今日は教育関係のある振興会で講演。
事前にどんな話をするかについては、私がお話しできるテーマのメニューをお示ししたところ、「普段なかなか聞けない話が良いと思うので、『神社めぐりと日本人の信仰』ということについてお願いしましょう」ということになりました。
釧路で大好きな神社についてお話をする機会が得られるとはありがたい。これは一生懸命やらなくては、ね。
※ ※ ※ ※ ※
神社や神様について初めて関心を持ったのは平成8年に信州松本へ赴任した時のこと。もう15年も神社について見て回っているんですね。
松本では当時の国交省の上司から、「国交省の人間は、土を削り木を切り、水の流れを変えて人間の役に立つ施設を作って給料をもらっているが、そこで失われる虫や植物の魂について考えを及ぼさなくてはいけない。だから転勤したら地域一番のお宮へ行って、ちゃんとご挨拶をするのが良い」と教えられました。
それ以来、転勤するたびに地域のお宮へ行き、それととともに旅行などでも神社を巡るようになりました。
最近でこそパワースポットなどという言い方で神社やお寺などを巡って癒しを求める人が増えてきましたが、そんなオカルトの世界ではなく、日本人のDNAに流れるアニミズムの精神をしっかりと理解すべきだ、というのが私の立場です。
日本人は神社や神様のことについて教えてもらう機会はほとんどありませんし、あまり深く考えなくてもお祓いやお参りに行くものです。誰も「行け」とか「行った方が良いよ」などとは言わなくても、です。
しかしせっかくなら、古事記の神話の世界から繋がってくる神事の姿についてもちょっとだけ理解を深めておいた方がより豊かな人生になると思います。目からウロコが少しは落ちることでしょう。
※ ※ ※ ※ ※
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【リバレインの跳ね橋の意味は】
まずは生活に溶け込んだ信仰の力について。写真は福岡市にあるリバレインという再開発ビル同士をつなぐ空中の橋です。
この橋、下を博多祇園山笠の山車が通る際には跳ね橋として上にあげられます。あまり考えずに「なるほど、山車のてっぺんが引っかからないように、という配慮ですね」とご案内してくれた方に訊くと、「いいえ、そうではありません」と言います。
改めて跳ね橋になっている理由を問うと、「山車が通る際に跳ね上げますが、これは山車の高さが引っかかるからではなくて、神様が載っている山車を上から見下ろすのは失礼だから」という配慮なのだそう。
こういう神様や祭りへの信仰心が再開発ビル建築のありようにまで影響をしているとは実に面白いことです。
※ ※ ※ ※ ※
そんなことがあって神事をいろいろと勉強してみました。すると今まで呪文を唱えていたように思った神主さんの言葉が日本語に聞こえてきます。そしてその意味は古事記の中のイザナギの禊のシーンについて述べられているのだ、ということもわかりました。
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【祓詞は呪文ではありません、日本語です】
わかってしまえば大したことはないのに、誰も教えてくれないというのもこの世界のこと。自分で学ぶしかありません。
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【イザナギの黄泉の国の物語】
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神事は、「修祓」と言う参加者全員や使う道具までを御幣で祓い清める動作で、場の一同の清浄を図ります。
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【修祓で会場をお祓いします】
次に「降神の儀」。神様は普段そこにはいないので、お願い事などの用事があるたびに仮の御座所である神籬(ひもろぎ)へ降りてきていただくのです。神官がこの際に「うぉ~」とサイレンのように声を発しますが、この時は神様がお通りになる合図なので頭を下げてそのお姿を見ないというのが礼儀です。
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【降神の儀】
次が「献饌」。降りてきてくださった神様に、地の豊富な食べ物などを捧げ、神様に食べていただこうというおもてなしの酒肴です。
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【献饌はお食事の提供です】
いよいよその次が「祝詞奏上」。神様に降りてきていただいたのはここでお願い事を神官さんが唱えるため。願い事の前に諸々の禍事や穢などがあったらどうぞお祓いください、とお願いをします。
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【祝詞奏上、お願い人の名前も出てきます】
その次が「玉串奉奠」。神官さんが代読したお願い事をする張本人たちが姿を見せてお願いの儀式に加わります。
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【一度ちゃんと予習をしておくと、あたふたしません】
ここまですると次はもう「撤饌」。神様へのもてなしの食事を終ります。神社へお祓いを受けに行くと帰りにお酒などをお土産としていただきますが、これには撤饌と書かれていて、一度神様にささげられたものであることを示しています。
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【神様、お食事もお時間となりました】
そして「昇神の儀」で神様に元の世界へお戻りいただきます。やはりここでも神官が「うぉ~」と発します。
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神事としてはここまでですが、神事が終わった後には「直会(なおらい)」と称して、参加者が神様にささげられた料理や魚などを共に食します。これは単なるご苦労さん会ではなく、神様が口をつけたものをいただくことで神様と人間が一体になるという象徴的な行為でもあります。
お酒を飲みにゆくことを「さあ、直会、直会」というのは、こうしたことから来ています。
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【神様と一緒になれる機会です】
これらの一連の流れの意味がちょっと分かっているだけで神事が不思議な儀式ではなく古来からのおもてなしとお願いの文化の現れであることが分かり、出席していていも気が楽になることでしょう。
※ ※ ※ ※ ※
普段の教育振興会とは全く違う観点の話題に驚いた方もいらっしゃったようですが、普段あまり考えずに何気なく過ごしている日本の信仰の姿を聞いて関心を持たれた方も多かったよう。
東京でも自転車でずいぶん多くの神社を巡りましたが、これも面白い経験でした。自分たちの周りでどんな神様が見守っていてくださるのか、なぜこちらに鎮座しておられるのか調べてみてはいかがでしょう。
日本に生まれたありがたみを感じて心が豊かになると思います。
