午前中は、親類巡りをして帰省の挨拶。義理人情は大切に。
【道の駅と景観と】
夕方にかけて、転勤前に道の駅に関するある会合で一緒だったメンバーの集まりがあって、それに参加してきました。
話題は、道の駅のこと。今の道の駅に期待されている役割は、トイレ、地域物産のおみやげ購入ということが中心となっていて、確かに利用は増えているものの、さらに地域に役立つ施設として活用できるのではないか、という発想です。
そこでは、地域からの情報発信を強化することで、地域に対する関心を呼び起こすことができないだろうか、そしてそれでは情報発信を強化するためにはなにをすべきか、という議論を熱く語り合いました。
また、そうしたここの道の駅でがんばって努力している事例をとにかくたくさん集めて、他の道の駅への参考にしようという試みもあって、昨年度末には道内に約100カ所ある道の駅をほぼすべてを現地調査もしてもらったのでした。
この間、北海道開発局もがんばって、現在各道の駅におかれている情報提供装置の画面内容を一新して、この3月からなんと日本語はもちろん、英語、韓国語、中国語にも対応した画面を提供しているとのこと。
おまけに、地域から提供された情報をモニターの画面内で紹介もできるようにしてあるとのことで、これからはやる気と能力のある道の駅とそうでないところの差がついてくるかもしれません。
ここで得られたユニークでおもしろい情報は、今後公開されてさらに道の駅の改善に役立つことでしょう。
道内旅行をするときは、道の駅の情報提供ボックスに注目です。
* * * * *
その後はいつものことながら、懇親会へとなだれ込み、会合では言えなかった思いなどについてお酒も交えて語り合いました。
開発局の研究機関で景観を担当しているAさんは、道の駅にも景観にも情報にも詳しいスーパーマンみたいな人。
このAさんが「おもしろいですよ」と言っていたのが、『失われた景観』(松原隆一郎著 PHP新書)という本。
Aさん曰く「その本の中で、『空中電線がホワイトノイズだ』という話があって、おもしろく読めましたよ」とのこと。
(どこかで聞いたことのある本のタイトルだな)と思って家に帰ってから書棚を見てみると、やっぱり! ありました。以前興味を持って買っていたのですが、最初の十数ページで読むのが止まっていたのです。
Aさんから紹介を受けたのを機会に改めて読み直してみましたが、なるほど興味深い事が書かれています。
なかでも引かれたのは、日本では当たり前の空中の架空電線のお話。
筆者の松原さんは、「生活圏の景観」というキーワードを出して、こう書いています。
「生活圏における景観は、偶然によって現在のような形をとるに至ったのではない。景観とは歴史的建築物や伝統的街並みや自然環境のことだと狭く解釈すると、それからはずれた生活圏から見た情景は、いかように変化させられようと保全の対象とは見なされない」
「そこで国民に電力会社に電線の地中化を求めるよりも電気料金引き下げを望む傾向があり、土地所有権に関して個人の自由な処分を重視する法的な判断があり、地域の景観よりも経済振興を重視する国と自治体の住宅政策や都市計画があり、幹線道路脇に点在する派手な外観を持つ小売店を指示する消費者行動があり、家の外観をどうすべきかという公共意識があって、日々の暮らしで目にする景観は、めまぐるしいほど作り替えつつある」
「すなわち景観は全体として経済状態の反映であり、国土開発の帰結であり、都市計画の結果でもあるのだが、とりわけ生活圏における景観は、高邁な理想からは漏れるものであるだけに、戦後日本の達成したものが集中的に映し出されているのである」
いや、まさにその通りであって、生活圏の景観の乱れの要因を一言で言い表しています。
* * * * *
さて、架空電線の話。
この本で紹介されているのは、あるインターネット上のサイトでやりとりされた意見交換で、そのなかで「・・・ある人が、空中架線は普段は意識されないがいったん気づくと気になってしようがない『ホワイトノイズ』なのだ、と述べたのである。『ホワイトノイズ』というのは秀逸な表現で、冷蔵庫やエアコンの出す音のように、意識の周縁でかすかに不快と意識されるようになった、それが生活圏の電線類だ、ということだろう」と書かれている。
また、電線地中化先進国であるヨーロッパやアメリカの歴史の中でも意外な事実を明らかにしていて、これらの国でも景観保全を第一目的として電線が地中化されたという言い方は必ずしも正確ではない、ということなのだそう。
たとえばイギリスでは、十九世紀末に街灯をつけることが重要な社会的政策になったのですが、その際にガス灯と電気の街灯との競合が起き、ガスは必ず埋設にするため不利なので、電線も地中化して競争を公平にするということとし、架空線が禁止されるということになったのだとか。
またアメリカでは、1880年代のニューヨークなどは今の日本などより遙かにひどい蜘蛛の巣のような架線の風景だったのですが、その多くが『裸線』で絶縁状態が悪く、人がふれて感電死する事故が続発し、それゆえ行政が主導して地中化を行ったという経緯なのだそうです。
翻って日本では、電力供給が盛んになった時期がアメリカよりも半世紀ほど遅れたために、電線を被覆する技術が確立してしまっていて、空中を張り巡らしても電線の安全面での問題がなくなってしまっていたのだそうです。
今でも電力の安定的で安価な供給が至上命題とはいえ、変圧器も小型化されるなど技術も進歩しているはず。
今でも幹線道路などから順番に電線の地中化を進めているとはいえ、その歩みはきわめて遅いものです。「美しい国日本」を実現するためには景観は重要な要素のはず。
