北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

密集地の防災公園~これが私のお仕事

2007-04-10 23:16:46 | まちづくり
 毎晩遅くまでパソコンの調整をしています。モニターとキーボード、マウスが一台しかないのを、二台の本体につなぎ替えながら作業をしているので効率的ではありません。
 昨日もとうとうブログが書けませんでした。

【東京の下町界隈】
 今日は午後から、都内でお仕事をさせてもらっている現場を回ろうと、担当のチーム二人と都内に飛び出しました。

 まずは都内北区の西ヶ原へと向かいました。西ヶ原へは、山手線大塚駅から都電荒川線に乗り換えてゆらゆらと向かいます。

 都電に乗るのは初めてでしたが、お年寄りが中心とはいえ日中でもこれだけたくさんの人が乗っているなら商売になるなあ、というのが印象。

 庚申塚駅には、なんと降りたホームに直結した甘味処もあったりして、相当昔からの土地利用の名残を実感しましたよ。写真も撮ってあるのですが、今は画像をパソコンにアップするアダプターがないのでご紹介できないのが残念です。

 西ヶ原で作っている防災公園は、東京外語大学が移転した跡地を使って災害時に避難地になるような公園空間を作り、併せて周辺の木造密集住宅地の防災環境を改善しようというものなのです。

 実際、外大があったころは、敷地の周辺の道路は幅員が2メートルくらいしかなかったものが、移転し公園になる過程で敷地の外周を使って道路幅員を大幅に拡幅し、災害時にも緊急車両の交通が確保できました。

 私の勤めている都市再生機構が施行できる事業は、公園単独では駄目で公園とセットで公共的施設が作られることが条件になっています。ここでは住宅や老人福祉施設が予定されていて、周辺の環境は著しく良好になることでしょう。

 しかし一歩この周辺の住宅地の道路に入り込もうものなら、2mもあるかないかの細い道路がくねくねとしていてそこに木造の住宅が密集するという、典型的な木造密集市街地です。

 歴史のある大都会には歴史の流れの中で仕方なくできあがってしまっている密集住宅地がまだまだ多いのです。

 こうしたところで一度大地震が発生して火災が起きると、隣との距離がこれだけ近いために延焼は必至の状態。これをくい止めるにはやはり延焼防止帯や緊急路としての道路や、復旧・復興拠点としてのオープンスペースは都市にとって欠かせない施設と言えるでしょう。

 しかしそこまでは分かっていながらも、現実には住宅地を壊したり移転させたりして空間を作ることは不可能です。そこで、こうした大学などが移転するという跡地を利用することが極めて有効なのです。ここはそう言う意味で、典型的に良い例の一つでしょう。

    ※    ※    ※    ※

 続いて移動したのが、杉並区の桃井。ここは日産自動車の工場があったところなのですが、カルロス・ゴーン社長の鶴の一声で移転が決定して、会社の負債を消すために早急に土地を売りたいという話があったもの。

 そこでわが機構がこれを一気に買い取り、取得した土地を民間の事業者や区と協議して、住宅地や公園として整備した、これまた好事例です。

 こちらの公園とした部分は面積が4ヘクタールもあって、今は仮開園として実に広大な原っぱになっています。

 仮移植した木には凧が引っかかっていました。都内で凧の揚げられるような楽しい空間ってほとんどないのではないでしょうか。

 土地を高度利用して、空間を生み出しながら住環境と防災性を向上するという視点が都市づくりには必要な視点ですね。

 目下の悩みはこうした大規模な種地が生まれづらくなっている点。それもかつては下落の一途だった土地が上昇に転じ、民間デベロッパーと土地の奪い合いになったときには、いくらでも値をつり上げられる民間事業者にどうしても負けてしまうからです。

 これが私の守備範囲というわけです。

 これからも都内の密集市街地を駆けめぐって、面白い土地柄をご報告しますよ。今日は随分歩いたなー。
コメント (6)
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