岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

奈良・正暦寺に参拝しました。

2020-10-06 09:45:42 | 京都・奈良

弘仁寺に参拝後、さらに山奥にある正暦寺を目指しました。

車がすれ違うのも難しいような村の道や山道を3キロほど棚田を眺めながら登りました。

その参道沿いに鎮座していました石仏です。

石仏が集められ圧倒されました。

渓谷の川沿いを上って正暦寺にたどり着きます。

大きな駐車場があります。

今通ってきた小道をバスが通行するとは驚きました。

正暦寺についてです。ホームページはこちらです。

由緒です。

正暦寺は奈良市東南の郊外の山間にあるお寺です。992(正暦3)年、一条天皇の勅命を受けて兼俊僧正(藤原兼家の子)によって創建されました。山号を「菩提山」、院号を「龍華樹院」と号します。創建当初は、堂塔・伽藍を中心に86坊の塔頭が渓流をはさんで建ち並び、勅願寺としての威容壮麗を誇っていました。

しかし、1180(治承4)年、平重衡の南都焼き討ちの際、その類焼を受け、全山全焼、寺領は没収され一時は廃墟と化します。その後、1218(建保6)年、興福寺一乗院大乗院住職信円僧正(関白藤原忠通の子)が、法相宗の学問所として再興して、昔に勝る隆盛を極めました。また、13世紀初め(建暦年間)の頃に、蓮光法師(法然上人の弟子)がこの地に草庵(本殿を安養院・別殿を迎接院)を結び、浄土門の法灯を掲げたこともありました。江戸時代以降は衰退し、ほとんどの堂塔・伽藍は失われました。現在では、福寿院客殿と本堂・鐘楼を残すのみとなっています。

このお寺は平重衡の南都焼き討ちの類焼で廃墟になったとのこと。

南都からは離れた渓流の寺が類焼というのは解せません。

兵がわざわざ火を放ちに来たのでしょうか。

人形供養、清酒の起源、紅葉の寺として知られているそうです。

自らの無知ぶりに驚かされました。

まことに立派なお寺です。

参拝の人は誰もいません。

拝観も可能なんですが恐れ多く山門で参拝して戻りました。

この清流が清酒に欠かせない銘水なのでしょう。

ぜひ紅葉の季節に来てみたいです。

車の混雑を避け、ハイキングですね。

 

お読みいただきありがとうございました。

 



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