北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

上野~根津~谷中を歩く

2007-04-22 23:52:13 | 東京ウォーク
上野の博物館からのまち歩きです。

【昼食はアメ横】
 昼食は、JR徒町駅のガード下のアメ横の一角にあった、丼のお店。食べるのは路上に広げられたテントの下のテーブルで、これは帯広の屋台村の元祖みたいなものですね。

 ここは海鮮の各種丼が東京にしては安い価格で提供されているのです。私は特別丼を頼みましたが、マグロ、鮭、ホタテ、いくらの四色丼で700円とは安いよね。


 イクラがちょっとしょっぱいのと、ご飯のボリュームがもう少しほしいところですが、十分にお値打ちです。長蛇の列ができるのも納得です。

   *    *    *    *    *

 さて、お腹が満たされたところで、上野の裏筋を歩いてみることにしました。まずは湯島天神から。

 湯島天神をWikipediaで見てみると、

~~~Wikipediaより~~~
 社伝では、雄略天皇2年(458年)1月、雄略天皇の勅命により天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建されたと伝えられている。南北朝時代の正平10年(1355年)、住民の請願により菅原道真を勧請して合祀した。この時をもって正式な創建とする説もある。当の湯島天満宮では458年創建としている。

 徳川家康が江戸城に入ってから徳川家の崇敬を受けた。江戸時代には、多くの学者・文人が訪れ崇敬を集めた。明治5年に郷社に列し、明治18年に府社に昇格した。平成13年(2001年)に神社本庁の別表神社に指定された。
~~~~~~~~~~~~

 ・・・とありました。徒町のほうから歩くと、急な階段を上がって境内に入りますが、実はこれは裏口。表参道は立派な銅の鳥居があってこれは都の有形文化財建造物に指定されています。

 拝殿の前には絵馬が鈴なりにぶら下げられていて、合格祈願かと思いきや、なんと合格のお礼参りの絵馬もたくさんありました。 お願い事をしてかなったならば、お礼もきちんといたしましょう。

   *    *    *    *    *

 さて、湯島天神を後にして、北へ向かって歩くことにしました。地図を見ると近くには「旧岩崎邸庭園」とあります。これは、三菱財閥の岩崎家ゆかりの建物に違いないと思い、早速行ってみることにしました。

 旧岩崎邸は入場料400円。中に入ると、これはまた立派な和洋折衷型の洋館がそびえています。玄関周りにいると、「ボランティアガイドを行いますので参加される方はお集まりください」という声が聞こえてきました。

 なるほど、建物の中を案内してくれるボランティアガイドですか。これはありがたいので、その列に加わって案内してもらうことにしました。

 最初に注意があって、「この建物は国の重要文化財に指定されていますので、壁や柱には触らないようにお願いいたします」とのこと。触ると手の油が建築に悪さをするのです。

 さて、中は、例によって「華麗なる一族」の邸宅はさもありなん、という感じの豪華絢爛です。以前紹介した旧前田邸と同じように、入り口のホールに壁に沿ったらせん状に空中廊下があって、ひろびろとしています。

 旧岩崎邸には、本館の洋館のほかに、当時の男性の社交場であるビリヤードをする撞球場と、和風の和館という三つの建物があるのですが、実はこれら三つが地下道で結ばれているのだそう。そのわけは、使用人が行き来するのにちょろちょろと見えないように、との配慮だったらしい、ということですから、驚きです。

 天井も非常に高いし、豪勢なことはわかるのですが、一番驚いたのは壁紙の贅沢さ。『金唐皮紙』と呼ばれる、和紙をベースにして型押しして模様を作り、それに色を塗るのですが、当時から高価で煙草入れに使っても贅沢といわれたこの金唐皮紙を部屋の壁紙に使っているのです。壁紙だけで数千万円という家一軒分のお値段だそうですよ。

 ベランダからは庭園も見えますが、今は芝生広場になっています。ここの一つのウリは、日本自生の関東タンポポが見られること。確かに今では珍しい貴重な広場なのです。

   *    *    *    *    *

 岩崎邸を後にして、今度は北へと向かいます。不忍池に面した不忍通りを北上して、根津駅で右に曲がり谷中の寺町の中を歩きました。

 今日のゴールはJR日暮里駅です。谷中、根津、千駄木のことをそれぞれの頭文字を取って「谷根千」と呼び、かつての下町の風情が残っているところとして知られているのだとか。

