えたのですか?
答
家族は、社会の極めて重要な存在ですが、昨今、家族の絆が薄くなってきて
いると言われています。こうしたことに鑑みて、24 条1 項に家族の規定を新
設し、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、
互いに助け合わなければならない。」と規定しました。なお、前段については、世界人
権宣言16 条3 項も参考にしました。
党内議論では、「親子の扶養義務についても明文の規定を置くべきである。」との意見
もありましたが、それは基本的に法律事項であることや、「家族は、互いに助け合わな
ければならない」という規定を置いたことから、採用しませんでした。
(参考)世界人権宣言16 条3 項
家族は、社会の自然かつ基礎的な単位であり、社会及び国による保護を受ける権利
を有する。
****************
自民党案の問題点を挙げます。
問題点1 世界人権宣言16条3項を、自民党案は、反映しているとはいえない。
1項を自民党案は、世界人権宣言16条3項を参考に新設したといいますが、結果、自民案は、「家族は、尊重される」と漠然と述べているにすぎません。
世界人権宣言16条3項を参考にしたと言うのであれば、「家族は、国による保護を受ける権利を有する」とはっきりと述べるべきでしょう。
問題点2 憲法に価値観を持ち込んでよいか。
新設された部分には、マスコミも取り上げ、問題提起がなされていました。
もちろん、ひととしては当然の内容ではあるものの、憲法への価値観の持ち込みは問題があります。
また、本来、社会全体で支えるべきところに関してまで、逆に、家族に全部責任を押し付ける根拠ともされる危険性があるのではないかと危惧します。
問題点3 なぜ、「のみ」を省く?
自民党案では、重要な文言を削除する、文言を置き換えるということが、多数なされており、注意深く自民案を読む必要があります。
ここでも、決して削除してはならない「のみ」が削除されています。
自民党案作成者にお伺いしたいところですが、そのほかに、どんな結婚の成立を想定されて、「のみ」を落とすのでしょうか?
憲法:婚姻は、両性の合意のみに基いて成立
自民党案:婚姻は、両性の合意に基づいて成立
問題点4 憲法「家族に関するその他の事項」から自民案「親族に関するその他の事項」へ文言の置き換え
自民党案では、その他の事項の修飾のされる用語を変えています。
保護されるべきひとが保護されないことになっています。
親族の定義に入らないが、家族はいるはずであり、自民党案では、それら家族を保護する法制化をし辛くさせるような変更です。
問題点5 憲法が保護する「住居の選定」が自民党案で、削除されています。
など
以上
日本国憲法21条。
自民党改憲案は、一条にひとつ以上の問題点や課題があり、どれも看過できないものですが、この21条もまた、最も重大な問題点の一つを含んでいます。
21条に関連して以前のブログhttp://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/b0a5bca6b92855718d565701d5e8b0eaで、表現の自由についての知識の整理を記載しました。最後に再掲します。
表現の自由は、思想・情報を発表し伝達する自由でありますが、知る権利もまた、保障しています。
知る権利について、憲法学者の故芦部先生は、
「知る権利は、「国家からの自由」という伝統的な自由権であるが、それにとどまらず、参政権(国家への自由)的な役割を演ずる。個人はさまざまな事実や意見を知ることによって、はじめて政治に有効に参加することができるからである。」と知る権利の法的性格を述べられています。
表現の自由、知る権利が保障されなければ、政治に有効に参加できなくなる、まさに、民主主義の根幹にかかわる権利を、憲法21条は保障しています。
ところが、この21条を、自民案は、大きく変貌させようとしています。
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日本国憲法
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
自民党案
(表現の自由)
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。〔新設〕
3 検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。
(国政上の行為に関する説明の責務)
第二十一条の二 国は、国政上の行為につき国民に説明する責務を負う。〔新設〕
