先日はガスについての話を書きましたが、今日はエネルギーに関するもう少し怖い話。
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エネルギーを語る際に、EPRと略される単語があります。”Energy Profit Ratio”の頭文字を取ったもので、「エネルギー受益率」とか「エネルギー利益比率」などと訳されています。
この意味は、石炭や石油、天然ガスなどをエネルギーとして取り出すときにどれだけのエネルギーを使うか、という比率のこと。石油を採掘するのにも電気やガソリンを使うわけで、この使う量よりもとれるエネルギーが少なければ、全く意味がないことになります。
つまり、この値が1より大きければ、かけたエネルギーよりも多くのエネルギーが獲得できて、1でトントン、1より小さければエネルギーの損失というわけです。
この数字は、一見すると経済効率性に似ていて、取っても儲からなくなればやめるという行為に似て見えます。しかし、経済的合理性とは別に投入エネルギーと得られるエネルギーの関係だけで見た数字だと思ってください。
北海道の石炭が、日本人労働者なら儲からないからやらないけれど、海外から安い労働力が入るなら儲かるからやろう、というお話とはちがうのです。
※ ※ ※ ※
そこでまず石油を見てみると、ある資料では1940年代の石油はEPRが100以上あったのに対して、1970年代ではそれが8程度に下がっていると言います。
石油の油田というのは、地中で砥石が水を吸っているようなもので、隙間のある岩に原油がものすごい圧力で閉じこめられているという状態なのだそう。それが地上から掘って行くことで最初は地中の圧力で吹き出すように出てくるものが、採掘して行くうちに圧力が減じてきます。
そのうちにポンプで吸い上げたり、逆に海水を油田に押し込んで石油を押し出すような形で採掘するようになるのだとか。当然最初は少ないエネルギーでどんどん出てきたものが、次第にエネルギーを使って取り出さなくてはならなくなる、というわけです。
このEPRで他のエネルギーを見てみると、これもある資料によると、サトウキビによるエタノールは0.8~1.7、トウモロコシエタノールで1.3、アメリカの原子力で4というような数字が紹介されています。
つまりエネルギーは、あとどれくらい埋蔵量があるかどうか、ということが問題なのではなく、それを取り出すのにどれくらいのエネルギーを使うことになるか、という『質の視点』を併せて考えないと本質的なところを間違えてしまうと言えるでしょう。
海水からウランを抽出できる技術が発達したとしても、取り出せるウランの量とそれに費やすエネルギーの比率を考えあわせないとぬか喜びに終わります。
日本はエネルギーのほとんどを海外からの輸入に頼っている国です。やがて海外から安くは調達できない時代が来ると言うことを覚悟しなければならず、その次には、かけただけのエネルギーが取り出せない時代が近づいています。
石油代替エネルギーの技術が確立するのを待つとしても、その時代が来る前に石油が日常的なエネルギーでなくなってしまうという恐ろしい予測をしている科学者もいます。「省エネ待ったなし」というのは、二酸化炭素だけの問題ではありません。
海外でのエネルギーに関する教育を視察した「欧米視察から学ぶー日本のエネルギー・環境教育のあり方」というレポートがネット上にあります。
ヨーロッパでは極めて現実的な国民教育が行われていることが驚きを持って報告されています。
http://www.engy-sqr.com/member_discusion/document/energy_education061219.htm
さて、なにから始めたら良いのでしょうか。
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エネルギーを語る際に、EPRと略される単語があります。”Energy Profit Ratio”の頭文字を取ったもので、「エネルギー受益率」とか「エネルギー利益比率」などと訳されています。
この意味は、石炭や石油、天然ガスなどをエネルギーとして取り出すときにどれだけのエネルギーを使うか、という比率のこと。石油を採掘するのにも電気やガソリンを使うわけで、この使う量よりもとれるエネルギーが少なければ、全く意味がないことになります。
つまり、この値が1より大きければ、かけたエネルギーよりも多くのエネルギーが獲得できて、1でトントン、1より小さければエネルギーの損失というわけです。
この数字は、一見すると経済効率性に似ていて、取っても儲からなくなればやめるという行為に似て見えます。しかし、経済的合理性とは別に投入エネルギーと得られるエネルギーの関係だけで見た数字だと思ってください。
北海道の石炭が、日本人労働者なら儲からないからやらないけれど、海外から安い労働力が入るなら儲かるからやろう、というお話とはちがうのです。
※ ※ ※ ※
そこでまず石油を見てみると、ある資料では1940年代の石油はEPRが100以上あったのに対して、1970年代ではそれが8程度に下がっていると言います。
石油の油田というのは、地中で砥石が水を吸っているようなもので、隙間のある岩に原油がものすごい圧力で閉じこめられているという状態なのだそう。それが地上から掘って行くことで最初は地中の圧力で吹き出すように出てくるものが、採掘して行くうちに圧力が減じてきます。
そのうちにポンプで吸い上げたり、逆に海水を油田に押し込んで石油を押し出すような形で採掘するようになるのだとか。当然最初は少ないエネルギーでどんどん出てきたものが、次第にエネルギーを使って取り出さなくてはならなくなる、というわけです。
このEPRで他のエネルギーを見てみると、これもある資料によると、サトウキビによるエタノールは0.8~1.7、トウモロコシエタノールで1.3、アメリカの原子力で4というような数字が紹介されています。
つまりエネルギーは、あとどれくらい埋蔵量があるかどうか、ということが問題なのではなく、それを取り出すのにどれくらいのエネルギーを使うことになるか、という『質の視点』を併せて考えないと本質的なところを間違えてしまうと言えるでしょう。
海水からウランを抽出できる技術が発達したとしても、取り出せるウランの量とそれに費やすエネルギーの比率を考えあわせないとぬか喜びに終わります。
日本はエネルギーのほとんどを海外からの輸入に頼っている国です。やがて海外から安くは調達できない時代が来ると言うことを覚悟しなければならず、その次には、かけただけのエネルギーが取り出せない時代が近づいています。
石油代替エネルギーの技術が確立するのを待つとしても、その時代が来る前に石油が日常的なエネルギーでなくなってしまうという恐ろしい予測をしている科学者もいます。「省エネ待ったなし」というのは、二酸化炭素だけの問題ではありません。
海外でのエネルギーに関する教育を視察した「欧米視察から学ぶー日本のエネルギー・環境教育のあり方」というレポートがネット上にあります。
ヨーロッパでは極めて現実的な国民教育が行われていることが驚きを持って報告されています。
http://www.engy-sqr.com/member_discusion/document/energy_education061219.htm
さて、なにから始めたら良いのでしょうか。
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