北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

神事とは何か~ 教育講演会にて

2011-06-24 23:45:32 | Weblog
 今日は教育関係のある振興会で講演。

 事前にどんな話をするかについては、私がお話しできるテーマのメニューをお示ししたところ、「普段なかなか聞けない話が良いと思うので、『神社めぐりと日本人の信仰』ということについてお願いしましょう」ということになりました。

 釧路で大好きな神社についてお話をする機会が得られるとはありがたい。これは一生懸命やらなくては、ね。


    ※     ※     ※     ※     ※


 神社や神様について初めて関心を持ったのは平成8年に信州松本へ赴任した時のこと。もう15年も神社について見て回っているんですね。

 松本では当時の国交省の上司から、「国交省の人間は、土を削り木を切り、水の流れを変えて人間の役に立つ施設を作って給料をもらっているが、そこで失われる虫や植物の魂について考えを及ぼさなくてはいけない。だから転勤したら地域一番のお宮へ行って、ちゃんとご挨拶をするのが良い」と教えられました。

 それ以来、転勤するたびに地域のお宮へ行き、それととともに旅行などでも神社を巡るようになりました。

 最近でこそパワースポットなどという言い方で神社やお寺などを巡って癒しを求める人が増えてきましたが、そんなオカルトの世界ではなく、日本人のDNAに流れるアニミズムの精神をしっかりと理解すべきだ、というのが私の立場です。

 日本人は神社や神様のことについて教えてもらう機会はほとんどありませんし、あまり深く考えなくてもお祓いやお参りに行くものです。誰も「行け」とか「行った方が良いよ」などとは言わなくても、です。

 しかしせっかくなら、古事記の神話の世界から繋がってくる神事の姿についてもちょっとだけ理解を深めておいた方がより豊かな人生になると思います。目からウロコが少しは落ちることでしょう。


    ※     ※     ※     ※     ※


   【リバレインの跳ね橋の意味は】


 まずは生活に溶け込んだ信仰の力について。写真は福岡市にあるリバレインという再開発ビル同士をつなぐ空中の橋です。

 この橋、下を博多祇園山笠の山車が通る際には跳ね橋として上にあげられます。あまり考えずに「なるほど、山車のてっぺんが引っかからないように、という配慮ですね」とご案内してくれた方に訊くと、「いいえ、そうではありません」と言います。

 改めて跳ね橋になっている理由を問うと、「山車が通る際に跳ね上げますが、これは山車の高さが引っかかるからではなくて、神様が載っている山車を上から見下ろすのは失礼だから」という配慮なのだそう。

 こういう神様や祭りへの信仰心が再開発ビル建築のありようにまで影響をしているとは実に面白いことです。


    ※     ※     ※     ※     ※

  
 そんなことがあって神事をいろいろと勉強してみました。すると今まで呪文を唱えていたように思った神主さんの言葉が日本語に聞こえてきます。そしてその意味は古事記の中のイザナギの禊のシーンについて述べられているのだ、ということもわかりました。


   【祓詞は呪文ではありません、日本語です】


 わかってしまえば大したことはないのに、誰も教えてくれないというのもこの世界のこと。自分で学ぶしかありません。


   【イザナギの黄泉の国の物語】





 神事は、「修祓」と言う参加者全員や使う道具までを御幣で祓い清める動作で、場の一同の清浄を図ります。


   【修祓で会場をお祓いします】


 次に「降神の儀」。神様は普段そこにはいないので、お願い事などの用事があるたびに仮の御座所である神籬(ひもろぎ)へ降りてきていただくのです。神官がこの際に「うぉ~」とサイレンのように声を発しますが、この時は神様がお通りになる合図なので頭を下げてそのお姿を見ないというのが礼儀です。


   【降神の儀】


 次が「献饌」。降りてきてくださった神様に、地の豊富な食べ物などを捧げ、神様に食べていただこうというおもてなしの酒肴です。


   【献饌はお食事の提供です】


 いよいよその次が「祝詞奏上」。神様に降りてきていただいたのはここでお願い事を神官さんが唱えるため。願い事の前に諸々の禍事や穢などがあったらどうぞお祓いください、とお願いをします。


   【祝詞奏上、お願い人の名前も出てきます】


 その次が「玉串奉奠」。神官さんが代読したお願い事をする張本人たちが姿を見せてお願いの儀式に加わります。


   【一度ちゃんと予習をしておくと、あたふたしません】


 ここまですると次はもう「撤饌」。神様へのもてなしの食事を終ります。神社へお祓いを受けに行くと帰りにお酒などをお土産としていただきますが、これには撤饌と書かれていて、一度神様にささげられたものであることを示しています。

