岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

地域の要、ボランティアについて考えてみた。

2014-03-30 14:38:45 | 日本の仲間
現代の人々にとって、ボランティア活動は身近なものになっていると言っていいと思う。

地域に住む限りまったく無縁というわけにはいかない。
集合住宅の住民であっても、管理組合やPTAという地域活動はしなくてはならない。
このようなことは地域で生活する基盤というか義務的なことで、私だけ堪忍というわけにはいかない。

ボランティア活動は多岐にわたっている。
近年、特に増加しているように感じる。
度重なる大災害の支援もボランティア活動を抜きにありえない。
もちろん、これから起こると想定される大災害に備えるにもボランティア活動抜きには考えられない。

災害は地域で起きる。
現場は地域である。
そこに住む人々が初期活動をする以外にない。

地域社会の衰退が進んでいるといわれ続けてきた。
その通りだと思う。
だが、現状は衰退させるわけにはいかないのだ。
安倍さんがいう「強靭な国家建設」はいい加減にしてほしいが、
強靭な「地域共同体」は造らなくてはならない。
それも排他的でない開かれた共同体が必要だ。
それが可能か。
可能な地域もあるだろうし、できない地域もあるだろうと思う。
それが可能になるためには、まさしくボランティアの力が必要だ。
地域のボランティア活動なくして、地域共同体の再生は考えられない。

医療や介護は、「施設、病院から地域へ」と地域包括ケアを謳う。
災害対策や育児なども同様だ。
地域で支えることが求められている。
今や、頼るべき家族や親族がいないかわずかな人も多い。
遠くの親族より身近な隣人がボランティアしなくてはならなくなった。

ボランティアなくして、地域包括ケアなど絵に描いた餅だ。

ところで、頼るべきボランティアは大丈夫なのかと、問わなくてはならない。

まず、ボランティアたるべき人材が育成できる環境があるのか。

「会社人間」中心の日本社会は、ボランティア活動をやりにくい社会となっている。
長時間労働に疲れた人々が積極的自発的にボランティア活動をできるはずがない。

国や自治体はボランティア活動に頼らざるを得ない。
ならば、男女とも勤務時間の短縮やワークシェリングを国が率先する必要がある。
ボランティアための重要な人材を、企業が独占していたのだが、これからはそれでは立ち行かないのだから。


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