北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

この島に住むことを許された者

2011-06-15 23:45:54 | Weblog
 月に一度の木鶏の会。まだ正式に認められてはいませんが、まずは地道に仲間で集まって会合を続ける実績が必要です。

 会合は、人間学を学ぶ雑誌「致知」を読んで感想を述べ合うという形。この雑誌、内容が深くて読み切るのがなかなか大変。でも少しずつためになっていることでしょう。

 意見交換は多岐にわたって、それぞれの思いが交差します。

「今は大相撲も外国人力士が上位を占めるようになりましたが、彼らは外国人なのに髷を結ってまわしを占めて柏手を打って相撲を取りますよね。日本人よりよっぽど日本人らしい所作じゃないですか。私は朝青竜は横綱になっても強い力士だとは思いましたが、横綱として品格があるとはどうしても思えませんでした。彼がいつしか排除されてしまったのは、そこに日本人らしくなさを見た人が多かったように思えるんです」


    ※     ※     ※     ※     ※


「日本人を日本人足らしめているのは神道の存在だと思います。小惑星イトカワへ行って帰ってきたハヤブサに感情移入するのは何にでも命があるように思うアニミズムの精神ですよね。また科学の粋を極めたようなハヤブサがイオンエンジンを切り替える際に使われた中和器がうまく稼働するように、中和神社へお参りしたというのも象徴的だと思います」


    ※     ※     ※     ※     ※


   【災害多し日本列島】



「昔、神渡良平さんと小林正観さんとの対談の記事があったんです」とAさん。「そこで印象的だったのが、『日本人は神様に選ばれた人たちがいろいろなところからこの島にやってきて国づくりをしたんだ』という一節でした。だから外国人なのに日本人にいつくようになる人というのは、神様に選ばれた人で、日本人の気持ちになれる人なんだ、と言うんです」
「なるほど」

「日本列島は災害も多いですが、それを勤勉で正直で技術をもち、忍耐強く感謝の精神に満ちていて災害があってもそれを乗り越えられる人だけが日本民族としてこの島に住むことを許された、ということじゃないでしょうか」
 
 
 大震災でまだまだ多くの被災者が苦しまれています。それを乗り越えるのが日本民族の宿命だとしたら、それを国民が皆で分かち合いたいものです。
  
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35年ぶりの意外な再会~工芸同好会

2011-06-14 23:45:26 | Weblog
 市の新しい上水道施設を建設・管理する事業者を選定するために外部委員会を設けています。そしてその外部委員会が今日と明日開催されることになり、今夜は岸壁炉端で委員の先生との懇親会が開かれました。

 今日初めてお会いする委員の一人は埼玉県にある水環境の研究所教授のIさんです。お酒を飲んで話をしながら話題は身の上話に。

「I先生のご出身はどちらですか?」
「私北海道の旭川なんです」

「そうですか、私は旭川東高校です」
「おや、私もです。年齢を伺うとこままささんの方が一年先輩ですね」

「大学はどちらですか?」
「北大工学部の衛生工学です」

「はあ、なるほど。それならば同じ旭東の一年上でO林という者を知りませんか。私は同じ下宿だったんです」
「知っていますよ、高校の先輩であることもさることながら、同じ工芸同好会に所属していたんです」

「!! 工芸同好会ですって!?私もO林と同じく所属していたじゃないですか!とするとI先生は、あのIですか?」
「げげ、こままささんってあのこままささんだったんですか!えー?」


 なんと話をしているうちに、同じ高校の工芸同好会という倶楽部の後輩だったことが判明。しかも同じ時期に一緒にいたことだってあったのですが、35年ぶりの再会にお互い全く気付かなかったとは!世の中、いろいろな出会いと再会があるものです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 当時の母校には芸術家としてもすぐれた作品を造られるH先生がいて、H先生のもとで工芸同好会を作ったのが私の学年で、私たちが初期メンバー、I君たちが二期生。

 私は一枚の銅板から中世騎士をイメージした銅仮面を作りましたが、これは今でも青春の一コマとなっています。どちらともなく当時のH先生の思い出話になりました。

「作品つくりは自分のことだから、どう作りなさいとは言われなかったよね」と私。
「私は器のコンポートを作りましたが良い思い出です」とI君。

「基本的には優しい先生だったけれど、僕は作品制作の途中で仮面の背板をつくるのにちょっと手抜きをしたらえらく叱られた。『そこまでやったのに何で最後に手を抜くんだ!』ってね」
「あ、それ僕も同じです。作品の台座を楽して作ったらやはり叱られました。結局、手を抜くということに対しては厳しくて、それを伝えたかったのでしょうね」