 
   【神様、お食事もお時間となりました】


 そして「昇神の儀」で神様に元の世界へお戻りいただきます。やはりここでも神官が「うぉ~」と発します。



 神事としてはここまでですが、神事が終わった後には「直会(なおらい)」と称して、参加者が神様にささげられた料理や魚などを共に食します。これは単なるご苦労さん会ではなく、神様が口をつけたものをいただくことで神様と人間が一体になるという象徴的な行為でもあります。
 お酒を飲みにゆくことを「さあ、直会、直会」というのは、こうしたことから来ています。


   【神様と一緒になれる機会です】


 これらの一連の流れの意味がちょっと分かっているだけで神事が不思議な儀式ではなく古来からのおもてなしとお願いの文化の現れであることが分かり、出席していていも気が楽になることでしょう。


    ※     ※     ※     ※     ※

 
 普段の教育振興会とは全く違う観点の話題に驚いた方もいらっしゃったようですが、普段あまり考えずに何気なく過ごしている日本の信仰の姿を聞いて関心を持たれた方も多かったよう。

 東京でも自転車でずいぶん多くの神社を巡りましたが、これも面白い経験でした。自分たちの周りでどんな神様が見守っていてくださるのか、なぜこちらに鎮座しておられるのか調べてみてはいかがでしょう。

 日本に生まれたありがたみを感じて心が豊かになると思います。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もうUFOでも呼びますか

2011-06-23 23:50:16 | Weblog
 建設事業協会の例会での講演。お題は「コンパクトシティとその課題」と聞いていたので、そのつもりで背景とこれからについてお話をしました。

 講演をするときは質問を受けるのが一つの楽しみ。一番最初の質問によって場の空気が熱くもなればしらけもします。
 
 良い質問と言うのは内容をよく聞いていて、事前に(よし、これを質問してやろう)と準備をしなければできるものではありません。だから良い質問ができる人は良き聞き手である、というのが私の持論で、自分自身もできるだけ良い質問をしようと心がけています。

 
 今日の釧路におけるコンパクトシティ論では、ほぼ確実視される人口減少局面ながら、少しでも地域に雇用を創造して若者を定着させることを考えなくてはならない、というお話もしました。

 質問者はそのあたりについて、「どのように若者に仕事を与え、若年者雇用を増やせるだろうか」ということを訊いてきました。


 それに対する私の答えはこんな風。

「今大変なのは若年層に対してお金が回らないこと。今の高齢者は亡くなるなる時が一番お金持ちと言う状態で、年金などを使わずに貯めたまま死んでゆくのです。しかも長寿社会で死ぬ年齢がどんどん高くなっているために『老老相続』という状態が発生しています。つまりお年寄りの財産相続をする子供がすでに60歳以上ということなのです」

 ※少し前の調査ですが、個人金融資産の3分の2を高齢者が持っていて、相続する人の平均年齢が60歳を超えている、とのこと

「亡くなる直前のお年寄りともなると我慢強かったり、もうお金を使う対象もなくなるのかもしれませんがそれが大問題なので、いかに高齢者に満足を買う出費をさせるか、合法的にお金を還流させることができるか、が鍵になります」

「それはお年寄りに満足や興奮や幸せを買うことができるのだ、というビジネス創造が必要で、それは旅を介護がサポートすることかもしれないし、釧路だったら空港から阿寒湖畔までがずっとバリアフリーで介護サポートもしっかりしている、というような受け皿なのかもしれません」

「そして多くの地方都市が単なる人口減少+少子高齢化に悩んで手の打ちようがない、と思っているときに、豊かな観光資源とインフラに恵まれている【釧路の今ならば】お年寄りに幸福感を提供できる素地があるのではないか、と思います」

「同時に、大人たちが若者をもっと支援するような風潮やまちの気風も必要なように思います」 


    ※     ※     ※     ※     ※


 質問者の二人目は「津波の被害を受けたが、防災面での街づくりはどうか」という質問。これまた良い質問です。これに対する答えはこんな感じ。

「もちろん避難するということが一番大事です。防潮堤などの施設で津波被害を軽減しようとするまちづくりは現実的ではありません。しかし、では何もしなくて良いのか、ということにもならないでしょう」

「予算や制度の制約はあるものの、ここは少し大ぼら的に聞こえても、将来はこうあっても良いのではないか、というような大きな構想を土木学会などの各種学会や技術アドバイザーなどから求めたい」

「例えば、一階部分に柱を立ててピロティ方式で二階以上を使えるような人工地盤を公共が補助することで、安全性と賑わいを一石二鳥で可能にするような計画ができないものか。今すぐと言わないが50年後までには、というような長いスパンで考えてはどうか。こういうことに対して広く市民の皆さんの考えを聞いてみたいと思います」


