北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

賑わいの公共性

2008-01-28 23:47:52 | Weblog
 日本に良い広場を求めよう、という懇談会の第二回目を行いました。

  

 考えてみれば見るほど、日本にはろくな広場がありません。懇談会の委員の皆さんの意見でも、新橋のSL広場やお台場海浜公園くらいが評価されるくらいです。

 それ以外にもたくさん広場はあれど、建築物に付随する広場は建物にとっての添え物に過ぎず、広場を考えた建物はありません。

 おまけに、良い広場の状態とはその広場がたくさんの人に愛されて賑わっているかどうかが一番の指標。

 日本で賑わうのは通りであっても広場ではありません。「日本人は流れていないと安心できない」と言った人もいますが、まさにそのとおり。広場にいると不安なのが日本人のようです。

 広場が賑わえないのは、広場だけでものを見ているから。広場を考えるには回りの建物との関係で見なくては駄目なのです。

 建物から人が広場へ滲み出てきて、そこで広場にカフェが展開する…、それがフランスやイタリアの賑わいの広場の姿。

 日本では、建物は広場に何が出来るか、広場は建物に何が出来るか、というような互いに貢献し合うことを考えるようなプランが存在しないように思います。お互いが空いてから奪うことだけを考えているようなプランはうまくいくわけがないのです。

    ※    ※    ※    ※

 日本では広場や道路の管理者が不公平を許さない、と言う立場を協調するあまり、少数の例外的な事例さえ認めないという一貫した態度で管理をしてしまいます。そこには突拍子もないようなおもしろさが出現するはずがありません。

 常に事前に問題点を取り除いた問題のないものだけが置かれるだけです。

 大事なことは、不公平を正したかという指標だけではなくて、その結果賑わいが演出されてそこを利用する人が幸せを感じているかどうかという指標です。

 この二つの指標のバランスが大事なのであって、片方だけが100点でもう片方が0点では行けないのだと思います。

 社会の中で賑わっているということに、価値や公共性を見いだすような考え方の転換が必要です。

 ただ一つの指標を守り通すのではなく、複数の指標でバランス良く点数を稼げるかどうか。そんな価値観がまちづくりにも必要なように思います。
コメント
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