「僕たちが卒業してからの後輩はどうだったかな?」
「それは、年を追うごとに洗練されて上手になっていったと思います。しかし…」

「しかし?」
「…、僕たちの作品には野性味というか、何をどう作ってよいかわからないけれど勢いみたいなものがあったように思うんです。テクニックとかスキルを超えたエネルギーです。僕たちの粗い作品があるから後に続く者たちはそれを超えることを考えれば良かった。そういう意味で最初があるから後に続くことができたのではないでしょうか」

「そうなのかな。僕は、自分の作品を見た後輩の誰かから、『私はこままさ先輩の作品を見て、あ、このクラブに入りたいと思いました』と言われたことが一回だけあって、たった一人でもその人に影響を与えられたんだ、と思った時がものすごく嬉しかったよ」
「まあ青春ですね、先輩」

「そうだ、青春だ」


    ※     ※     ※     ※     ※



 出会いはときに不思議な形で現れるものです。一瞬で時空を超えることができる思い出の世界を久しぶりに味わいました。

 自分の人生も案外いいじゃないか。



   【当時の作品の『鉄仮面』中に電球が入る照明になっているのです】
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高齢者にこそ旅を~介護旅行というニーズ

2011-06-13 23:45:41 | Weblog
 (株)SPI あ・える倶楽部の社長のSさんが市役所を訪ねてきてくださいました。

 Sさんとは介護予防をビジネスにしようという「高齢者の外出支援サービス産業の創出」という調査で知り合いになれたのですが、釧路での着地型ビジネスとして、こうした事業をモデル的に実施するための現地調査に訪れてくれたのです。

 (株)SPIあ・える倶楽部さんでは、1995年から高齢で健康に不安のある人や身体の不自由な人の外出を支援する為に福祉人材の多能工化を提唱し、全国でトラベルヘルパー(外出支援専門員)の育成をすすめてこられました。

 また、介護旅行システムを作ることで社会的サービスをユニバーサルデザイン化することにも取り組んできたもの。最近では、「旅行計画」プログラムによる認知症予防教室や生涯学習活動など健康長寿をテーマとして、さまざまなシニアコミュニティと協働し、都市部に暮らす高齢な人と地方にある健康資源を結ぶプログラムを実施することにより、シニア世代の介護予防・健康増進活動も進めてこられました。

 この事業の視点は、高齢者の「生き甲斐」を創出することで介護度合いを上げないようにする旅サービスを売るということ。

 実は資産を持った高齢者たちが、本当は旅をしたいのに「お金を使うことへのうしろめたさ」や「旅をしようにもサポートが不安」、「現地でいろいろなことをしたいけれどどこにどう相談するかが分からない」といったハードルがあるために、お金を使わずに、しかも不健康になっているという方が多いのだとか。

 それを自分が安心して参加できる旅をサービスとして売り出すことができれば高齢社会はもっと楽しくなるし、お金だって使われるようになることでしょう。

 しかもこれまでの旅は比較的若い人から中年までの団体客中心で、お年寄りが来た時のサポートのノウハウやアクティビティの紹介などのノウハウが現地の観光地にも欠けています。

 あ・える倶楽部ではそうした高齢者の旅のノウハウを、受け入れる側の現地において共に作り上げられる受け皿を求めていて、モデル的に形になるようなことを始めたいと考えています。

 その受け皿の土地として、今年は特に暑さや節電の問題で夏を濾すことが大変な東京から、涼しい北海道へ求めているのですが、中でも釧路こそが適地なのではないか、とあたりをつけて来られたものです。私も大いに釧路はもうすでに北海道ではなく「異国ですから(笑)」と紹介しておきました。


   【釧路に旅する値あり】


    ※     ※     ※     ※     ※


 現地サイドでの受け皿の一つとして、高齢者の介護やお世話のノウハウや人材育成が大切になってきます。

 あ・える倶楽部では、現地で介護の仕事をしている方が、日中の仕事を終えた後に参加して、観光介護的なノウハウを身につけたいという意欲のある方を求めています。

 そういう人たちが集団でいてくれることが大切なのです。

 そういう旅を高齢者が自分たちのお金で買って、経済を回しながら介護度をあげずに頑張れるならば、行政としては健康と観光経済の両輪が回るので一石二鳥なのです。

 
 このSさんのお話の中で、突然私の友人で東京で介護タクシー事業をしているM君の話が出てきました。

「Mさんは日中は顔の見える安心な介護タクシーとして働かれていますが、休日はそうした人たちが旅行に行きたいというニーズをサポートすることも始められています。こういうことが高齢者の健康の向上とビジネス需要の高まりに繋がるのだ、というのがもう15年以上私が主張してきたことなのです」