 多少のホラめいた構想でも、被災地の側から「こうしたいがどうか」という求めがない限り、助けが来るものではありません。さて、あちらこちらに知恵を出してもらわなくては。


    ※     ※     ※     ※     ※



 お話の後の懇親会では同席した方から、「夢のある事業に我々の業界でもお金をあげていた時代があったんですよ。シカ肉を食品にしたい、という人がいて面白がって補助してみたら、今やそれが現実になりかけていて本人は大学で研究する実になったということもありました」
「へえ、それは立派なビジネス支援ですね」

「いや、中には『UFOを呼びたい』というプレゼンがあって、要求額100万円だったのを二万円だけつけたところ、『これじゃ何もできません』ってお金を返してきたということもありましたよ。100万円渡していたら本当に何をしていたんだか(笑)」
「UFOを呼ぶ、ですか呼び方を知っていたんでしょうかね(笑)」





 しかしこれからの混沌とした時代には、それくらいの突拍子もない突破力があっても良いのかもしれません。

 これからは平時の優等生ではなく、有事の現場力が必要なように思います。さて、なにかヒントになったでしょうか。

 もうUFOでも呼びますか!?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エリートの地方研修

2011-06-22 23:45:45 | Weblog



 今週釧路には、今年新規採用の国家公務員一種の人たちが三人訪れてくれて地方自治に関する研修を行っています。

 これは国家公務員の人材育成の一環として、研修を充実させる方針のもとで、全国から協力が得られる自治体に対して職員を送り込んで現場というものを体験してもらおうというのです。

 今回来釧した三人は、文科省、国交省、人事院からで男性二名女性一名のいずれも法律職の方たちばかり。彼らは日曜日に釧路入りして、月曜日から研修開始。

 明後日の金曜日の午前中まで研修日程が入っていて、釧路のまちづくりや窓口業務、福祉、環境、防災、産業などについて一通りの講義と現地見学を行うことになっています。

 月曜日には札幌から帰ってきたばかりの私も一時間ほど釧路の自然環境や歴史、産業などについての概括的な講話をしました。


   【北海道は広いのだ】


   【地方都市の人口減少は大変な問題】


 釧路で言えば、かつては石炭、水産業、紙・パルプの三大産業で栄えましたが、それらが苦境を迎えて地域の経済が苦しくなってきているところへ人口減少局面が加わり苦しさを増していますが、おそらくこれは日本中の地方都市で起っていることでしょう。

 そんな中、国レベルの観光資源である阿寒と釧路湿原という二つの国立公園を活かして、観光という新しい分野でいかに東アジアを中心とした外国人観光客に地域を楽しんでもらうかということに活路を求めていることなど。


   【地域経済はますます苦しくなります】


    ※     ※     ※     ※     ※


 しかし一時間足らずの講和の中で私が本当に伝えたかったのは、知識としての釧路のことではありません。

 それよりも日本中の地方都市が自分たちの町にある世界レベルの資源、日本の国レベルの資源、都道府県レベルの資源、などを大切に守りながら育成して、自分たちの財産をいかに増やし、次世代に誇れるまちづくりをするかを一生懸命競い合っているのだということです。

 目に見える道路や建物などは整備が進み、人口減少局面を迎えて絞り込みを進めなくてはならず、それらは増えたり減ったりします。

 そのようなことも市民の皆さんに説明し理解してもらったうえで一体となって皆がこれからの変化に耐えなくてはならないし、そうしたまちづくりを一緒になってやれるような市としての気概や気風もすべて含むのがまちづくりであるということです。

 今や地方分権が進む中で国の役割にも大きな変化が訪れています。国の官僚として極めて狭い領域を守るだけでは、縦割りの領域を調整し折り合いをつけながら満足と幸せを増すように努めようとする地方自治体と利害が相反する局面もあることでしょう。

 将来のエリートたちには、現場がそうした複雑な社会に生きているということを覚えて帰っていただきたいものです。
 
 また、初めて訪れた地方自治体が偶然にも釧路であったという縁も大切にしてほしいところです。行く先は極めて運に負うところが多いのだそうですが、同僚の中には研修先が千葉市だった人もいるそうです。

 いつでもいけるようなところよりは思い切り離れた釧路の方が面白いに違いありません、いやより面白い研修で送り返してあげたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生涯学習の6つの目的

2011-06-21 23:45:02 | Weblog



 今日はくしろ市民大学の開校式があり、そこでの今年最初の講演で私にお話をしてほしい、という依頼がありました。

 
 それならば、ということで、タイトルを「生涯学習とまちづくりの原点」ということにして、生涯学習的な生き方についてお話をすることにしました。

 思えば、生涯学習発祥の地、掛川で三年間市の助役として勤務し、生涯学習の提唱者榛村純一元市長さんの市長生活最後の三年間を部下として仕えることができたことは自分にとっていかに大きな価値を与えられたのか、と思います。まさに掛川での三年間は人生の大きな転換点でした。

