岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

14年の歳月

2009-01-17 23:49:35 | Y21山の会と、ハイキング
阪神淡路大震災から14年が経った。
新聞記事も小さくなったようだ。
こうして天災は過去のものとなり、そして忘れた頃に再び起こるものだろうか。
備えを怠ってはならない。
といいいながら準備していないのが私。
毎晩、寝袋で寝ているし、リックや懐中電灯などは常にそばにあるが、これは
山の道具がそばに転がっているだけの理由。

今夜のNHKでは、今まで語られていなかった消防士と行政の話だった。
消防は震災当時、何が課題になっていたか。

それは、救助か、消火かどちらが優先されるか、だったという。
同時多発的な火事というものを経験していなかった神戸の消防は、
明らかにパニックに陥っていた。
日頃なら救助と消火は同時に行える。
それが行えないのだ。
(救急車40台を管轄していた赤十字の人がどこに車を走らせばよいのか分からず右往左往したと
救急講座の中で聞いた)

「消防の敗北」と総括するしかなかった。
敗北したのは行政も同じだった。

行政の敗北は数々聞いているが、今夜の「ご遺体の対応」の話は初めてだった。
私の友人は震災の数日後、大阪で葬儀が行われたが、多くの方は
被災地の体育館などに置かれたままだった。

このままでは悲惨なことになると「野焼」も検討されたが、1週間後、なんとか他県に
搬送され荼毘にふされたという。
その間、行政はまったく何もできなかった。
行政の担当者はご遺体の傍に花を供えただけだった。

それまで、各地の防災計画で触れられなかったことがこの2点だったという。
しかし、この経験が日本人になかったわけではない。
先の戦争の空襲で、「消火か救助か」「ご遺体対応」は、数十倍の規模で
経験している。
その教訓は、戦後の日本には生かされていなかったことになる。
天災も人災も忘れた頃にやってくる。

1年前の岩清水日記にも書いています。

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