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自民案は、現行憲法21条とほぼ同じ文言をおいていますが、実は、2項を新設しています。
この2項が、現行憲法21条1項を完全に骨抜きにしています。
よく見ていただきたいのですが、自民案は、1項で、表現の自由を保障すると言っておきながら、2項で、「前項の規定にかかわらず」、「公益及び公の秩序」すなわち、「国家のため、国家の都合で」制限すると言い切っているのです。
もちろん、表現の自由があるからといって、何を言っても良いというわけではなく、すでに現行憲法上、「公共の福祉」による制限を、表現の形態、規制の目的・手段等を具体的に検討し、表現内容を最大限尊重し、報道の自由を十分に守りつつ、表現の自由により侵される権利、例えばプライバシー、名誉、青少年の健全育成、嘘の情報被害などを、現状に置いても厳しく審査をできている状態にあり、「公益及び公の秩序」を持ち出す必要性はまったくありません。
表現の自由と知る権利は、政治が有効に機能するかどうかにつながっていくわけであり、それを、国家のため、国家の都合で制限されるとなると、正しい政治が営まれなくなります。さすれば、ますます、政府に都合の良い情報だけが国民に伝えられ、都合の悪い情報は排除され、それにより政治がさらにゆがめられる結果となります。
一旦、表現の自由と知る権利がゆがめられてしまうと、悪循環の陥り、自己回復できない状態になります。
だからこそ、憲法21条は、絶対に守らねばならない権利です。
なにがなんでも、守らねばなりません。
民主主義の危機が、今、訪れようとしています。
かつて、ワイマール憲法から、ナチスの台頭へと歴史が動いたように。
ジャーナリストの皆様は、すでにご承知のところであり、記事としても何度も取り上げらているところではありますが、自民案21条で、日本のジャーナリズムは危機に瀕することになるのではないでしょうか?
*******表現の自由の理解のために*******
以下、表現の自由に関する問答集をつくってみました。
想定として、中央区立A小学校の6年生B君と、同校社会科C先生の会話です。
C先生:憲法21条を読んでみてください。
B君:
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
憲法21条の表現の自由には、どんな大切な価値が含まれているのですか?
C先生:憲法21条で謳われている表現の自由は、とても大切な条文です。
そして、その自由には、3つの価値を含んでいます。
自己実現、自己統治、思想の自由市場の3つです。
B君:それぞれ、どんな内容なんですか?
まず、表現の自由が、自己実現につながるのは、どうしてですか。
C先生:自己実現ですね。
私たちは、話したり、表現したりすることを通じて、自分自身を成長させることができることができます。
皆さんも、ひとと話す、コミュニケーションをとるそのやり取りで、毎日成長しています。
時には、批判され反省の念を感じつつ、成長します。難しい言い方では、人格を形成するのです。
また、自由研究で皆さんも調べものをすると思いますが、いろんな情報を集め、分析することで、難しい問題にぶつかっても、先生に教えてもらうことなく、自分で判断できるようになります。自己決定をすることができるようになるのです。
皆さんも、漫画家になりたいと思うひともいると思います。小説家になりたいと思うひともいるでしょう。
クリエイティブな活動をする職業の方は、表現の自由が有るからこそ、それが自分の職業にもなるし、自己実現にも直結しています。
B君:表現の自由は、作家や漫画家、画家、表現活動をされる職業のかたのみを対象にするのですか。
C先生:いいえ。
B君自身にも、私たち、ひとりひとりにあてはまります。
次に、自己統治ですが、これは、私たちの社会の大切な仕組みである、民主主義を支えるとても大切な価値です。
自己実現でも述べましたが、ひとりひとりが、社会に起きている事柄について、情報を集め、分析することで、社会がどうあるべきかについての意見を自己決定することができます。
話し合いに参加し、議論/討論し、そして、結論を出し、社会がどんな形であったらみんなが幸せになることができるかを決めるのです。
自分たちの地域のことは、そのような話し合いで解決して行きますが、区市町村、都道府県、国という風に、もっと範囲が大きくなると、政治家という代表者を選び、その代表者が、区市町村議会、都道府県議会、国会でそれぞれ議会を開き、そこで決定します。
そこに出る政治家を、選挙を通じて選びますが、その時に、ひとり一票持ち、投票によって選ぶことになります。
皆さんも、18歳になると、ひとり一票の選挙権を持つことができるようになります。
だれを選ぶかは、表現の自由がきちんと守られた社会であるからこそ、正しい情報を得て、政治家を選ぶことができるのです。