 これからは私が生涯学習の真髄を最も理解しているものの一人としてその考えを発展させ広めてゆかなくてはと決意も新たにするところです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 さて今日、生涯学習というと、『高齢者が年を重ねてもなお、文化・芸術活動にいそしむこと』と捉えられがちです。しかし実はそれは生涯学習の真の概念のほんの一部に過ぎません。

 榛村さんは、生涯学習の目的として次の5つのことを掲げました。

1 教育改革としての生涯学習(学歴社会からの脱皮、大器晩成社会)
2 楽しむ・たしなむ生涯学習(自己実現と多様に豊かな生活を目指す生き方)
3 勉強を求められる生涯学習(高度情報化、地球環境問題など今日を生きる術)
4 高齢化に対して良く死ぬための生涯学習(社会的コストをかけずに死ぬための自己規律)
5 まちづくりへの生涯学習(周辺や子孫に尊敬される舞台としての地域)

 この五つです。しかし私は敢えてこれに「災害で死なないための生涯学習」を加えて6つの生涯学習の目的を再定義したいと思います。これらについて少し説明を加えておきましょう。


    ※     ※     ※     ※     ※


 1つめの、教育改革としての生涯学習です。現在の学校教育の世界では、15歳や18歳の偏差値で入学する学校が決まり、そして就職する22歳の時の偏差値で就職先が決まってそれが一生を決めることになります。

 しかし多様な個人の才能を偏差値のようなもので代表させて良いわけがありません。我々はこうした学歴社会から脱皮し、多様な生き方に人生の深みを感じつつ、大器晩成社会を認めていかなければならないという教育改革の生涯学習が1つめの「教育改革としての生涯学習」です。


 2つめは、楽しむ・たしなむ生涯学習です。自己実現と多様に豊かな生活を目指す生き方で、他の町は(いや文科省までが)これが生涯学習と思っています。
 もちろん目標のある人生を前向きに豊かに生きることは立派なことですが、これが全てではないということは理解しておくべきだと思います。


 3つめは勉強を求められる生涯学習です。技術革新の時代、変革の時代の中で高度情報化、地球環境問題などは話題の変化が速いものです。

 我々は常に好奇心をもってその変化に追いつき、新しい時代についていかなければなりません。今日を生きる術を身につける生涯学習です。

 今日の参加者約40名のうち、まだ地デジに対応していない方は1名でした。市役所の1階でも相談窓口を開いていますので是非ご利用ください。


    ※     ※     ※     ※     ※


 4つめは「災害で死なないための生涯学習」を加えたいと思います。

 先の東日本大震災に際しては釧路も津波被害を受けましたが、いざというときの避難所の確認や我が家の耐震度向上など、常日頃から災害への備えを当たり前のものとしておきたいところです。

 もしかしたら住むところすら考えなくてはいけないかもしれません。死にたくないときに死なないように備えることこそ「災害で死なないための生涯学習」と位置付けたいと思います。



 5つめは「高齢化に対してよく死ぬための生涯学習」です。自治体が高齢者に対する問題は重要です。福祉の問題、健康の問題、医療の問題をどうしていくかは非常に大きな問題です。どんな人も確実に年をとってゆきますが、そのときにどういう年寄りになりたいかどういう年寄りにならなくてはいけないかというイメージを持って備えておくことは極めて有効なことだろうと思います。

 掛川では「一世紀一週間人生」という言葉で、長寿のススメと周りにも自分にも負担をかけない死への旅立ちを説いていました。

 今日の日本の医療水準があれば80歳くらいまではなんとか生きることができます。しかしそこから100歳を目指すためにはまさに食事や運動など健康に十分に気を遣いかつ実践をしてゆかなくてはなりません。そしてそうやって百歳を迎えることができれば、お迎えが来た時に苦しまずにそっと旅立つことができることでしょう。そういう長寿の人生を過ごしたいものです。


 最後の6つめは最も大事なまちづくりへの生涯学習です。周辺や子孫に尊敬される舞台としての地域づくりを行うことです。

 自分が生まれたときよりも自分が死ぬときには良いまちにしないと今生を生きてきた意味がないというくらいに地域に対して愛着を持って一生を終えることは生きてきた大きな目標ではありませんか。