景観面でも防災面でも豊かな国になれるのはいつのことやら。
【道の駅と景観と】
夕方にかけて、転勤前に道の駅に関するある会合で一緒だったメンバーの集まりがあって、それに参加してきました。
話題は、道の駅のこと。今の道の駅に期待されている役割は、トイレ、地域物産のおみやげ購入ということが中心となっていて、確かに利用は増えているものの、さらに地域に役立つ施設として活用できるのではないか、という発想です。
そこでは、地域からの情報発信を強化することで、地域に対する関心を呼び起こすことができないだろうか、そしてそれでは情報発信を強化するためにはなにをすべきか、という議論を熱く語り合いました。
また、そうしたここの道の駅でがんばって努力している事例をとにかくたくさん集めて、他の道の駅への参考にしようという試みもあって、昨年度末には道内に約100カ所ある道の駅をほぼすべてを現地調査もしてもらったのでした。
この間、北海道開発局もがんばって、現在各道の駅におかれている情報提供装置の画面内容を一新して、この3月からなんと日本語はもちろん、英語、韓国語、中国語にも対応した画面を提供しているとのこと。
おまけに、地域から提供された情報をモニターの画面内で紹介もできるようにしてあるとのことで、これからはやる気と能力のある道の駅とそうでないところの差がついてくるかもしれません。
ここで得られたユニークでおもしろい情報は、今後公開されてさらに道の駅の改善に役立つことでしょう。
道内旅行をするときは、道の駅の情報提供ボックスに注目です。
* * * * *
その後はいつものことながら、懇親会へとなだれ込み、会合では言えなかった思いなどについてお酒も交えて語り合いました。
開発局の研究機関で景観を担当しているAさんは、道の駅にも景観にも情報にも詳しいスーパーマンみたいな人。
このAさんが「おもしろいですよ」と言っていたのが、『失われた景観』(松原隆一郎著 PHP新書)という本。
Aさん曰く「その本の中で、『空中電線がホワイトノイズだ』という話があって、おもしろく読めましたよ」とのこと。
(どこかで聞いたことのある本のタイトルだな)と思って家に帰ってから書棚を見てみると、やっぱり! ありました。以前興味を持って買っていたのですが、最初の十数ページで読むのが止まっていたのです。
Aさんから紹介を受けたのを機会に改めて読み直してみましたが、なるほど興味深い事が書かれています。
なかでも引かれたのは、日本では当たり前の空中の架空電線のお話。
筆者の松原さんは、「生活圏の景観」というキーワードを出して、こう書いています。
「生活圏における景観は、偶然によって現在のような形をとるに至ったのではない。景観とは歴史的建築物や伝統的街並みや自然環境のことだと狭く解釈すると、それからはずれた生活圏から見た情景は、いかように変化させられようと保全の対象とは見なされない」
「そこで国民に電力会社に電線の地中化を求めるよりも電気料金引き下げを望む傾向があり、土地所有権に関して個人の自由な処分を重視する法的な判断があり、地域の景観よりも経済振興を重視する国と自治体の住宅政策や都市計画があり、幹線道路脇に点在する派手な外観を持つ小売店を指示する消費者行動があり、家の外観をどうすべきかという公共意識があって、日々の暮らしで目にする景観は、めまぐるしいほど作り替えつつある」
「すなわち景観は全体として経済状態の反映であり、国土開発の帰結であり、都市計画の結果でもあるのだが、とりわけ生活圏における景観は、高邁な理想からは漏れるものであるだけに、戦後日本の達成したものが集中的に映し出されているのである」
いや、まさにその通りであって、生活圏の景観の乱れの要因を一言で言い表しています。
* * * * *
さて、架空電線の話。
この本で紹介されているのは、あるインターネット上のサイトでやりとりされた意見交換で、そのなかで「・・・ある人が、空中架線は普段は意識されないがいったん気づくと気になってしようがない『ホワイトノイズ』なのだ、と述べたのである。『ホワイトノイズ』というのは秀逸な表現で、冷蔵庫やエアコンの出す音のように、意識の周縁でかすかに不快と意識されるようになった、それが生活圏の電線類だ、ということだろう」と書かれている。
また、電線地中化先進国であるヨーロッパやアメリカの歴史の中でも意外な事実を明らかにしていて、これらの国でも景観保全を第一目的として電線が地中化されたという言い方は必ずしも正確ではない、ということなのだそう。
たとえばイギリスでは、十九世紀末に街灯をつけることが重要な社会的政策になったのですが、その際にガス灯と電気の街灯との競合が起き、ガスは必ず埋設にするため不利なので、電線も地中化して競争を公平にするということとし、架空線が禁止されるということになったのだとか。
またアメリカでは、1880年代のニューヨークなどは今の日本などより遙かにひどい蜘蛛の巣のような架線の風景だったのですが、その多くが『裸線』で絶縁状態が悪く、人がふれて感電死する事故が続発し、それゆえ行政が主導して地中化を行ったという経緯なのだそうです。
翻って日本では、電力供給が盛んになった時期がアメリカよりも半世紀ほど遅れたために、電線を被覆する技術が確立してしまっていて、空中を張り巡らしても電線の安全面での問題がなくなってしまっていたのだそうです。
今でも電力の安定的で安価な供給が至上命題とはいえ、変圧器も小型化されるなど技術も進歩しているはず。
今でも幹線道路などから順番に電線の地中化を進めているとはいえ、その歩みはきわめて遅いものです。「美しい国日本」を実現するためには景観は重要な要素のはず。
景観面でも防災面でも豊かな国になれるのはいつのことやら。