これは政権与党が国会で譲歩を重ねていることについての支持者からの批判のことばです。先日の国政報告会でのことです。
主に年配の男性からの発言です。
女性からはこのような発言はありません。
マニフェスト通りにいかないことへの叱責も聞こえます。
このような発言を聞いていて、そういえば私たちも「社会福祉」に理念がないとよく言っていたことが思い出されます。
鳩山さんの「友愛」、管さんの「最少不幸社会」は理念といってよいかもしれません。
わたしたちは、理念があって、理念へのプロセスをきちんと考え実行すればうまくいくはずと考えます。
しかし現実は、特に政治の世界ではそれがうまくいきません。
政治の世界は、もっとも「人間的」な世界と言ってよいでしょう。
「人間的」というのは欲や野望も嫉妬も渦巻いているという意味です。
もちろん、駆け引きの場です。
このような場で理念とはどのようなものでしょう。
理念の御旗を上げれば上げるほど、交渉は行き詰まります。
対向相手は、一方が掲げる理念が気に入らないのですから。
政治は妥協の産物です。
それは理念を引っ込め交渉の舞台に上がるということです。
ねじれ国会とは、理念を語れない国会運営の場かもしれません。
理念という言葉が空虚に聞こえる。
そのような場もあるようです。