ご存じかどうか分かりませんが、私の専門は造園。その扱う領域は、狭い意味では植物の手入れや植物を利用して空間を作り上げることですし、広い意味では人間が幸せになる原理はなにか、ということを考えて実現するという役割です。
しかし普段は文字と数字と電話で仕事をすることが多く、造園屋としての自覚など無いままに過ごすことが多い毎日。そんななか今夜は我が職場の造園職が一堂に会して懇談会が催されました。
懇親会に先立ってミニ講演会をお願いしたのは井上剛宏さん。井上さんは京都生まれで現在は(株)植芳造園の代表取締役。同時に地元京都はもちろん、日本の造園会の多くの役職に就かれてこの世界をリードする方です。
今日の講演のテーマは井上さんが参画された京都迎賓館の作庭を通じて感じたことなどでした。
※ ※ ※ ※
井上さんは、「本当のプロがいなくなった、と嘆かれます。マニュアルの氾濫はそのことを端的に表しています。そういうなかでマニュアルに依存しては造ることができない世界を生み出す技術と技能、それに精神を継承しているのが京都の造園です」と言います。
「マニュアルを超越して、状況変化に柔軟に対応するのがプロのプロたる所以です。庭造りの現場で求められるのは、設計図通りに組み立てる能力ではなく、自然界の生き物たちと対話しながら、【一つの物語】を創造する力です」とも。実績に裏打ちされた、実に力強い言葉です。
「よく『日本庭園は古くからある』と言われますが、千年前のスタイルをずっと踏襲してきたわけではありません。平安から鎌倉、室町、安土桃山、そして江戸、近世、現代と、その時代その時代を代表するような様式を常に生み出して来ているのです」
「京都には『不易と流行』と言う言葉があります。いつまでも変わらない『不易』と、その時代時代の好みを生み出す『流行』という二つ。この二つの精神を忘れずに、いつも新しいことを生み出し続けることを忘れてはなりません」
「庭を造って見てもらう風景には物語が無くては行けません。大きな岩から水が滝のように落ちれば、それはそれで面白いかも知れません。しかし、私はそこに滝があるということはその後ろに流れを生み出す風景があるべきで、さらにその背後には水を蓄える雰囲気がなくては全体としての物語にならないと考えます。水の背景にはそこまでが必要なんです」
「結局は取りやめてしまったのですが、京都迎賓館で池を造り、そこから川に見立てた州浜(玉石による流れの見立て)を建物まで引っ張ってきたところに、舟型の手水を置こうとしました。舟には入り船と出船があるんです。出船は空の舟で港を出て行き、入り船は金銀財宝をどっさりともたらしてくれる宝舟です。そうして国が富むことを表しています。だから、出船は高く据えて、入り船は低くなるように据えます。空舟は浮くけれど、宝をどっさり積んだ舟は重くて沈みそうになっているからです」
「建物のすぐ近くに植える楓は、片方だけに枝を伸ばしている片枝の木をつかいます。そこに種から生えた木ならば建物の方に枝は伸びずに反対方向に枝を伸ばすからです。しかしだからといって、普通の木を植えて、片側の枝を落とすようなまねをしては行けません。建物に近い面に枝を落とした後が見えたらもうそれは人の手が入っていることになってしまうからです。あくまでも種から育った木がそこになくてはいけないんです」
「迎賓館の紅葉はなかなか上に伸びてくれませんでした。設計者が土壌改良をしすぎて良い土にしすぎました。だから根が下に伸びずに横へ横へと伸び、それにつれて枝も上ではなく横に伸びるんです。木も苦労して個性ある姿になってくれないと面白みがありませんね」
造園が空間をあしらう技術と技能である、ということを改めて思い出させてくれる一時間でした。
それにしてもそんなこととはついぞ離れてしまった自分の造園感覚が恥ずかしい。
