今日はある団体の総会があって、その後半で最新のAIに関する講演がありました。
講師は北海道大学情報科学大学院の小川貴弘教授で、今やAIで何がどこまでできるのかについて最新のお話が聞けました。
新しいところでは、テキストで情景描写をして打ちこむとそれを踏まえて作成された動画ができるところまで来たとのことで、「きれいな女性が東京で皮のコートを着て雨に反射した道を優雅に歩く」という表現を反映した約1分の動画が映し出されました。
AIができることは日進月歩で、論文発表もかつては査読を受けて公表されるまで22年はかかっていた学会論文が、今や発表の場が国際会議に移り、論文サイトでは投稿から2週間で公開されるというところまで進んでいるのだそう。
なにもかもが早さを競い、競わなければ生き馬の目を抜く様なAI開発の潮流に溺れてしまいそうな勢いを感じました。
また小川先生のところでは、この技術をいかに社会の中で実装してゆくかという現実的なテーマも抱えていて、その一つに土木技術もあるとのこと。
なかでもベテランが施設点検をするときにどこをどのように見ているのか、という視点を分析して、まだ経験の浅い者にベテランの無形の技術をできるだけ早く委嘱するというようなことが試みられているのだそう。
様々な世界でベテランが消えて行き同時にベテランのノウハウが人と共に消えて行こうとしている中、それをAIで補おうという取り組みには期待が高まります。
◆
そんななか、怖い話もありました。
AIは結局数多くの既存のデータを読み込んでそこから妥当性の高い回答を引き出すプログラムなのですが、このままゆくと、テキストデータが2026年に、また画像データは2030-2060年のどこかで枯渇するのではないか、という見られているとのこと。
フレッシュに作り出されるテキストデータや画像データがあることでより鍛えられて生成されるAIのアウトプットですが、そのフレッシュなデータが枯渇するとその先にはAIが自ら作ったアウトプットを再利用してまた自分の生成の材料にするというループが始まります。
そうなった先には、小川先生は"AIモデルの自食症"と表現していましたが、AIが生成したものを再利用する"AI自食ループ"が展開されて例えば出来上がった画像に思わぬ品質の低下が見られる事例があるのだそう。
《AIがAIから作った画像から学習すると「MAD:モデル自食症」に 品質や多様性に悪影響》
https://ledge.ai/articles/model_autophagy_disorder
AIの思考エンジンもバージョンアップによって一部の機能が逆に低下するという指摘もあったりするとのことで、物事の判断をブラックボックスの中に追いやってしまって自分では何が起きているのかわからない世界の恐怖を垣間見た感じがしました。
これからの時代を生きる人たちはどういう思いで過ごすのでしょうか。
昭和生まれの私などはもう少し real job を担う形で社会に貢献したいと思った次第。
次世代の若者の皆さん、後はよろしく。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます