北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

旅先の恩を忘れず支えるために

2016-03-13 20:56:49 | Weblog

 ネットで、最北端の鉄道旅を書き記した記事がありました。

 鉄道のないところをバスや徒歩でショートカットする「ショートカット鉄道旅」で旧天北線の旅をしたレポートが面白おかしく書かれていました。

 


【目指すは最北端、極寒のショートカット鉄旅 ~廃線をたどるバスが、吹雪の中を疾走!】
   http://bit.ly/1TXxZan

 書かれた方は、最北の旅をするのに音威子府から旧天北線を辿って、中頓別~浜頓別を経由して鬼志別経由で乗り換え、宗谷岬を経由して稚内までバスでの旅をしたのでした。

 275号線から238号線をバスで移動する旅は吹雪模様だったようですが、運転手さんは「いつものこと」と平気で運転する様子に、著者は恐れ入ったのでした。

 音威子府から中頓別~浜頓別~猿払経由のバスの旅なんて、稚内に住む私もしたことはありません。

 なによりもこの路線は天北線が廃止になった際の代替運行の定期路線バス。この路線沿いに住んでいて通勤や通学、通院などの用事のための交通手段です。


 このバスを利用して無事に著者の方は望みの旅ができました。しかしこの路線、実際には乗客が少なくて今年の10月に、音威子府~中頓別の間が廃止され、予約制の乗り合いタクシーに変ることになっています。

 この記事を読んで私はコメントとして「こういう旅に価値を感じる人はきっと増えてくる。ただし経営を安定させるほどにはならない。物珍しさを味わう旅というのは、地域の人たちの日常のおすそ分けなんです」と書きました。

 ある友人がそれを読んで、「地域の暮らしのお裾分け、このフレーズはいいね。自分の言葉だというのが分かります」とコメントしてくれました。

 まさに、余所者にとっての"もの珍しい旅"は、地域の人たちの日常の暮らしを一時的に分けてもらっているものにほかなりません。

 地域の人たちも、おすそ分けしてあげるのは良いけれど次第におすそ分けしてあげられるだけの暮らしを維持できなくなりつつあるのが過疎地の暮らしの現実なのです。


 先月美瑛町で、写真の題材として人気があった"哲学の木"が所有者によって伐採されたという記事がありました。

 哲学の木の周辺の農地に対する観光客のマナーが悪くて農作業に悪影響を及ぼしていた、ということも書かれていました。

 


【日経新聞:「哲学の木」悩んだ末に伐採 北海道・美瑛の観光名所 】
 http://s.nikkei.com/1UpM92k


 これなども、地域の暮らしをおすそ分けしてもらっているという感謝の気持ちとか地元の暮らしへの敬意がやや足りないことのあらわれではないかと思います。

 地元の人たちが暮らしを守ってこその、地域性や観光素材ですが、地域の暮らしや景観が、それを維持するためのお金を生み出すような上手なシステムは確立していません。

【そこで提案~ふるさと納税で感謝を表そう】
「役場がちゃんと面倒を見るべきでしょう」と不平と不満をいう皆さんへ。地元の人たちよりも高い料金を払うということはないにせよ、もし訪ねた地域に共感や感謝の気持ちがあったなら、せめて【ふるさと納税】でその気持ちを表してはいかがでしょうか。

 ふるさと納税と言うと、お米や肉などの産物を返礼品として求めることが流行っていますが、返礼品をもらってもいいから、過去一年に恩に来た場所へのこちらからのお礼ということもあるのではないでしょうか。

 観光地の楽しみを先にいただいて、こちらが『後から返礼する』という意味でのふるさと納税。心ある旅人の良識になってくれると、これからの地域が守ることに役に立つに違いありません。


 「旅先の恩を忘れずふるさと納税」(字余り) 
 

コメント (2)
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