 そのためには自分一人一人がわが町を良くすることに参加し実践することを奨励し続けるしかありません。


    ※     ※     ※     ※     ※

 
 そうした話を説いて説いて説きまくること。そして人々に参加のための工夫をこらすことです。榛村さんは「生涯学習とはなんですか?」と言う私の問いにすかさず「ゼロ歳から百歳までの動機づけだ!」と答えてくれました。

 一人一人の心に火をつけてやる気を出すために何ができるでしょうか。

 今日の講演もそんなことの一端ではありますが、生涯学習的生き方の私なりの実践なのです。

 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

携帯電話を忘れると

2011-06-20 23:31:00 | Weblog
 涙の結婚式ウィークエンドを終えて再び釧路へと戻ってきました。

 週末にはブログやフェイスブックで大変多くの皆さんから共感と激励のコメントをいただき、心からお礼申し上げます。
 
 比較的ゆっくり家を出たつもりだったのですが、札幌駅で乗り換えようとして携帯電話を家に忘れたことに気づきました。

 既に取りに帰るだけの時間的余裕もなく、とにかく家に連絡して釧路まで送ってもらおうとしました。

 ところがいざ連絡をしようにも公衆電話がなかなか見つかりません。携帯電話が隆盛になったことで、公衆電話の意義が薄れたために多くの公共の場所で公衆電話の台数が減っているのです。

 駅の構内でグレーの公衆電話をやっとのことで見つけると、今度は「カード専用電話です」とありました。

(テ、テレホンカード?そんなのもっていたっけ?…)と財布やら名刺入れに手帳に挟んだカードを根こそぎひっくり返してみたところ、ありました!たった一枚だけテレホンカードがありました。

 勇んで挿入すると機械的な音声で「カード度数は8度です」というお知らせ。危ない危ない、なんとか家に連絡がついて、郵送で送ってもらうことにしました。

 携帯電話にあまりに依存しすぎると、それがない時の不便も大きいものです。テレホンカードを改めてもう一枚入れておこうと思いました。


    ※     ※     ※     ※     ※


 その後、家に帰ってみるとうちの奥さんからメールが届いていました。

「…携帯電話を送ろうと郵便局まで歩いて行きましたが電池が機械を通すと受付できないとのこと。とほほだよ(T_T)とぼとぼと帰る道のなんと遠いことか・・・。家まで帰って車で宅急便で出しに行ってきました」

 なんと、携帯電話って郵便では遅れないんですね。

 皆さんも携帯電話はどこかに忘れないようにお気を付けください。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手紙の宝物

2011-06-19 23:43:01 | Weblog
 長女の結婚式から一日明けて、昨日参加した親類からも『よい結婚式でしたね、改めておめでとうございます』というメールが相次いで届きました。おかげさまで親の役目を一つ終えることができ、ほっとしています。


 昨日の娘からの手紙を再度読み返し、涙をこぼしながら朝一番でブログを書きました。悲しいわけでもないし寂しいわけでもなく、嬉しいのともちょっと違うんだけれど思い出すと鼻の奥がつんとなるのはなぜでしょう?

 妹の次女にはこっそり伝えていたらしいのですが、長女も実はこの手紙を書く内容を思っては泣き、書いては泣きして書き上げるのに三日もかかったのだとか。予想以上に思いのこもった手紙でした。


      ※     ※     ※     ※     ※


 なんだかんだで家の整理などをして買い物に出かけて帰ってみると新郎新婦が挨拶をかねて預かりものを取りに来ていました。

 娘の婿さんはついでにパソコンを持参してくれていて、我々が昨日見ることができなかったプロフィールビデオとエンドロールビデオを見せてもらうことができました。

 幼かった婿さんの成長の姿とともに、娘の幼かった頃からの写真が流れて、そこには若かった私たち夫婦の姿がやっぱりホロリとしてしまいました。

 涙が出るのは過ぎた時が懐かしくて、そこにはもう戻れないことに改めて気づくからなのかもしれません。

 昨日の両家代表謝辞で「子育ては大変だし楽じゃないけれど、その時を過ごした先には幸せがあると分かりました」と分かり切ったつもりで述べたことをもう一度このビデオが思い出させてくれました。

 人間、物事が分かってしまっても平気になるわけではないのですね。


      ※     ※     ※     ※     ※


 そして朝娘の手紙を読んでいて、手紙には書いてあるものの、昨日の朗読の時は読み飛ばした一節があることに気がつきました。

 訊こうかどうか迷いましたが、(もういいや)と思って娘にそのことを訊ねました。

「この一節は読み飛ばしたのかい?」すると娘は「うん、手紙では伝えようと思ったけれど、ね。読み飛ばしたから次にどこから読むか一瞬とまどっちゃった」

 
 そうだね、あなたと私たちだけが共有できていればよいことがあるよね。

 その思いをお互いに忘れずにいよう。それでずっと繋がっていられるのだから。

 今日改めて、この一通の手紙は宝物になりました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長女の結婚式(後編)~な、涙が…