どうしてこんなに美しく作れるのか、とため息が出るような庭の連続でした。こうした、眠っている気持ちを揺り起こすようなお話はいいなあ。
京都へ行きたくなりました。
しかし普段は文字と数字と電話で仕事をすることが多く、造園屋としての自覚など無いままに過ごすことが多い毎日。そんななか今夜は我が職場の造園職が一堂に会して懇談会が催されました。
懇親会に先立ってミニ講演会をお願いしたのは井上剛宏さん。井上さんは京都生まれで現在は(株)植芳造園の代表取締役。同時に地元京都はもちろん、日本の造園会の多くの役職に就かれてこの世界をリードする方です。
今日の講演のテーマは井上さんが参画された京都迎賓館の作庭を通じて感じたことなどでした。
※ ※ ※ ※
井上さんは、「本当のプロがいなくなった、と嘆かれます。マニュアルの氾濫はそのことを端的に表しています。そういうなかでマニュアルに依存しては造ることができない世界を生み出す技術と技能、それに精神を継承しているのが京都の造園です」と言います。
「マニュアルを超越して、状況変化に柔軟に対応するのがプロのプロたる所以です。庭造りの現場で求められるのは、設計図通りに組み立てる能力ではなく、自然界の生き物たちと対話しながら、【一つの物語】を創造する力です」とも。実績に裏打ちされた、実に力強い言葉です。
「よく『日本庭園は古くからある』と言われますが、千年前のスタイルをずっと踏襲してきたわけではありません。平安から鎌倉、室町、安土桃山、そして江戸、近世、現代と、その時代その時代を代表するような様式を常に生み出して来ているのです」
「京都には『不易と流行』と言う言葉があります。いつまでも変わらない『不易』と、その時代時代の好みを生み出す『流行』という二つ。この二つの精神を忘れずに、いつも新しいことを生み出し続けることを忘れてはなりません」
「庭を造って見てもらう風景には物語が無くては行けません。大きな岩から水が滝のように落ちれば、それはそれで面白いかも知れません。しかし、私はそこに滝があるということはその後ろに流れを生み出す風景があるべきで、さらにその背後には水を蓄える雰囲気がなくては全体としての物語にならないと考えます。水の背景にはそこまでが必要なんです」
「結局は取りやめてしまったのですが、京都迎賓館で池を造り、そこから川に見立てた州浜(玉石による流れの見立て)を建物まで引っ張ってきたところに、舟型の手水を置こうとしました。舟には入り船と出船があるんです。出船は空の舟で港を出て行き、入り船は金銀財宝をどっさりともたらしてくれる宝舟です。そうして国が富むことを表しています。だから、出船は高く据えて、入り船は低くなるように据えます。空舟は浮くけれど、宝をどっさり積んだ舟は重くて沈みそうになっているからです」
「建物のすぐ近くに植える楓は、片方だけに枝を伸ばしている片枝の木をつかいます。そこに種から生えた木ならば建物の方に枝は伸びずに反対方向に枝を伸ばすからです。しかしだからといって、普通の木を植えて、片側の枝を落とすようなまねをしては行けません。建物に近い面に枝を落とした後が見えたらもうそれは人の手が入っていることになってしまうからです。あくまでも種から育った木がそこになくてはいけないんです」
「迎賓館の紅葉はなかなか上に伸びてくれませんでした。設計者が土壌改良をしすぎて良い土にしすぎました。だから根が下に伸びずに横へ横へと伸び、それにつれて枝も上ではなく横に伸びるんです。木も苦労して個性ある姿になってくれないと面白みがありませんね」
造園が空間をあしらう技術と技能である、ということを改めて思い出させてくれる一時間でした。
それにしてもそんなこととはついぞ離れてしまった自分の造園感覚が恥ずかしい。
どうしてこんなに美しく作れるのか、とため息が出るような庭の連続でした。こうした、眠っている気持ちを揺り起こすようなお話はいいなあ。
京都へ行きたくなりました。