政治家を選び、その政治家が、私たちの未来の社会を決めるのですから、その判断材料となる情報は、とても大切であることが分かりますよね。
表現の自由の中でも、この政治にかかわる情報は、一番手厚い保護を与えて行かねばならないと考えられています。
B君:政治に関する情報や、知的レベルの高い表現活動にだけ手厚い保護を与えられるってことですか。
C先生:いいえ。
そうではありません。原則として、あらゆる情報を保護することが求められるし、国が表現内容に対する規制は、原則してはなりません。
よい情報か、悪い情報かは、国民自身が決めればよいのです。
このことは、三つ目の思想の自由市場とも関係することです。
表現の自由が認められていれば、社会の中で、よい考え方、意見が残り、悪い考え方、意見は、取捨選択されていきます。
古い考え方は、新しいよい考え方に更新されて行きます。
B君:思想の自由市場ということは、私たちは小学校で、いろんな意見、考え方があることを教わっているのですか?
C先生:とても大切な質問ですね。
小学校では、いろんなことが、基本的には、「答えがひとつ」として、教わっています。
一方、社会には、いろんな意見、考え方があって、今述べている思想の自由市場で、どれが本当によい意見、考え方であるか、見え隠れすることでしょう。
それらを皆さんが、小中学校で学んできた知識をもとに、自分がよいと思う意見や考え方を持てばよいのです。
小学校で使われる教科書は、教科書検定を通過したものの中で、教育委員会で選ばれたものを使用しています。
ある意味、ひとつの正しさを国が決める仕組みになっています。
本来ならあらゆる考え方を書けばよいのですが、そうすれば、教科書はものすごく分厚いものになることでしょう。
限られた時間内で教えきれるように、分量を減らさねばなりません。
高校、大学で入試がありますから、そのための基準となる知識は統一する必要もあります。
皆さんの脳は、素直に、いろんなことを吸収する能力が有ります。
素直に吸収されるからこそ、逆に、私たち教える側でも慎重には慎重を期さなくてはならないと思っています。
大学等高等教育では、教わる側で、教わる先生を選択できますが、皆さんには、そのような選択することもできません。
なおさら、教わる内容、指導法は、一定水準以上をどこでも確保されるように慎重を期さねばならないところです。
B君:早く、大きくなって、いろんなことをもっと学びたいな。
C先生:そうだね。
大きくなると、いろんな考え方があることが分かって、もっともっと学ぶことが楽しくなるよ。
そして、そこでは、憲法23条(学問の自由)「学問の自由は、これを保障する。」が、皆さんが学ぶこと、自由な研究活動を保障してくれます。
がんばってくださいね。
以上
<補足>
表現の自由、知る自由を最高裁では、どう判事しているか。
*****最高裁判例より******
損害賠償請求事件
【事件番号】 最高裁判所大法廷判決/昭和52年(オ)第927号
【判決日付】 昭和58年6月22日
およそ各人が、自由に、さまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会をもつことは、その者が個人として自己の思想及び人格を形成・発展させ、社会生活の中にこれを反映させていくうえにおいて欠くことのできないものであり、また、民主主義社会における思想及び情報の自由な伝達、交流の確保という基本的原理を真に実効あるものたらしめるためにも、必要なところである。それゆえ、これらの意見、知識、情報の伝達の媒体である新聞紙、図書等の閲読の自由が憲法上保障されるべきことは、思想及び良心の自由の不可侵を定めた憲法一九条の規定や、表現の自由を保障した憲法二一条の規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理として当然に導かれるところであり、また、すべて国民は個人として尊重される旨を定めた憲法一三条の規定の趣旨に沿うゆえんでもあると考えられる。
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メモ採取不許可国家賠償請求事件
【事件番号】 最高裁判所大法廷判決/昭和63年(オ)第436号
【判決日付】 平成元年3月8日