2011-06-18 23:48:31 | Weblog
 いよいよ両親への花束贈呈の時間となり、係の方の合図で両家の親は出口付近に立たされました。なんだかさらし者みたいだけれど、これも仕方のない役回りです。


 やがて司会の合図で新郎新婦が席を立ちこちらに向かってきます。(そんなに急いでこなくていいよ…)

 (どっちがどっちに花をくれるんだっけ?新郎からもらうのか?)妻にささやきますが、もう妻もそれどころじゃない感じ。

 やがて新郎は先方のお母さんの前に、新婦の長女が私たち夫婦の目の前に立ちました。(マ、マズイ…目を合わせないようにしよう…)

 そこで、花をくれるだけかと思ったら、案の定、娘からの手紙の朗読。(やっぱりか。あるかと思ったけれど、どこにもそんなこと書いてなかったじゃん…)

 娘の手紙の朗読が始まりました。




「結婚が決まってからプロフィールビデオを作るために小さい頃からの写真を見返しました。生まれてから今まで、見返すのが大変なくらい、うちにはたくさんの写真がありますね。『旅行に行ったときのだよ』私が覚えている以上の思い出話を話してもらうのが好きでした」(うぐぐ…)

「…高校に入ってからは単身赴任が続き、お父さんと過ごす時間が短くなりましたが、いつも娘のことを考えていてくれましたね」(うぐぐぐ…)

「お母さんは自分のことをあまり面白くないと思っているけど、じつはとても面白いお母さんでした」(うぐぐぐぐ…)

「これからはもう、家族四人で過ごすこともなくなると思うと寂しいですが、お父さんお母さんと同じくらい、私を大切にしてくれる人と巡り会いました
…」(うぐー、うぐー)

「二人の娘でいられたことに感謝しています。子育てが終わったこれからも、映画を見たり旅行をしたり、健康に気をつけて仲の良い夫婦でいてください 可奈より」(うぐー、うぐー!!)


 もう最後の方は娘を直視できず、ずっと遠くを見ている私でした。必死で耐えてきたけれど、もう一押しすれば涙がどっと出てきそう。うぐぐー


      ※     ※     ※     ※     ※


 手紙の朗読が終わって娘から花束が妻へ、私にはちいさな花が渡されるのでした。花束をもらった妻は涙ポロポロ。もう無理だなあ

 私への花…、私への花…は?どこ? 私にくれる花を娘はもっていなくて、何を私に渡すのかそこで迷っている様子。

 はっと横を見ると新郎が胸に挿している花が目について、それをくれようとしました。ところがそれは襟の後ろで留められるようになっていて簡単には取れません。

 会場からは見えない後ろ姿にざわつきが始まりました。

 すると横から新郎のお母さんが「何やってるの、こうやれば取れるわよ」と迷アシスト(?)おかげで無事花が取れて私にも花が渡されました。

 ところが本当はここで下でしゃがんでいた係の方が私用の花を新婦に手渡すことになっていたのですが、なんとドタバタのなかでそれを渡しそびれてしまったのでした。

(こ、これで良かったのか…?)(いいことにしましょうよ)という新郎とのアイコンタクトに、何事もなかったように振る舞いましたが、新婦も本当は花を係の方からもらうことに気づいて、それを受け取ると今度はそれを新郎の胸に挿して苦笑い。(やっちゃったー)

 土俵際まで押し込まれて徳俵で必死にこらえていた涙でしたがこのハプニングでどこかへ飛んでしまいました。

 それを取り返すまもなく今度は私からの両家代表謝辞の番です。

「本日は新郎新婦による結婚披露宴のご案内を申し上げましたところ、時節柄大変お忙しい中、また遠路はるばる、大変多くの皆様がご出席をいただき、誠にありがとうございました…」
 
 ここからは練習に練習を重ねた挨拶ですが、途中で「…娘は選べないけれど、息子は選べることに気がつきました。変な奴だったら選ばなきゃ良いんだ、と思いましたが、マイクパフォーマンスもあるし案外良い奴だったので、お願いして息子になっていただきました…」とやって、少し受けたけど、この頃にはもう涙どころではなくなっていました。


   【新郎挨拶】

      ※     ※     ※     ※     ※


 私の挨拶の後に新郎からもひと言お礼を述べると、新郎の直属の上司から乾杯を受けて、親たちは会場の外へ。

 やがて新郎新婦が退場してきて、私たちと一緒にお客様たちをお見送りします。


「やっちゃったー」「あれで涙が止まったよ」


 どこまでも最後の最後でドジな娘ですが、新郎にはそれも含めてしっかりと受け止めてあげてください。ここまで手塩にかけた娘です。多少頑固ですが、どこに出しても恥ずかしくないようにはなってくれました。私の自慢の娘なんですから。どうかよろしくお願いします。

