岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

京都・三条大橋の刀傷跡のことを初めて知りました。

2024-09-08 07:00:09 | 京都・奈良

京都市の中心部に行くのは2か月ぶりでした。

真夏の京都は鍋底のような暑さといわれ、近郊に住んでいるにもかかわらず夏場は遠慮しております。

京都駅近くに所用があり、その後、地下鉄で烏丸御池まで移動し三条通を京阪三条駅まで戻りました。

四条通りなどと比べて情緒があってぶらぶら歩きには最適です。

 

新発見がありました。

三条大橋の西詰のある立看板に、三条大橋の擬宝珠に「刀傷」があることが書かれていました。

なんと池田屋騒動の折の刀傷というのです。

さっそく見に行くと、確かに刀傷は大小2個あった。

半信半疑で、wikiを見てみた。

こちらです。

しかしなんという死亡者の多さか、30数名です。

大惨事です。

 

獄死、刑死も多い。

宿屋の人も大勢亡くなっている。関係者と思われたのでしょう。

このような大騒動はめったに起こりません。

これを上回る騒動といえば江戸時代には赤穂浪士の討ち入り(死者は切腹を含めて60人程度か)ぐらいではないでしょうか。大規模な戦い(島原の乱、長州戦争、戊辰戦争)は別ですが。

瞬く間に国中に広まったことでしょう。

志士側の重要人物の死者が多いため、明治維新が4年遅れた言われますが、

逆に、幕府打倒の機運が高まったに違いないと思います。

戊辰戦争は憎しみの戦いになってしまいました。

函館まで続くこの戦いは 戦場の遺体を放置したままにするという凄惨なものとなりました。

 

三条大橋の近くに池田屋跡という碑もあります。

大橋に刀傷があるというのも頷けます。ただあくまで伝承です。

そういえば、伏見の寺田屋にも刀傷がありましたね。こちらも真偽のほどはわかりません。

久しぶりの京都見物でした。

 

お読みいただきありがとうございました。

ウクライナとガザに平和を!                                                                                                                                   



最新の画像もっと見る