「民主主義とは国民が政治に参加する最悪の方法である.
だが,それ以外に国民が政治に参加する方法を
人類はまだ発見していない」
サー・ウィストン・チャーチル卿の名言を、時たま実感しながら、議員をやっています。
その最悪な方法を是正するひとつの回答が見出せそうな考え方をのべた論説に出会いました。
原島良成氏(放送大学准教授)「自治体職員はなぜ法を学ばなければならないか」という論説の中です。(原島氏は、同じ広島大学をご出身であり光栄です。)
その論説を自分なりに理解して書きます。
議員、首長ら政治家は、自分たちの立場で、民主主義、そして公益の実現を目指すことが大切です。
ただ、もう一方で、行政官が公益の実現を目指すのであれば、チャーチルが述べていた最悪の方法である民主主義が、真に機能するようになるのではないかと私は考えます。
以下、原島良成氏(放送大学准教授)論説「自治体職員はなぜ法を学ばなければならないか」を自分なりに解釈して。
【1】行政法の世界
行政法の世界では、役所が裁判所の機能を果たすといいます。
【2】法律や条令の規定の限界
ただ、まちづくりなどでは、法律や条令を見てそのとおり動けば済むとは、限りません。
法律、条例にはすべてが書き込まれていないのです。
「公共の福祉に反すると認めるときは・・・・認可をしてはならない」(砂利採取法19条等)
「公益上必要があると認めるときは・・・を命ずることができる」(浄化槽法28条等)
「(・・・のときは)必要な措置を講ずるものとする」
等、不確定な言い回しで、指針や枠組みだけが示されていたり、具体的な措置が書かれていない条文が数多くあります。
ただし、立法上は、この形で書くのが限界であり、事前に個別の具体的なルールを法律や条令の中に書いておこうとすれば、例外となる場面を詳細に規定しておかなければならない上、そうしたルールの適用を受けるものが「自分を例外扱いしてほしい」と主張して立法が頓挫してしまいます。
法律、条令に具体的な事柄が書かれているときこそ、その条文は、それが適用されるもの(あるいは自分だけ適用を免れるもの)が政治過程でうまく立ち回った結果、自分に都合のよい立法を実現させたのではないかと疑ったほうがよいのかもしれません。
法律、条令がときに不明確なほど抽象的であるというのは、一応、理由があるといえるのです。
【3】具体的場面での法律や条令の執行
では、具体的な場面で、法律や条令を執行する際に、“公益”をもとに判断をすることになります。
「この場面では、これが公益すなわち法である」と役所職員が判断し、一般的抽象的な法律、条令を具体化していくことになります。
行政職員には、まっとうな法感覚が求められるのです。そしてそれは、ひとつの“権力”でもあるわけです。
【4】ところが、まちづくりの場面で実情は・・・
まちづくりの場面、マンション建設を契機とする景観紛争、道路などの公共施設の立地や管理運営をめぐる紛争では、それぞれに「正しさ」を備えたいくつかの利益が対立しているところに、分け入らねばなりません。
ところが、実際は、
開発業者と事業地周辺住民との間で環境利益をどう配分するかは、政治的な「落としどころ」の決断にゆだねられてしまってはいませんでしょうか。
また、まちづくりに対するベテラン職員の熱い思いが、いびつで偏狭な「公益」形成をもたらしていないでしょうか。
【5】区役所が公益を語る責任
①「地方分権」が進むということは、言い換えれば、何が公益にかなうかを判断し、それを実現していく責任を県庁、市役所、区役所が引き受けていくことです。
②「是正命令権限」があるのに、いつまでも「行政指導」でつなぐことは、結果として、根拠法が行政に委ねた公益の具体化を、行政が阻んでいるに等しいといえます。
【6】区役所の立ち位置
むしろ、政治家や個別の住民の意向からある程度距離を置く態度にこそ、住民の多数派や声の大きいものにとってではなくて、誰にとっても重要な利益を発見するヒントが隠されているのかもしれません。
【7】説明責任
上記のような立ち位置とともにもとめられることは、「これこそ公益にかなった対応である。なぜならば・・・」という説明を同時にすることが、とても重要です。
この説明責任が果たされなければならないのです。
単に説明すればよいというものではなく、人を納得させる合理的な内容であることが求めらます。
人情に訴える対話のテクニックも時には有用かもしれませんが、法律・条例の解釈をとことん突き詰めて、行政を導く法的な指示を読み取り個別の対応を正当化する姿勢が、なにより重要になります。
もし、そのような指示が読み取れないとしたら、早急に条例を制定し、大まかな方向を限定しておくことが、必要になります。
その際にも、憲法解釈に踏み込み、また関連裁判例や他市他県の事例を参照し、それでも最後に残るさじ加減に限って、首長の名で正当化するのでなければなりません。
首長はその政治的責任を負います。
【8】行政官とは
行政官たる者、首長という一政治家の政策スタッフを自認しているようでは、公益の実現は危ういです。
法律家の気概を持って、説明責任を全うしなくてはなりません。
以上、
区民・都民が納得できる合理的な内容の説明責任をきちんと行政が果たす。
私が、第二回定例会本会議で述べたかったことのひとつです。
文章の中で、「人情に訴える対話」ということが出てきました。
議員、首長そして行政官が、法律家の気概をもつことが大切なことであることともういひとつ大切なことは、将来の明確なビジョンを示し、それによる安心や元気、夢、希望を住民の皆様に抱いていただけることだと思います。