父の話の続き。
先日の通院のときのことですが、そろそろ迎えに来る時間だということで、母に促されて父は家の外でワゴン車が来るのを待っていました。
ところがなかなか車は来ません。
今年の北海道は例年になく暑くて、家の中から見守っている私と母は「お父さん暑くないのかね」とフウフウ言っていました。
見ていると父は家の日陰からいつの間にか陽の当たるところへ出て、帽子も被らないまま陽の光を浴びています。
「父さん、日向に出ちゃったよ」
そう言うと母は「そうなんだ、お父さんお日さまが好きなんだわ。今も夏だから暑いと言っているのに、朝起きたら東のカーテンを開けて『おお、お日様が昇ってきた』と嬉しそうなんだよ」
「そうなんだ、知らなかったよ」
「太陽が南側に来て居間に日が差すようになったら、わざわざそこに座るんだよ、この夏の暑い盛りでもね」
でもまあそれが一つの救いかも知れません。
医師で高齢者に対して日頃の暮らし方や人生への考え方などについて多くの本を著して人気の和田秀樹さんは、「『心の老い支度』のための実践行動として、幸せホルモンのセロトニンを分泌させるために、とにかく外に出て日の光を浴びなさい」と日光に当たることを勧めています。
さすがにこの酷暑の夏の炎天下に外に出ろ、ということではないでしょうけれど、日の光を浴びること、お日様が好きということは決して悪いことではないようです。
実際、父の場合も時間感覚が分からなくなることがまだらに生じてはいますが、食事、トイレ、入浴、服を脱ぎ着するなどの日常動作にはなんの支援も必要としていません。
そして和田秀樹さんが警鐘を鳴らす「老人性うつにだけはなるな、それは高年者の病気の中で最も恐れるべき病気だ」というようなこととは縁遠く、声を荒げたり腹を立てたりすることもなく普段はニコニコしています。
母も「それだけはありがたいよね」と言います。
歳を取った人の話として「自分のお金を取っただろう!」とか「(本当はもう食べたのに)食事を出してくれない!」と怒り出す人がいると聞きます。
心の奥底にネガティブで怒りの感情が潜んでいて、それを抑制していた脳の機能が弱くなると本性が出てくるのかもしれません。
本性がネアカで感謝の気持ちに満ちている人は幸せだと思います。
先日の病院の付き添いでは、診察が終わって病院の隣の薬局で薬ができるのを随分長い時間待たされました。
薬を待っている間に、日の当たる席に父と私が二人で隣り合って座っていると、「随分長い時間付き合わせて悪かったなあ」、「息子がいるってのはありがたいもんだなあ」と繰り返しつぶやいていました。
僕ももっと歳を取ったら日の光を浴びようと思います。
ただしそのときはエアコンの利いた室内からだろうと思いますが。
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