岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

東北の旅 報告 その6 山田町4 小谷鳥集落

2013-04-28 14:12:20 | 東北 2013年4月
被災された地区を訪問しました。
写真の下の部分が、船越(顔写真がある地点)、船越大浦(船越の右)、船越小谷鳥地区(大浦の南、地名記載なし)です。
外洋に面した船越は、土地が低く山田湾にも面しています。
大きな津波が襲えば、外洋から山田湾に津波が津波が突き抜けていきます。
東日本大震災も同様でした。
壊滅的な被害を受けました。
小谷鳥地区も外洋に面した美しい浜を持つ良港です。
今までの津波でも例外なく多大な被害を受けています。



小谷鳥集落です。



漁港と美しい砂浜がありました。

浜辺方向から、住宅のあった区域を望むと、


振り返ります。



津波はこの地点まで登ってきたそうです。下の写真です。
目測で30m近い高さです。



人々が住んでいたという痕跡もほとんどありません。
外洋に面していて、緩斜面を持つこの集落を、津波は突き抜けていったのでしょう。
信じられない風景です。

「岩手日報の被災地を歩く 本社記者ルポ」に小谷鳥集落が掲載されていました。2011年12月21日の記事です。

「太平洋の外海に向かって口を開けたような山田町船越の小谷鳥(こやどり)集落、ぐにゃりと曲がったガードレールに支柱や折れた木。海抜20m以上の高さにある大津波の痕跡を半年ぶりに目の当たりにし、あらためて被害の大きさを感じた」

取材から1年半を経過した現在も村に大きな変化は見られない。

「小谷鳥集落の現状(2011.12) ワカメやコンブの養殖、ウニ、アワビの漁が盛んな漁村だが、集落の居宅棟数31戸のうち20戸が全壊。山田町復興計画の素案では必要最低限の漁港機能を再生し、居住地は小谷鳥集落の高台に配置する案と、少し離れた大浦小周辺に大浦集落の世帯も含めた大きな居住地を集約する案が示されている」

その後、計画はどのように進んでいるのか。どちらにしても、人々がかつて住んでいた小谷鳥集落は永遠に姿を消してしまうことになった。

ネット上に詳細な調査結果が公開されていました。


※小谷鳥集落の明治大津波の記録が岩手公報に残っている。
 舟越の字小谷鳥より大浦に超ゆる山頂に、船つなぎ場と称する高き古跡ありて、古老の伝えに五百年前の大津波のありしときは水この山に上がり、船をつなぎしとこ処なりとて標建てるなり。 


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