この2007年に出版された書籍を、岡山からの電車の中で読んでいた。
中国東北部の農民の方々の証言である。
現在、中ほどまで読み進んでいるが、本当に読むのが辛い本だ。
今、日本では中国バッシングが強いが、65年前の事実も知らなくてはならない。
昭和の初め、日本からは百万人以上が「満州」に渡った。
(最後の「渡満者」は昭和20年、すなわち敗戦直前まで入植していた。
戦況は知らされていなかった)
そのうち、「開拓民」といわれる人々は、27万人といわれる。
この「開拓民」は、日本国内の疲弊した農村の分村開拓として大陸に渡った
ケースが多い。
地域でいえば、長野県が最多だ。10人に一人はこの県の出身である。
それだけ農村が疲弊していた。
しかし、彼らは「満州」の荒野を開拓したわけではない。
今や多くの人が知っていると思うが、すでに開拓されていた中国人の
耕地を、市価の5分の1程度で強制的に買い上げたのだ。
そのため、まずは武装農民が入植した。もちろん中国人による抵抗があった。
これは、明治の北海道開拓の中心である「屯田兵」と同じである。
イスラエルのキブツも同じ武装農民制度だ。
屯田兵は、北海道の厳しい気候のために成功したとはとてもいえない。
それではなぜ、再び、「満州」に武装農民を送ったか。
すでに開拓された肥沃な土地があったからだ。
当初から農地開拓するつもりはなかった。
(「開拓民は、日本の水稲農業しか知らないので、中国人が雇われ耕作をした)
先住していた中国人は、自分達の土地と家屋を、日本人に明け渡して
出て行った。いや出て行かされた。
「開拓民」の中には、追われていく中国人に涙した人もいたようだ。
しかし、だれが、この中国の民のその後を知っているのだろうか。
彼らは「県内開拓」という荒地の開墾に向かうのである。
開墾などできる土地ではない。
劣悪の環境に、凍え、餓死した人が多い。また伝染病も蔓延していった。
このような事態は放置されたままだった。
中国の人々の証言を読むのはつらい。
各証言に共通しているのは、
・日本人はよく殴る。へたをしたら殺されそうになる。
(日本軍隊をみればよくわかる。とにかく理由なくても殴る。
これは文化かと思うほどである)
・命を軽んじる。(他人も、自らもだ。)
・武器を携帯している。
・ゆえに、いつも、恐れていなくてはならなかった。
かって、英国で、写真家と仕事をした折に、日本人の印象を聞いたことがある。
彼は、日本人は「ブラディ」という印象だといった。
これは、東南アジアで日本人と戦った人々が感じたことだと思う。
私も、他人事とは思えない。「開拓民」と同じ状況なら、同じことを
しかねないのだ。
どうして、こうなるのだろうか。
つらいことだが、知らなくてはならないことだと思う。
中国東北部の農民の方々の証言である。
現在、中ほどまで読み進んでいるが、本当に読むのが辛い本だ。
今、日本では中国バッシングが強いが、65年前の事実も知らなくてはならない。
昭和の初め、日本からは百万人以上が「満州」に渡った。
(最後の「渡満者」は昭和20年、すなわち敗戦直前まで入植していた。
戦況は知らされていなかった)
そのうち、「開拓民」といわれる人々は、27万人といわれる。
この「開拓民」は、日本国内の疲弊した農村の分村開拓として大陸に渡った
ケースが多い。
地域でいえば、長野県が最多だ。10人に一人はこの県の出身である。
それだけ農村が疲弊していた。
しかし、彼らは「満州」の荒野を開拓したわけではない。
今や多くの人が知っていると思うが、すでに開拓されていた中国人の
耕地を、市価の5分の1程度で強制的に買い上げたのだ。
そのため、まずは武装農民が入植した。もちろん中国人による抵抗があった。
これは、明治の北海道開拓の中心である「屯田兵」と同じである。
イスラエルのキブツも同じ武装農民制度だ。
屯田兵は、北海道の厳しい気候のために成功したとはとてもいえない。
それではなぜ、再び、「満州」に武装農民を送ったか。
すでに開拓された肥沃な土地があったからだ。
当初から農地開拓するつもりはなかった。
(「開拓民は、日本の水稲農業しか知らないので、中国人が雇われ耕作をした)
先住していた中国人は、自分達の土地と家屋を、日本人に明け渡して
出て行った。いや出て行かされた。
「開拓民」の中には、追われていく中国人に涙した人もいたようだ。
しかし、だれが、この中国の民のその後を知っているのだろうか。
彼らは「県内開拓」という荒地の開墾に向かうのである。
開墾などできる土地ではない。
劣悪の環境に、凍え、餓死した人が多い。また伝染病も蔓延していった。
このような事態は放置されたままだった。
中国の人々の証言を読むのはつらい。
各証言に共通しているのは、
・日本人はよく殴る。へたをしたら殺されそうになる。
(日本軍隊をみればよくわかる。とにかく理由なくても殴る。
これは文化かと思うほどである)
・命を軽んじる。(他人も、自らもだ。)
・武器を携帯している。
・ゆえに、いつも、恐れていなくてはならなかった。
かって、英国で、写真家と仕事をした折に、日本人の印象を聞いたことがある。
彼は、日本人は「ブラディ」という印象だといった。
これは、東南アジアで日本人と戦った人々が感じたことだと思う。
私も、他人事とは思えない。「開拓民」と同じ状況なら、同じことを
しかねないのだ。
どうして、こうなるのだろうか。
つらいことだが、知らなくてはならないことだと思う。