昨日は、夕刻に飛行機が飛ぶまでの時間を掛川で過ごしたのですが、昼時にはちょうど掛川上のすぐ近くにあるかつての豪商の居宅だった"竹の丸"を訪問。
松飾を飾っているところに遭遇して、ついでにお昼もごちそうになりました。
カレーライスをいただきながら開け放たれた外を見ると、逆光にちょうどモミジの紅葉が美しく見えました。
まさに一幅の絵のようで、掛川の贅沢な風景の一つです。
いつまでも見とれていました。
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そして午後には、ちょうど友人のサトー君が、市内のある地区で講話をするとのこと。
彼が一体どういう話をするのか、ということに興味が湧いて急遽その講話の席に加わらせてもらうことにしました。
会場は、掛川駅から車で20分程のH地区、M会館。
今日ここで行われるのは、二宮尊徳に縁のM地区報徳社の常会で、この地区では毎月1日の午後に必ず常会を行って、地域で勉強会をしているのです。
報徳社の常会ではまず最初に、二宮尊徳がつくった"報徳訓"という教えを全員で読み上げることから始まります。
父母根元在天地令命 (父母の根元は天地の令命に在り)
身体根元在父母生育 (身体の根元は父母の生育に在り)
子孫相続在夫婦丹精 (子孫の相続は夫婦の丹精に在り)
父母富貴在祖先勤功 (父母の富貴は祖先の勤功に在り)
我身富貴在父母積善 (我身の富貴は父母の積善に在り)
子孫富貴在自己勤労 (子孫の富貴は自己の勤労に在り)
身命長養在衣食住三 (身命長養は衣食住の三つに在り)
衣食住三在田畑山林 (衣食住三つは田畑山林に在り)
田畑山林在人民勤功 (田畑山林は人民の勤功に在り)
今年衣食在昨年産業 (今年の衣食は昨年の産業に在り)
来年衣食在今年艱難 (来年の衣食は今年の艱難に在り)
年々歳々不可忘報徳 (年々歳々報徳を忘るべからず)
この言葉を唱えることで改めて天の恵みと先祖の恩に感謝をし、自らの日々の行いを戒め、明日への努力を誓うのです。
この日は年に一度の総会も兼ねており、会長さんから「組織が社団法人から一般社団法人に変わった」ということが説明されました。
ではそれで何が変わったかというと、それまで長く積み立てていた積立金を処分するような財産処分計画を立てなくてはならなくなった、とのこと。
そのお金たるや会員29人のこの会でなんと千数百万円あるといいます。
それを「今後四十数年かけて年間30万円ずつ、地域の学校や幼稚園などに寄付することでどうだろう」という提案がなされ、参加者の了承が取り付けられました。
町内会でもない、ただ報徳の教えと実践によって結ばれた人たちの財産ですが、至誠・勤労・分度・推譲を行動の規範において、長年にわたって行われた活動はまさに「積小為大(せきしょう・いだい=小を積んで大をなす)」です。
ある意味つましい生活の成果であり、ある意味豊かな地域であることを痛感しました。
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さて、この日の会合にはこの地区出身で東京の高名な大学の学長を務めた地元の名士Wさんも参加されていました。
私は良く存じ上げているのですが、部屋へ入って行くと、「あれ?こんなところで何をしているんだい?」と驚かれたよう。
「実は昨夜講演の機会を得てやってきました」と言うと、「まだ縁があるんだねえ」と笑っておられました。
すると司会の方も、気を利かせて、「せっかくですからWさんにも一言ご挨拶を」と促し、苦笑いしながらWさんもご挨拶。
その内容は、魯迅や周恩来に日本語の個人教授を行った松本亀次郎という地元出身の教育者がいて、昨年の日中関係が険悪化する前までは、周恩来の生まれた地元に松本亀次郎の銅像を建てると言う話が進んでいた、ということ。
ここ掛川では、この松本亀次郎さんの功績を讃えて、『松本亀次郎記念 日中友好国際交流の会』を作って、地域レベルの国際交流を実践しているのです。
ところがこの銅像建設のお話、尖閣問題での日中関係険悪化を受けて、一度頓挫しました。しかし、今回訪ねたところ銅像の元になる土偶を修復して迎えてくれ、これからまたなんとかその動きを進め行きたい、というお話しだったとのこと。
心温まるような人間対人間の国際交流の現場のお話し。それをこんな片田舎(失礼!)で聞けたとはなんという幸運でしょうか。
田舎もときどきレベルの高いお話が聴けるものです。
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続いて始まった講話では、友人のサトー君がお茶の一人当たり消費量が都道府県のなかで最下位の北海道に、新しい魅力を提案して売り込もうとしているという話。
マーケティングの最前線のお話しですが、地元には茶農家も多いために皆さん興味深そうに聞いています。これだって、結構価値のある濃い内容なのです。
そしてなんと最後に、「掛川市の元助役も来ているので是非一言」ということで、私まで壇上に立たされることになりました。
こういうときは覚悟を決めるべき。
そこで私からは、報徳の精神は北海道でも疲弊した時代を支える大きな力になったこと、その代表的な企業が雪印乳業だったが最後には社長以下幹部が報徳の精神を失ったことで、解散という残念な結末となったこと、そしてお茶もヨソ者からみるともっと多様な提案をしてほしい、というようなことをお話ししました。
ただ地域活動の姿を見てやろうと思ったところが、地区にいた知り合いに掴まってしまった、というオチでした。
しかし、こうした対話集会を重ねてきたことが、この地区の地域力の源であることに疑いはありません。
会場を離れる時に世話役の知人の方にはお礼を言われましたが、こちらこそ地域の紐帯を守ってくださっていることにお礼を言いたいところです。
別れ際に、「もう少し若い人が入れば良いですね」と言ったところ、「今日は若い人が多かったけどね」と言うのですが、どうみても年寄りしかいなかった(笑)。
質素で倹約、そして他人への貢献(推譲)の精神をこれからも続けて欲しいものです。
静岡の農村集落の力の源の一つはこうした活動なのです。
地方都市、そして農村集落の底力恐るべし、なのです。