
広げた風呂敷は畳むでもなく、投げ捨てられた。
何も事前に詰められることなく当日になった。
日本の懐深く呼び込む思惑は、巌流島の戦いにもにて、遅延策で肩透かしされた。
安部氏にとって長時間会談はせめてもの抵抗だった。
全体の流れを観て考えるのは、なぜプーチンは日本に来たか。
手土産はあると思った日本側だがそんなものは持ってこなかった。
プーチンにとっては日本訪問自体が大きな譲歩で、それだけで十分だと考えていた。
北方領土を日本に返せば、すなわち米国の一部になると思っている。
少なくとも軍事同盟上はそうなる。
今もなお、領土拡張をしている国が70年前の国境変更を受け入れるとしたら、なにかとてつもないワケがある。
今はない。どう考えてもない。
ならなぜこんな外交上の失敗を仕出かしてしまったのか。
ガセネタでもあったのか。
今、世界の情勢は揺れに揺れている。
こんな時こそ、世界をリードする動きを日本がしなくてはならないと安部は思ったに違いない。
しかし、日本はゲームメーカーではない。
世界の強国を目指すという安部路線はやはり無謀なのだ。
勘違いしてはならない。