   【お年寄りにこそ旅を】


    ※     ※     ※     ※     ※
 

 Sさんの話はさらに続きます。

「日本人は単なる物見遊山の旅では幸せになれない国民性があるのではないかと思います」
「え、それはどういうことですか」

「ファイブ・リッチといって、欧米ではお金・時間・友人(連れ合い)・健康・趣味の五つがそろうと幸せだと言われるのですが、日本人はこれにさらに『役割』というのが加わるのではないか、と思うのです」
「役割ですか」

「そう、だから定年になって解放されるよりも、それでもどこかで働いたり何かの役に立っていたいという望みをずっと持ち続けているのです。大震災後には、自分でお金を払って被災地へ行きボランティア活動をして感謝されることに満足する人が多いでしょう。これを『チャリティー・ツーリズム』と呼ぶ人もいますが、まさにこういう旅がよく売れているのです」

 旅の先に、地域の役に立つようなプログラムも用意するというのは簡単なことではありませんが、ボランティア活動の受け皿があって、そこで地域の人たちと仲良くなってさらに新密度が増す、というようなことができるなら、こういう旅は素晴らしいものになりそうです。

 すでに市内のホテルでは連泊することで宿泊料を割安にする企画も作り始めています。

 高齢者にとって涼しくて過ごしやすく、医療水準も安心。さらには食べ物がおいしくて風景もきれいという釧路にこそ、サポート体制が出来上がれば、こうした旅のモデル的な高い可能性があると言えるでしょう。


 高齢者の生き甲斐あふれる新しい旅の受け皿としての釧路の底力が試されます。


【あ・える倶楽部】 http://www.aelclub.com/
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【おまけ】ロコガイドツアーという生涯学習

2011-06-12 23:48:11 | Weblog
 19時8分の特急おおぞらで掛川からの友人たちは札幌へと向かい釧路を離れた。

 存分に楽しんでもらえたろうか、と思っていたら、今回のリーダーのサトー君からお礼のメールが届きました。ガイドツーリングの本質と可能性について、深い内容なのでご紹介したいと思います。


---------------≪ ここから引用 ≫--------------
こままささん
H田さん

 今回はお言葉に甘え、すっかり&すべてお世話になりっぱなしとなり、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

 特急おおぞら車内から、楽しかった余韻に浸りながらメールしています。

 こままささんの新たな赴任地を訪れることができ、素敵なお仲間の皆さんとふれ合うことができ、さらに各参加者の思い入れに富んだアクティビィティに対して、それぞれガイドいただき、われわれは本当に幸せでした。

 また釧路における、観光業とは一線を画した、新たな次元のツーリズムの可能性を見たように感じました。市民一人一人が発案者となり、同時に受け皿となり、さらにはガイドとなる、まさに生涯学習型ツーリズムの創造活動です。

 ワン・ツー・ワンマーケティングの考え方を活かし、(掛川市元市長の)榛村さんのいう『一人一芸一ボランティア』を、釧路では『一人一芸一ボランティア一ツーリズム』へと昇華したらいかがでしょうか。

 市民による個性あるツーリズムの顕在化と積み上げと商品化です。それに足る素材としてのクワイエットスポーツのゲレンデやフィールドは質、量ともに高いレベルであることがよーくわかりました。

 さぁ、次はじっくりと釧路を楽しむようなスケジュールで訪れることとします。自転車の持ち込みによるツーリズム実験を基軸に、トレッキング、カヤッキング、フライフィッシングなどライフスタイルデザインカレッジで顕在化した、多くのアクティビィティに可能性があります。

 静岡空港を夕方に発てばその日のうちに釧路に着けるというような実証実験も済み、釧路は完全にわれわれのテリトリーともなってきたわけですから。

『再訪を期し、再迎を願う』

重ねて、この度の旅のお礼申し上げます。本当にありがとうございました。





【追伸】
 ただいま、札幌のホテルに到着しました。

 この度は何から何までお世話になり、ありがとうございました。
 おかげさまで、釧路という異国の一端ですが、存分に楽しむことができました。

 今回の皆さんのガイドがあるのとないのでは、ただ釧路という街に来ただけになるのか、思い入れのある訪問になるのか、大きな差があり、また来たくなるストーリーをたくさんいただきました。

