北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

逃げられないと悟る瞬間

2008-01-17 23:11:17 | Weblog
 仕事がだいぶ煮詰まってきてなかなか大変な日々が続いています。

 経験上、仕事でも人生上のできごとでも、それが向こうから追いかけてくるときには二通りの対処の仕方があるように思います。一つは「逃げられるなら逃げよう」という考え方で、筋が悪いような話ならば関わらないに越したことはありません。君子危うきに近づかず、です。

 もう一つは、敢然と立ち向かってつぶしにかかるというやり方。筋が悪かろうがなんだろうが、向かっていって最善の終わり方にならなければ次善の策を求め、とにかくそのやってくる仕事や事件の息の根を止める、というやり方です。

 自分の時間と力量には限りがあるので、仕事の質と量によってこれらを組み合わせながら対応するのが正しい選択でしょう。

 しかし必ずしも全てがこの二つで割り切れるものでもありません。

 時として、筋が悪そうだと思っても、不思議に逃げ切れないときがあります。相手が世話になった人だったり、回りの期待が自分に集まってしまったり、他の人たちがすでに逃げ切って自分しか残っていないとき…などなど。

 またそう言うときほど周りを見ると、どういうわけかこの敵をやっつけるためとしか思えないような天賦の配役ができあがっていたりするものです。

 こういうときは、もうそれ以上逃げては行けないと悟るものです。それまでは背を向けていても、ひとたび逃げ切れないと覚悟したときは回れ右をして、追いかけてくるものに正面から立ち向かわなくてはなりません。
 ここでなお逃げ切ろうと命冥加なふるまいをして、それでいて捕まったときの被害は甚大です。

 逆にしっかりと立ち向かったときは、例え結果が駄目だったときでも「あいつは逃げなかった」という名誉だけは残ります。多分人の信頼は、そういうときの振る舞い方で得られたり失ったりするのではないかと思うのです。

 人生に何度そう言う瞬間があるかは人それぞれでしょうが、仕事に限らず直面する出来事に対する対応の仕方には人間性が表れますね。

 逃げては行けない一瞬を覚悟できるかどうかだと思うのです。 
 
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