京都市の中心部に行くのは2か月ぶりでした。
真夏の京都は鍋底のような暑さといわれ、近郊に住んでいるにもかかわらず夏場は遠慮しております。
京都駅近くに所用があり、その後、地下鉄で烏丸御池まで移動し三条通を京阪三条駅まで戻りました。
四条通りなどと比べて情緒があってぶらぶら歩きには最適です。
新発見がありました。
三条大橋の西詰のある立看板に、三条大橋の擬宝珠に「刀傷」があることが書かれていました。
なんと池田屋騒動の折の刀傷というのです。
さっそく見に行くと、確かに刀傷は大小2個あった。
半信半疑で、wikiを見てみた。
こちらです。
しかしなんという死亡者の多さか、30数名です。
大惨事です。
獄死、刑死も多い。
宿屋の人も大勢亡くなっている。関係者と思われたのでしょう。
このような大騒動はめったに起こりません。
これを上回る騒動といえば江戸時代には赤穂浪士の討ち入り(死者は切腹を含めて60人程度か)ぐらいではないでしょうか。大規模な戦い(島原の乱、長州戦争、戊辰戦争)は別ですが。
瞬く間に国中に広まったことでしょう。
志士側の重要人物の死者が多いため、明治維新が4年遅れた言われますが、
逆に、幕府打倒の機運が高まったに違いないと思います。
戊辰戦争は憎しみの戦いになってしまいました。
函館まで続くこの戦いは 戦場の遺体を放置したままにするという凄惨なものとなりました。
三条大橋の近くに池田屋跡という碑もあります。
大橋に刀傷があるというのも頷けます。ただあくまで伝承です。
そういえば、伏見の寺田屋にも刀傷がありましたね。こちらも真偽のほどはわかりません。
久しぶりの京都見物でした。
お読みいただきありがとうございました。
ウクライナとガザに平和を!