 
 今やっと涙が出てきました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長女の結婚式(前編)

2011-06-18 23:45:22 | Weblog
 今日はいよいよ長女の結婚式。

 お昼過ぎに家を出て、披露宴会場のホテルに着くと妻と次女は髪のセットに直行。三時の北海道神宮出発まではまだ時間があって男親は手持ちぶさたなのですが、本を読むほど心にゆとりがあるわけでもありません。

 朝の新聞の天気予報では、まさに午後三時から一時雨が降るという予報で、神社の境内で親族集合写真を撮る予定なのでちょっと不安です。

 やがてお互いの親族がどんどん集まってきました。私もレンタルのモーニングに着替えて準備万端、三時にバスに乗り込んで双方の親族約40人が北海道神宮へと向かいました。

 現地では入院中の義父も介護タクシーで駆けつけてくれて、これで全員が勢揃いです。


      ※     ※     ※     ※     ※


   【雨が晴れて良かった】


 神前結婚式では、祝詞奏上、玉串奉奠、誓詞読み上げ、指輪の交換、三三九度と進み、式は滞りなく終了。巫女さんのお神楽も見られて、厳粛な中にも見応えのある式となりました。 

 移動中は参拝者が写真を撮り始めます。私も神社へお参りに行ったときに結婚式に合うと「今日はついてる!」と思いますから当然ですが、自分が写される方に回るとは思いませんでした。

 ホテルを出発する頃にぱらついた小雨も、北海道神宮へ着く頃には上がり、無事に写真も撮れました。神様にも祝福されているようで見守られているという感じがして誰の日頃の行いのおかげでしょうか。


      ※     ※     ※     ※     ※


 さて、北海道神宮から帰ってくると控え室で休憩。新婦はこの間に洋装のドレスに着替えて18時半からの披露宴を迎えます。
 披露宴出席者は約100名。そのうち親族が40名ほどなので、和気藹々とした程よい規模のパーティとなりました。


   【新郎新婦入場】


 今回の披露宴ではお仲人さんも立てません。新郎新婦のプロフィールも司会の女性が紹介をしてくれるかたちで、全て自分たちで仕切るというもの。最近の結婚式ではこういう形も多いのだそうで、時代の流れなのでしょう。

 新郎新婦のそれぞれの上司から来賓ご挨拶をいただき、それぞれの職場でのエピソードが語られました。「職場のエースとして期待されている新郎」、「小学校の先生として学級経営に悩んでいた泣き虫先生の新婦」

 あまり知られない姿の紹介に、子供のこともあまり知らない親だったと痛感。ある時からはもう干渉すべきではない独立した大人になったはずの娘と、今日までは自分の子供だったんだな、という思いが交錯します。


   【雰囲気の良いパーティでした】

      ※     ※     ※     ※     ※


 新郎新婦がお色直しで中座している間に、会場には二人のこれまでがスライド映像で流されました。

 この間がちょうど両家の親が各テーブルを出席のお礼に回る時間にあたりました。新郎新婦が作ったスライドで、二人の幼いときからのアルバムの写真にひと言加えた工夫を加えたものでしたが、テーブルでビールをついで回って挨拶をしているとほとんど見ていることができません。

 本当はじっくり見たい気もしましたが、チラチラ見ただけでこみ上げるものがあって、じっくり見たら多分泣いちゃうので敢えて見ないようにして、挨拶に傾注していました。アブナイ、アブナイ…。


      ※     ※     ※     ※     ※

 
 お色直しがすんで赤のドレスと黒いモーニングの新郎新婦が登場すると、各テーブルへのキャンドルサービスが始まりました。


   【うむ、十分にきれいですぞ】


 これが終わるとそろそろ両親への花束贈呈と両家代表謝辞。新郎側にお父さんがおられないために、今回は私に両家代表謝辞を述べる役回りが与えられました。やれやれ、楽ちんに飲んで食べていればよいというわけには行きません。

 …と、ここでサプライズ好きの新郎から会場へのサプライズプレゼントがありました。それは北海道神宮での挙式の様子を撮ってくれた友人の写真画像をその場でパソコンからチョイスして会場に写しだし、アドリブで説明を始めたのです。

 挙式に参加した親族しか見られなかった娘の白無垢姿が大きく映し出されて、「折角の姿を是非会場の皆様にも見ていただきたくて、朝からの一日を映像でご紹介します」

 マイクパフォーマンスもなかなかなもので、会場から大受けでした。


 (なるほど、粋な趣向だ)と感心しながらも、私の方はだんだんお腹が一杯になってきました。どうしてみんなそんなに食べられるんだろう?今日は料理の量が多いよ…。ステーキもデザートももう食べられないよ。