事前にどんな話をするかについては、私がお話しできるテーマのメニューをお示ししたところ、「普段なかなか聞けない話が良いと思うので、『神社めぐりと日本人の信仰』ということについてお願いしましょう」ということになりました。
釧路で大好きな神社についてお話をする機会が得られるとはありがたい。これは一生懸命やらなくては、ね。
※ ※ ※ ※ ※
神社や神様について初めて関心を持ったのは平成8年に信州松本へ赴任した時のこと。もう15年も神社について見て回っているんですね。
松本では当時の国交省の上司から、「国交省の人間は、土を削り木を切り、水の流れを変えて人間の役に立つ施設を作って給料をもらっているが、そこで失われる虫や植物の魂について考えを及ぼさなくてはいけない。だから転勤したら地域一番のお宮へ行って、ちゃんとご挨拶をするのが良い」と教えられました。
それ以来、転勤するたびに地域のお宮へ行き、それととともに旅行などでも神社を巡るようになりました。
最近でこそパワースポットなどという言い方で神社やお寺などを巡って癒しを求める人が増えてきましたが、そんなオカルトの世界ではなく、日本人のDNAに流れるアニミズムの精神をしっかりと理解すべきだ、というのが私の立場です。
日本人は神社や神様のことについて教えてもらう機会はほとんどありませんし、あまり深く考えなくてもお祓いやお参りに行くものです。誰も「行け」とか「行った方が良いよ」などとは言わなくても、です。
しかしせっかくなら、古事記の神話の世界から繋がってくる神事の姿についてもちょっとだけ理解を深めておいた方がより豊かな人生になると思います。目からウロコが少しは落ちることでしょう。
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【リバレインの跳ね橋の意味は】
まずは生活に溶け込んだ信仰の力について。写真は福岡市にあるリバレインという再開発ビル同士をつなぐ空中の橋です。
この橋、下を博多祇園山笠の山車が通る際には跳ね橋として上にあげられます。あまり考えずに「なるほど、山車のてっぺんが引っかからないように、という配慮ですね」とご案内してくれた方に訊くと、「いいえ、そうではありません」と言います。
改めて跳ね橋になっている理由を問うと、「山車が通る際に跳ね上げますが、これは山車の高さが引っかかるからではなくて、神様が載っている山車を上から見下ろすのは失礼だから」という配慮なのだそう。
こういう神様や祭りへの信仰心が再開発ビル建築のありようにまで影響をしているとは実に面白いことです。
※ ※ ※ ※ ※
そんなことがあって神事をいろいろと勉強してみました。すると今まで呪文を唱えていたように思った神主さんの言葉が日本語に聞こえてきます。そしてその意味は古事記の中のイザナギの禊のシーンについて述べられているのだ、ということもわかりました。
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【祓詞は呪文ではありません、日本語です】
わかってしまえば大したことはないのに、誰も教えてくれないというのもこの世界のこと。自分で学ぶしかありません。
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【イザナギの黄泉の国の物語】
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神事は、「修祓」と言う参加者全員や使う道具までを御幣で祓い清める動作で、場の一同の清浄を図ります。
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【修祓で会場をお祓いします】
次に「降神の儀」。神様は普段そこにはいないので、お願い事などの用事があるたびに仮の御座所である神籬(ひもろぎ)へ降りてきていただくのです。神官がこの際に「うぉ~」とサイレンのように声を発しますが、この時は神様がお通りになる合図なので頭を下げてそのお姿を見ないというのが礼儀です。
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【降神の儀】
次が「献饌」。降りてきてくださった神様に、地の豊富な食べ物などを捧げ、神様に食べていただこうというおもてなしの酒肴です。
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【献饌はお食事の提供です】
いよいよその次が「祝詞奏上」。神様に降りてきていただいたのはここでお願い事を神官さんが唱えるため。願い事の前に諸々の禍事や穢などがあったらどうぞお祓いください、とお願いをします。
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【祝詞奏上、お願い人の名前も出てきます】
その次が「玉串奉奠」。神官さんが代読したお願い事をする張本人たちが姿を見せてお願いの儀式に加わります。
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【一度ちゃんと予習をしておくと、あたふたしません】
ここまですると次はもう「撤饌」。神様へのもてなしの食事を終ります。神社へお祓いを受けに行くと帰りにお酒などをお土産としていただきますが、これには撤饌と書かれていて、一度神様にささげられたものであることを示しています。
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【神様、お食事もお時間となりました】
そして「昇神の儀」で神様に元の世界へお戻りいただきます。やはりここでも神官が「うぉ~」と発します。
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神事としてはここまでですが、神事が終わった後には「直会(なおらい)」と称して、参加者が神様にささげられた料理や魚などを共に食します。これは単なるご苦労さん会ではなく、神様が口をつけたものをいただくことで神様と人間が一体になるという象徴的な行為でもあります。
お酒を飲みにゆくことを「さあ、直会、直会」というのは、こうしたことから来ています。
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【神様と一緒になれる機会です】
これらの一連の流れの意味がちょっと分かっているだけで神事が不思議な儀式ではなく古来からのおもてなしとお願いの文化の現れであることが分かり、出席していていも気が楽になることでしょう。
※ ※ ※ ※ ※
普段の教育振興会とは全く違う観点の話題に驚いた方もいらっしゃったようですが、普段あまり考えずに何気なく過ごしている日本の信仰の姿を聞いて関心を持たれた方も多かったよう。
東京でも自転車でずいぶん多くの神社を巡りましたが、これも面白い経験でした。自分たちの周りでどんな神様が見守っていてくださるのか、なぜこちらに鎮座しておられるのか調べてみてはいかがでしょう。
日本に生まれたありがたみを感じて心が豊かになると思います。