 阿寒川でのニジマスとの駆け引き、ロコフィッシャーのこだわりなど、釣りも楽しませていただきましたし、アメマスという憧れの魚をやり残して、次に来る楽しみもできました。

 釧路が憧れの地から、身近な地になりましたので、また訪れたいと思います。

 また、南アルプス・ヤマトイワナ釣行もご用意しますので、こちらにも遊びにお越しくださいね。

 では、簡単ではありますが、お礼まで。

---------------≪ 引用ここまで ≫--------------


 ただむやみにその土地を訪ねるだけでは感動のある旅にはなかなかできないのではないでしょうか。

 そこに友がいて、地元を誇りに思うとともに地元をよく知り地元を楽しんでいるロコガイドが必要です。

 誰かが何かをしてくれるを待つのではなく、一人一人が何かの分野で地元を使ったロコガイドになれば良いのです。

 自分が何かを案内できるようになるために地域を学び地域に遊ぶ。それこそがまさに生涯学習そのもの。

 生涯学習とは年を取って勉強をするだけではありません。自分が生まれそして死んでゆくこの故郷を誇りある土地にするために、尊敬される土地になるために、一人一人が参加し行動をすることこそが生涯学習の真髄なのです。

 ロコガイドは生涯学習の究極の行く末に一つに違いありません。


    ※     ※     ※     ※     ※


 それにしても、今回は改めて釧路の大自然の懐の深さを実感しました。

 川を支える森がしっかりしている阿寒川は、ちょっとやそっとの雨が降っても濁ることがありません。

 一年分の植物が死んで堆積してやっと1ミリの厚さの泥炭になる釧路湿原。

 自然の懐が浅いと、「自分が自然の中で遊んだ」という主体的な気持ちになりますが、これだけ自然の懐が深くて畏敬の念が大きくなると、「大自然の中で遊ばせていただいた」という受動的な気持ちになるものです。

 これもまたひとつの生涯学習に違いありません。


    ※     ※     ※     ※     ※


 ドリフトウッドロッジの前で撮った写真はちょっとしたレコードジャケットのように見えませんか(笑)



   【レコ・ジャケ?(笑)】
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湿原を馬で眺める~釧路という異国

2011-06-12 23:45:02 | Weblog
 釧路という異国めぐりの二日目。この日は掛川からの訪問者は三つのアクティビティに別れました。

 一つ目は昨日と同様、阿寒川で再びフライフィッシングに挑戦。今日こそは大物で行きたいもの。二つ目は雌阿寒岳の日帰り登山、天気が良いことを祈ります。

 そして三つ目は鶴居村での釧路湿原までの乗馬ツアー。私は今日は乗馬のご案内に回りました。

 今日のツアーは、鶴居村のドサンコ牧場から湿原の北側に突き出した宮島岬という岬へと向かいます。ここからみる広大な湿原は他の展望台とは一味違った広大さなのです。


   【宮島岬はこのあたり】


   【今日の乗馬ツアーコース、全長約20キロメートル】


    ※     ※     ※     ※     ※

 
 乗馬となるとさらに強力な助っ人を用意。乗馬といえば頼れるのは小柄な女性の馬乗りYさん。

 昨夜遅く釧路に着いたHさんを朝ピックアップしてもらってドリフトウッドロッジで合流。挨拶もそこそこに、すぐに三派に分かれてそれぞれ行動開始です。

 今回乗馬に参加したのは、遅れてきたHさんと私とYさんのほかにもう一人女性の(通称)マッキーの四人。

 ベテランのYさんは良いとして、私もまだ今日が二回目でしたが、なんとHさんはかつて乗馬の経験があるとのこと。マッキーも初めてと言いながらなにやら自信ありげで、ちと不気味です。


    ※     ※     ※     ※     ※


 集合場所は鶴居村のどさんこ牧場でしたが、ここで借りる馬のほかに、いつもの東北海道うま会議の皆さんのご協力で、クォーターホースを提供していただき全部で9名で出発です。