 やがて係の方が近くへ寄ってきて、いよいよ両親への花束贈呈の時間となりました。うーん…、 以下次号
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

結婚式前夜

2011-06-17 23:45:45 | Weblog
 夕方の電車に乗って札幌へ戻ってきました。明日はいよいよ長女の結婚式。

 釧路からの特急スーパーおおぞらは、追分け駅周辺での信号故障の影響で札幌到着の時は25分遅れ。まあこれくらいの遅れですんで良かった、と思うのは既に信頼が落ちているから(笑)?早く正常化して欲しいものです。

 札幌では東京から次女も帰省していて、長女も今日だけは彼氏抜きの一人で我が家に泊まります。お約束の昔話で笑いながら、四人家族の最後の夜を楽しみました。

 明日は4時から北海道神宮で結婚式、夜6時から披露宴です。

 新婦の父親か~。どんな感じになるのでしょう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津波漂着物という二次被害

2011-06-16 23:45:21 | Weblog
 東日本大震災から三か月が経過しましたが、被災地の復旧復興は一足飛びには進まず、なんとかならないものかという気持ちが日に日に増しています。

 私たち自身も津波による被災からの復旧に一区切りをつけ、東北・三陸地方への復興支援を始めていますが、被災地からは残念なプレゼントも届けられます。それは海岸への漂着物です。

 普段は増水で河川から流れ出す流木が多いのですが、最近は流木以外にも漁具や建築木材、タイヤ、ドラム缶まで様々な瓦礫の類が漂着し始めました

 つい先日も、船体にMGと書かれた沿岸用小型船が漂着しました。「MG」とは宮城船籍の船の証。北海道の船ならばHKと書かれています。


   【漂着ゴミと漂着船】


 船体番号が分かったので持ち主をたどってみたところ消息がつかめましたが、「所有権は放棄する」とのことで、そうなると漂着物はゴミとして海岸や港湾管理者が処理する責任を負うことになります。

 釧路沿岸では、海浜の部分は道管理の建設海岸、港と漁港は釧路市が管理するという責任分担となります。しかし、海岸に漂着する以前の海上にも相当量の流木などが漂っていて、これらが定置網などに入り込むと漁具に大変な被害をもたらします。

 漁師さんも背に腹は代えられず、小さなものは引き上げ、大きな流木などはロープで引っ張って港へ戻ってきます。漁港で引き揚げられたごみは釧路市が責任を持つ産業廃棄物となり処理をしなくてはなりませんが、この量たるや今後のことを考えると頭が痛くなります。


   【ゴミを放っておくとさらにゴミを呼んでしまいます】


    ※     ※     ※     ※     ※


 先ほどの小型船で言えば、外側をFRPというガラス質繊維でコーティングしているために処理が大変です。おまけに産業廃棄物となると60センチ以下に切って小さくしないと処理してもらえないのですが、船の予想しないところに補強材が入っていたりすると、カッターの刃を傷めてまた費用がかかるのだとか。図面が手に入ればよいのですが、これまた難儀なことです。

 処理費用は全額道や市の自治体負担となりますが、もしかしたら特別交付税などで費用が補ってもらえるかも知れません。しかしそのためには量を確認してもらう必要があるかもしれないというので、すぐに処分してしまうわけにいかず、仕方なく道路脇に積み上げて仮置きせざるを得ません。そしてこれがまた、ゴミを放っておくと便乗して家庭のごみを捨てに来る輩もいたりして、地域の生活に悪影響を及ぼします。


    ※     ※     ※     ※     ※


   【実に様々なものが流れてきます】

 
 さらには、漂流ゴミには放射能はないのか、という問題が加わります。処理しようにも放射能に関して安全だ、という確認がいるのではないか、というのです。

 ところが放射能を測定できる機材には数の限界があって、現場で測定してすぐに結果が出る、ということができません。このことへの安全対策や費用の方針がなかなか国から出されない今日、現場の苦労と心配は日増しに高まっています。

 
 災害が原因だとはわかっていますが、その後に沿岸域の自治体だけに二次的な被害と負担が押し寄せるのはどう考えたら良いのでしょうか。

 地元でもそろそろ関係機関が集まって対策会議が開かれ始めました。道庁の本庁などにどれくらいの危機感があるか、機会をみて訴えてゆかなくてはならないと思います。

 頑張れ被災地!まだまだ震災の余波は続いています。



【昆布の揚場に霧。ゴミの行く末も視界不良です】 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする