北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

二宮尊徳先生の生地、小田原を訪ねる

2007-04-07 23:51:17 | Weblog
 新しい住まいで最初の休日。普段の日にはなかなかできない掃除や洗濯に精を出しました。
 まだ少し気温は低めですが、これが過ぎると一気に暑くなりそうな予感。

【いざ小田原へ】
 午前中は掃除です。ホウキで部屋のゴミを集めて借りている掃除機で吸おうとしたのですが、どうも吸い込みが悪い。

 どうしたんだろう、と中を開けてみると、なるほどゴミを集めるゴミパックがついていないのでした。

 さてさて、この掃除機古いタイプでもう取扱説明書もありません。メーカーのホームページでようやくゴミパックのタイプを知り、市中に買いに出たのですが、ちょうど駅周辺の商店街にそのメーカーのショップがあり、入ってみるとまさにそのものズバリの商品が置いてありました。

 ショップのおじさんによると、「掃除機のゴミパックは、純正を使うようにした方がよいですよ。汎用タイプは、どのメーカーにでも合うように吸い込みのところを大きめに作っていますから、ごみが漏れることがあるんです。掃除機のモーターは精密機械ですから、ゴミが入ると調子が悪くなりますからね」とのこと。

 掃除機のゴミパックが「純正」とは。ふうん、知らなかったなあ。

    ※    ※    ※    ※

 そんなこんなで午前中を過ごし、午後になってから思い立って小田原へ行くことにしました。

 小田原に行く意味は、なんといっても二宮尊徳さんの生地であるということ。掛川にいるうちに行っておけば良かったのですが、とうとうそれを果たせずにいたのです。

 しかしそれが今回、こういうご縁で川崎に来たということは、ついに「小田原に来ても良いよ」という許しがでたような気がしていたのでした。せっかくですから早速行ってみることにしたのです。

 小田原まではさすがに遠くて、急行に乗り換えたりしながら、一時間半ほどかかってようやく小田原の栢山(かやま)駅に到着。

 二宮尊徳さんは、1787年にここ栢山村で生まれたのです。小田急栢山駅から歩き始めて、その当時氾濫で地域を苦しめた酒匂川(さかわがわ)も見てきました。

 堤防沿いには松が植えられていて、幼い金次郎が松を植えた話をそのまま彷彿とさせる風景でした。

 今日の目的は尊徳記念館の横にある生家。この生家は、二宮金次郎が誕生してから16歳になるまで住んでいた家で、金次郎が生まれ、育った家が当時の姿で誕生地に復元されているのです。

 地図を片手にあたりを散策しながら歩いていると、善栄寺というお寺がありました。

 ここには尊徳先生のお墓があって、尊徳さんの弟が、尊徳さんの遺髪と歯を持ち帰って祀ってあるのだそうです。お墓も参ることができて良かった。

 尊徳さんの生家は、当時としては典型的な中流農家の家構えなのだそうで、土間に囲炉裏のある板間、そして仏壇のある畳の間、という構成です。シンプルな中に趣がありました。

 記念館では、アニメで生涯を紹介するビデオが見られます。入館するときに、「北海道から来ました」というと、係の女性は驚いていましたが、中を見ているときにボランティアの方が近づいてきて、北海道にまつわる報徳のお話しも教えてくれました。よかったあ。

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 さて、そのついでに、酒匂川の対岸にある大友(おおども)地区も訪ねました。こここそ、札幌開拓の礎を築いた大友亀太郎の生地なのです。

 残念ながら大友亀太郎の足跡を示すものに出会うことはできませんでしたが、これまで大友亀太郎の話を何度となくしていた自分にとって、彼の生地を訪ねることで話に現実感が伴うような気がしました。

 尊徳さんと大友亀太郎の生まれた土地にやっと来ることができ、なにか胸のつかえが取れた思いがしたのでした。

 小田原に着いてからはずっと歩きづめで疲れましたが充実した一日でした。内地にはこうした歴史を上手に使ってまちのアイデンティティを出している例がたくさんありますね。

 小田原市では、小田原城の近くに今日訪ねた記念館よりももっと展示内容が充実した報徳博物館というのもあるそうですし、その近くには二宮神社もあるそうです。

 一日で行ってしまわずに、ここは次の機会に取っておくことにしましたよ。

 小田原の旅は良かったけれど、自転車があるともっと良かったかな。やはり徒歩では行動範囲が限られてしまうのでした。
コメント
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