憲法二一条一項の規定は、表現の自由を保障している。そうして、各人が自由にさまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会をもつことは、その者が個人として自己の思想及び人格を形成、発展させ、社会生活の中にこれを反映させていく上において欠くことのできないものであり、民主主義社会における思想及び情報の自由な伝達、交流の確保という基本的原理を真に実効あるものたらしめるためにも必要であつて、このような情報等に接し、これを摂取する自由は、右規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理として当然に導かれるところである(最高裁昭和五二年(オ)第九二七号同五八年六月二二日大法廷判決・民集三七巻五号七九三頁参照)。市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「人権規約」という。)一九条二項の規定も、同様の趣旨にほかならない。
日本国憲法第20条。
憲法20条は、信教の自由と、政教分離を規定しています。
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日本国憲法
第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
自民案
(信教の自由)
第二十条 信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。
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政教分離において大事なことは、「個人の信教の自由を厚く保障するとともに、国家と宗教の分離を明確化」することです。
それは、明治憲法の下、国粋主義の台頭とともに、神社に与えられた国教的地位とその教義は、国家主義や軍国主義の精神的な支柱となった」苦い歴史に基づいてのことです。
(「 」は、憲法学者故芦部先生『憲法 第5版』150-151ページ)
最高裁もその経過を、「わが国では、過去において、大日本帝国憲法(以下「旧憲法」という。)に信教の自由を保障する規定(二八条)を設けていたものの、その保障は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という同条自体の制限を伴つていたばかりでなく、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、ときとして、それに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対しきびしい迫害が加えられた等のこともあつて、旧憲法のもとにおける信教の自由の保障は不完全なものであることを免れなかつた。」と述べています(津地鎮祭事件最高裁判例S52.7.13)。
自民案を見るに当たり、大事なことは、1)信教の自由が果たして保障されるのか、という視点と、2)政教分離が約束されるのかという視点です。
以下、自民案と現行憲法の比較ですが、両者1)2)が自民案では、保障されません。
1)自民案で、信教の自由が果たして保障されるのか
信教の自由で大事な20条1項後段において、自民案は、宗教団体の「政治上の権力を行使してはならない。」との文言が削除されています。
宗教団体が、「政治上の権力」を行使できるようにするためではないでしょうか。
結果、明治憲法下で、そうであったように、政治上の権力を行使しうる宗教団体が出る一方で、弾圧される宗教も同時に生じることになります。
2)自民案で、政教分離が果たして約束されるのか
政教分離で大事な20条3項において、
現行憲法:宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない
自民案:特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない
自民案では、二つの意味で国家が宗教活動をすることを可能にしています。
ひとつは、「特定の宗教のための教育」とわざわざ現行憲法では「宗教教育」だったものを、「特定の」という文言を付し限定的に書いています。特定された以外のある種の国による宗教教育は、許されることにならないだろうか?
もうひとつは、「ただし書」を付け加え、堂々と国家が宗教活動できる場合を導入したことです。現行憲法下でも、習俗的行為が行えているにも関わらずです。今後は、「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないもの」という漠然不明確な文言を利用して、国の解釈を広げることで、国が行える宗教活動が拡げられていく可能性があるのではないでしょうか?
以上、自民案20条にすることは、たいへん危険なことだと思います。
宗教団体の皆さん、国民の皆さん、本当に自民案でよいですか?
自民案になれば、「政治的権力を行使」してくる結果、宗教弾圧が生じることが目に見えています。
冒頭にも趣旨を述べましたが、宗教とよからぬものが結び付くと、戦争への歴史の繰り返しです。