 今日はそのほんのさわりの部分だけでしたが、次はもう少し深く入り込んでみようと思いますよ。

 今日も何歩歩いたのかなあ。
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上野のダ・ヴィンチ展を観る

2007-04-22 23:36:43 | 東京ウォーク
 関東北部では雨の予報が出る中、今日の東京はなんとか一日が持ちました。今日は上野界隈です。

【上野界隈をめぐる~ダ・ヴィンチ展を見る】
 北海道の知人に誘われて、上野公園の国立博物館で行われている、ダ・ヴィンチ展を観てきました。

 そう言えば、宣伝をしていた記憶はあるけれど、あまり関心を持ってはいませんでしたが、知人と会うのも久しぶりなので、誘われるままに行くことにしました。

 朝十時に上野駅で待ち合わせて、公園の中を歩いて国立博物館のダ・ヴィンチ展を目指します。

 開場5分前位なのにもう人の列が見えましたが、近くまで行ってびっくり。見えていたのは本の最後尾の一部で、並んだ頃には「ここから入場までは30分くらいです」という看板のところでした。

 まず我々が並んだのは第一会場。こちらの目玉はダ・ヴィンチが二十歳の頃の作品で、日本では初公開の「受胎告知」という絵画です。まずはこれ一点を観るために、これだけ並んでいるのです。

 いよいよ建物に入る段になると、持参しているリュックサックなどの内部検査や金属探知器まであります。さすがはダ・ヴィンチ。

 いよいよ受胎告知の絵に到着。列がなかなか進まないのですが、これもまた致し方ないところ。何列かになって絵の前を通り過ぎるのですが、一番前の列は「止まらずにそのままお歩き下さい、こちらは止まれません!」と警備の係員が叫んでいます。

 結局絵の前を通り過ぎるのにわずか30秒という短さ。しかしそれでも絵の大きさ感や、質感などを少しは感じ取ることができました。
 でも本当に短いね。
 
    ※    ※    ※    ※

 「さすがに名画!しかしこれで1500円は高いなあ」と思いながら、何があるかも分からずに、もう一カ所の第二会場へと向かいました。

 こちらの第二会場の方は、ダ・ヴィンチの生涯にわたる生い立ち、思索や思想、物事の捉え方などを、多くの資料や模型で分かりやすい壮大な展示会でした。

 さて、第二会場も実は二つに分かれていて、一つ目はダ・ヴィンチコレクションの展示が中心。

 こちらが相当混んでいたので、私達は二つ目のコーナーから先に見ることにしたのですが、ここでひときわ目を引いていたのが日立製作所提供のDIS(デジタル・イメージ・システム)の展示コーナーでした。

 ここには、先程の「受胎告知」の模写が三つの大きさで飾ってあったのですが、これが実はこのDISによって複製されたのだそうです。

 DISというのは、要は精密なカメラで絵を何分割かした写真をとり、それを合成して全体を一つの絵にするものですが、この飾ってあったものは極めて精緻に作られていて金粉の輝きまでが表現されているのです。

 絵を詳細に検討する上では、精緻な模写があった方がよいわけで、この技術を、「受胎告知」の所蔵しているウフツィ美術館に提供した縁が、今回の「受胎告知」初来日に繋がったのだとか。

 壁に掛かっていたのは、一辺が80%(面積は0.64倍)、50%(面積は0.25倍)、30%の3種類ですが、一番小さいもので315千円、中くらいが756千円、一番大きいものはなんと2,625千円の値が付いていました。

 一番大きいものは今回5点用意して、すでに4点が売約済み。感動的な名画を観た後は、それを身近に置きたいと思うものです。

 名画であればあるほど、魔法は強力なのです。

    ※    ※    ※    ※

 これだけの展示会が開かれる場である、東京という都市の魅力をつくづく感じています。

 これだけのものを支えるには多くの観客が必要で、それを集めることのできる能力を持った最大の都市が東京ということなのでしょう。

 この東京の魅力と魔力と弱点をつぶさに見てみたいと思っています。

 単なるガイドブックに終わらないような、よそ者の視点を持ち続けることが大事かも知れません。東京人としての感性に麻痺しないうちにね。   

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