北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ジョブ・ディスクリプションという約束

2011-12-24 23:45:08 | Weblog
 クリスマスイブだというのに、そんなものは関係なーい、という大人の男が集まった懇親会。
 とはいえ、せっかくなので奥さん連れも良いだろうと、三人の男と二人の奥さんによる飲み会となりました。

 教育関係者の友人は、しきりに学校の先生のコミュニケーション能力を憂いています。

「学校の先生の仕事って、1/3は子供達に勉強を教えることですが、1/3はテストや成績、打ち合わせなどの事務仕事、そして1/3は保護者やPTAなどとのコミュニケーションなんです。ところが『先生の仕事とはそう言うものだよ』とだれも教えないんです」

 するともう一人の友人が、「何が仕事なのかを日本ではほとんど明確化して伝えるということをしませんよね。私はアメリカにいたことがありますが、そこでは”Job description”と言って、『あなたの仕事はこれこれですよ』ということを書き表せて伝えるということが当たり前でしたよ」

「なるほど、私の職場でも仕事の分担などは曖昧なことが多いですね。もっとも敢えて明らかにしないことで、書かれていないことでも自分がやるべきだ、と前向きに捉えてくれることを期待したいのですが」

「しかし、それが『それは私の仕事じゃない』という消極性につながりやすいとも言えますね」

 要は、普段から仕事や自分の責任を前向きに捉えてくれるような組織マインドを醸成出来ていれば良いのですが、それができないようであれば、『最低これだけはやってくれ』という要求の最低ラインを定めるほうが良いということになるでしょうか。

 最近の仕事は複数の担当課にまたがっていて、職務職階制の間に落ちるようなものが多いのですが、そのときに譲り合うのか取り合うのかという振る舞い方が組織運営のポイントになります。

 ジョブディスクリプションというのは、求める最低線でしかないと思うかどうか、と言う点で西洋的契約社会のあり方のようですが、『意気に感じる』ことを求める東洋的な考え方と微妙に合わないような気もします。

 組織を動かすことは難しいですが、リーダーシップとは何かも問われます。

 熱いだけがリーダーでもないようです。年末年始の時間を使って、ゆっくり考えてみましょうか。
コメント
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