北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

広場はこうありたい

2008-02-01 23:16:44 | Weblog
 広場のあり方について、別のブログからも応援のメッセージが来ました。そこでもう少し広場について掘り下げてみたいと思います。

 今までのまちづくり装置としては、我々はついつい作って行く建築にばかり目が向いていましたが、作ったときに【残る】あるいは【残す】広場にはほとんど目がいかなかったのだと思います。

 わざわざ広場を作るときでも、上から見たときの建物敷地や道路、公園などの敷地境界で管理者が変わってしまい、広場と隣接する施設との関係性はほとんど顧みられませんでした。
 広場を作るときのポイントはアルファベットの【L】のように、下の土地だけではなくそれに隣接する垂直な建物のあり方が問われます。このLの関係を上手につくれば室内から外、外から室内へと続く関係性を構築できて、内にも外にも賑わいを演出することが出来ると思います。

 そのときの垂直な建物では特に1~2階の低層階は徹底して商業に誘導すべきです。ものを売る面が広場に面しているということが重要です。

 さらには、カフェのように外の空間を室内からにじみ出すように自由に一体的に管理できるような管理システムも重要になります。

 日本の場合は、この一体的な管理が苦手で、すぐに縦割りの敷地だけの管理者が登場してしまうのです。これは最近は特に厳しい「管理者責任」でもあるのですが、逆に言うと管理者の権限も有しています。

 そしてこの管理者権限はむやみに不公平には使えない、という縛りから逆に公平に公平に、という意識ばかりが強くなりがちです。

 「今日だけ、特別に、この人だけに」もっと自由に使わせても良いと思うのですが、それを認める基準とマニュアルが必要です。これが使節を柔軟に使うことを阻害しているのです。

 アメリカではまちなかの一定の面積を管理するNPOが組織され、ここにその範囲内の企業がお金を出し合って、清掃や管理、地域の運営などを行うということもされていて成果を上げているようです。

 日本でも昔は商店街や町内会がこうしたことを担っていたはずですが、次第にその力が衰えるのと同時に、官の管理者に頼りすぎている嫌いがあります。

 「自由」は自分たちの責任の下に取り戻さなくてはならないのです。

 日本にもっと面白い広場を増やしたいですね。

   
コメント
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