天皇陛下78歳を迎えられる天皇誕生日。
クリスマス周辺に祝日が増えたことを喜ぶ国民は多いことでしょう。
お誕生日に際しての天皇陛下のご感想が宮内庁のホームページに掲載されています。
全文は2700文字以上の文章ですが、新聞紙上などでは、「振り返ると,今年は災害に明け暮れた心の重い年でした」というあたりを強調されています。
しかしその外にも、タイの洪水に触れて現地の日系企業に勤めているタイの人たちが一時日本国内に来るようになったことに際して、「言葉や生活習慣の異なるタイ人が日本での生活をつつがなく過ごすことができるよう願っています。この度の日本における災害及びタイの水害は,改めて今日の世界が様々な国の人々と共に生きる社会であることを感じさせるものでした」と心温まるお言葉を述べられています。
日本国政府による国の意思が述べられる言葉とはまた趣の異なる日本からの発信。天皇家があらせられることへの感謝に堪えません。
※ ※ ※ ※ ※
さて、陛下はこの御言葉の中で、先の戦争にも触れられています。
「…今年は先の戦争が始まって70年になります。この戦争における死者はおびただしい数に上り,戦後,こうした戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう,日本の人々は,真摯に過去を学びつつ,戦後の厳しい困難に耐え,営々と国づくりに励み,今日の日本を築き上げました。戦争の記憶が薄れようとしている今日,皆が日本がたどった歴史を繰り返し学び,平和に思いを致すことは極めて重要なことと思います」
実はこの12月23日というのは日本にとってまた別な意味を持っています。それは戦争を指導したとされる東条英機や板垣征四郎などが巣鴨プリズンで処刑されたのが昭和23年の日であるわけです。
それが偶然なのか、連合国側が強く意図した出来事なのかは分かりません。しかしそういう日であるという事実だけは残ります。
決して戦争を賛美するわけではありませんが、日本がいかにこの戦争に対峙したのかを学んでおくことはきわめて大切だと思います。
そんなエピソードの一つとしてご紹介したいのは、ドイツとの間でのユダヤ人をどうするか、という問題。
昭和13年当時、当時日本は日独伊三国同盟の前進となる防衛協定を結んでいましたが、その協定先であるドイツからは日本に対してユダヤ人を排斥するように再三要請が届いていました。
それに対する国としての方針を決定する会議が昭和13年12月6日に開かれ、そこで板垣征四郎陸軍大臣から、「我国は、八紘一宇を国是としておりユダヤ民族に対してもこれを例外とすべきではない。彼らは世界中に行先無く、保護を求めているのである。窮鳥懐に入れば猟師もこれを殺さずという。況(いわ)んや彼らは人間ではないか」として、ユダヤ人対策要綱を国是と決定したのでした。
※ ※ ※ ※ ※
八紘一宇とは、先の大戦を肯定するスローガンとしてネガティブな印象を背負わされた言葉ですが、出展は日本書紀で神武天皇が述べられた言葉です。
「八紘一宇」の八紘とは、四方と四隅、すなわち、世界中という意味であり、一宇とは「一つ屋根」を意味する言葉です。
初代天皇の神武天皇が即位された時に、人民を「大御宝(おおみたから)」と呼び、天の下のすべての人民が一つ屋根のもとで家族のように仲良く暮らすことを、建国の理想とされたということに由来するもので、その言葉自身に戦争を賛美するような意味はありません。
そしてこの決定によって、すぐ翌年にシベリア鉄道によって二万人とも言われるユダヤ難民が押し寄せて吹雪の中で立ち往生をしているときに救出列車を出した樋口季一郎少将や、6千人ものユダヤ難民に対して日本への出国ビザを出した杉浦千畝のような者も現れたわけです。
「八紘一宇」などという神話の世界の価値観が息づいて国是となし、しかしながら先の大戦による大きな悲劇もありました。
神話の世界から連綿と続く天皇の御代を祝うと共に、戦争について考えさせられる日、それが12月23日なのだと思います。
クリスマス周辺に祝日が増えたことを喜ぶ国民は多いことでしょう。
