岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

私が総理大臣になったら。

2009-10-21 00:11:03 | 国民と国会と政治
まず、国のかたちの理念を語らなくてはなりません。
「友愛」だけでは説得力に欠けるといわれますが。

まず、世界の中での位置づけをどこに置くかという「部分としての日本」。
もう一つは、日本人全体としての日本」。その統治の理念。

ここでは歴史的洞察を欠かせない。
なぜ日本が現在、ここにいるのかをいま一度考えなくてはならない。
1.鎖国と開国。
日本人は基本的には鎖国型の国民だと思う。
圧力がなければ、閉じようとする。
そのため、国内と海外との連続性より断続性へとベクトルが働く。
鎖国型というのは内向き志向であり、ときどき溜まったものが爆発する。
国家的なガス抜きだ。

現在も基本は内向きだが、アメリカにだけは心を許したが、もっと外向きになれと内外から叫ばれている。
東アジアとの関係だ。

東アジアとの関係は、同じ戦争相手国でもアメリカの関係とはまったく異なる。
難易度はアメリカの10倍ほど難しい。
それほどの歴史の積み重ねがある。
ていねいな外交が必要だ。小泉氏のような単純な思考(どう考えても)では、上手く行くわけがない。

アジアの国家間での結びつきをどのような言葉で言い表すか。
鳩山首相は「友愛」といった。
ほかの一口で言い表す理念はなんだろう。

私自身は「連帯」という言葉が浮かぶ。
繋がることに重きを置く。
国ごとの違いよりも、繋がることに重きを置く。

「緩やかな合国(ユナイテッド)」。
そして、「友愛」をベースにということか。

次に国内的な統治ということを考えてみたい。

自由という言葉について考えてみる。
個人の思うように活動しても、大きな困難には直面しないという考えがあった。
なるべく自由に活動すればいいと。
この考えても、それほどおかしくならないという時代もあったのだと思う。
しかし、現代ではそれは無理になった。
倫理や道徳、宗教がもつ規律性では、「国のかたち」は保てない。
法という制度を張り巡らせることが、未だかつてないほど必要になっている。
「法の網の中での自由」を甘んじるしかない。

それでも、強権という手段を用いないというなら、統治者の存在価値はある。

かなりの制約をいかに納得して生活していくか。
ここでは「友愛」という言葉は、少し弱いような気がする。

少しならずの負担を覚悟する意志が必要な時代になっている。
その負担の先が明るいかどうかも定かではない。

それでも、前向きに生きるための指針の言葉はなんだろうか。
「寛容」という言葉が浮かぶ。

寛容力に支えられた「こころ広く」「おおらかな国」になりたいものだ。

※写真は吉備津彦神社の秋祭り。

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