お誕生日に際しての天皇陛下のご感想が宮内庁のホームページに掲載されています。
全文は2700文字以上の文章ですが、新聞紙上などでは、「振り返ると,今年は災害に明け暮れた心の重い年でした」というあたりを強調されています。
しかしその外にも、タイの洪水に触れて現地の日系企業に勤めているタイの人たちが一時日本国内に来るようになったことに際して、「言葉や生活習慣の異なるタイ人が日本での生活をつつがなく過ごすことができるよう願っています。この度の日本における災害及びタイの水害は,改めて今日の世界が様々な国の人々と共に生きる社会であることを感じさせるものでした」と心温まるお言葉を述べられています。
日本国政府による国の意思が述べられる言葉とはまた趣の異なる日本からの発信。天皇家があらせられることへの感謝に堪えません。
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さて、陛下はこの御言葉の中で、先の戦争にも触れられています。
「…今年は先の戦争が始まって70年になります。この戦争における死者はおびただしい数に上り,戦後,こうした戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう,日本の人々は,真摯に過去を学びつつ,戦後の厳しい困難に耐え,営々と国づくりに励み,今日の日本を築き上げました。戦争の記憶が薄れようとしている今日,皆が日本がたどった歴史を繰り返し学び,平和に思いを致すことは極めて重要なことと思います」
実はこの12月23日というのは日本にとってまた別な意味を持っています。それは戦争を指導したとされる東条英機や板垣征四郎などが巣鴨プリズンで処刑されたのが昭和23年の日であるわけです。
それが偶然なのか、連合国側が強く意図した出来事なのかは分かりません。しかしそういう日であるという事実だけは残ります。
決して戦争を賛美するわけではありませんが、日本がいかにこの戦争に対峙したのかを学んでおくことはきわめて大切だと思います。
そんなエピソードの一つとしてご紹介したいのは、ドイツとの間でのユダヤ人をどうするか、という問題。
昭和13年当時、当時日本は日独伊三国同盟の前進となる防衛協定を結んでいましたが、その協定先であるドイツからは日本に対してユダヤ人を排斥するように再三要請が届いていました。
それに対する国としての方針を決定する会議が昭和13年12月6日に開かれ、そこで板垣征四郎陸軍大臣から、「我国は、八紘一宇を国是としておりユダヤ民族に対してもこれを例外とすべきではない。彼らは世界中に行先無く、保護を求めているのである。窮鳥懐に入れば猟師もこれを殺さずという。況(いわ)んや彼らは人間ではないか」として、ユダヤ人対策要綱を国是と決定したのでした。
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八紘一宇とは、先の大戦を肯定するスローガンとしてネガティブな印象を背負わされた言葉ですが、出展は日本書紀で神武天皇が述べられた言葉です。
「八紘一宇」の八紘とは、四方と四隅、すなわち、世界中という意味であり、一宇とは「一つ屋根」を意味する言葉です。
初代天皇の神武天皇が即位された時に、人民を「大御宝(おおみたから)」と呼び、天の下のすべての人民が一つ屋根のもとで家族のように仲良く暮らすことを、建国の理想とされたということに由来するもので、その言葉自身に戦争を賛美するような意味はありません。
そしてこの決定によって、すぐ翌年にシベリア鉄道によって二万人とも言われるユダヤ難民が押し寄せて吹雪の中で立ち往生をしているときに救出列車を出した樋口季一郎少将や、6千人ものユダヤ難民に対して日本への出国ビザを出した杉浦千畝のような者も現れたわけです。
「八紘一宇」などという神話の世界の価値観が息づいて国是となし、しかしながら先の大戦による大きな悲劇もありました。
神話の世界から連綿と続く天皇の御代を祝うと共に、戦争について考えさせられる日、それが12月23日なのだと思います。