   【走り出すと結構速くて揺れるのです】


 途中は結構上り下りがあってなかなか油断できないコース。馬たちは順番を示せば前の馬についてゆくように調教されているのですが、前の馬と離れてしまうと早足で追いつこうとします。

 また上り坂をゆっくり上がってゆくのは疲れるようで勢いをつけて上がろうとします。また先頭の馬が広い場所などでダッシュすると追いつこうと本格的に駆け足になりますが、こうなると馬もなかなか早いもので、上下動の中でバランスを取りながら安定的に乗っているためには膝だけではなく全身の筋肉を使います。

 普段は使うことのない筋肉を思い切り使ったり、鞍に尻っぺたを散々打ちつけたり、膝をひねり続けたりしていると、休憩の旅に疲れがたまってゆきます。

 途中のお昼ではどさんこ牧場のてづくりホカホカお弁当で身も心も癒されました。

 そしていよいよ宮島岬の突端が近づいてきました。釧路湿原は天然記念物のために馬乗り入れ禁止区域があって、最後の200mほどを歩くと、釧路湿原を北側から見るというなかなか見られない絶景ポイントに到着です。


   【みよこの広大な釧路湿原と蛇行河川を!】


 今日は天気にも恵まれて、湿原の中を流れるチルワツナイ川の蛇行する姿を始め湿原の広大な姿がはっきりと見えました。おまけに遠くにタンチョウのつがいが見えたり、近くで鳴き合う声まで聴けてさらに一同感激です。

 大自然という素材でなんという贅沢なおもてなしであることか!


   【第二展望台にて全員で記念写真。天気が良くて最高でした】


    ※     ※     ※     ※     ※
 

 初めてのはずのマッキーは最初から一人で手綱をもった馬さばきにもけろりとしたもので、経験者のHさんとまだ初心者の私の方が体が痛くなってややバテ気味でした。


   【侮れないマッキー…】

 天気にも恵まれて心地よい風と自然に迎えられた乗馬経験。

 朝10時半から15時30分ころまで約20kmほどの山道を、たっぷりと馬の上からの景色を堪能できました。

 明日からの体の痛みが不安ですが、まずは事故もなく楽しめたことを喜びましょう。

 私もだんだん道東のアクティビティに染まってきました。もっと良質のガイドになりたいものです。


【東北海道うま会議】
   http://bit.ly/k5TlDB
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異国にある釣りの宿~ドリフトウッドロッジ

2011-06-12 22:47:18 | Weblog
 掛川からの友人たちを迎えての道東の旅の夜。

 昨夜宿泊した阿寒地区のドリフト・ウッド・ロッジは、釣り大好きなご主人のこだわりのコテージ。全員が集まれるセンターコテージで酒と料理に舌鼓を打ち、魚の話で盛り上がる。


   【うまい料理に魚の話。これだな~】


 こちらも地元でフライフィッシングの指導までしているようなフライの猛者をぶつけてのおもてなし。私自身は火の出るような感激のぶつかり合いを予想したのですが、案の定互いに興奮冷めやらず深夜まで語り尽くしました。

 宿泊は離れの四人部屋のログハウス。世界のリゾートを見慣れた浜野オヤジも、「これは海外をよ~く見た人が作ってるなあ!」と感嘆の声。


   【静かな静かな北海道の夜】


 センターコテージの壁には釣道具がぎっしりと並べられ、なおかつ青春時代のCDが壁狭しと並べ立てられています。聞けばご主人は若い時に海外青年協力隊で南米を歩き、帰国後は東芝EMIで販売促進の仕事をしていたのだとか。

 思い立っての宿泊施設経営ですが、細かいところまで気の利いた仕上がりになっています。


   【釣り好きのこだわりがここに】

    ※     ※     ※     ※     ※

 翌日の朝ご飯を食べながら、伊豆の大衆宿泊観光産業が今危機に瀕しているという話になりました。

 浜野オヤジからは、「折角楽しみにしていったのに、がっかりして帰ってくるのなんてもうこれからの旅じゃないですよ!朝冷たい卵焼きや輸入物のアジなんて誰が感動しますか。ほら、ここの朝ご飯をごらんなさいな。実に心がこもっている!」

 旅人が得をしたと思ってくれるようなものは我々地元民の誇り高い資源でしかないのではないか。 

 宿泊施設もそうだし、ロコ(地元民)のガイドが心底知り尽くした地元の資源を案内するロコガイドツアーこそこれからの旅なのではないか。

 ロコガイドの口から出てくる言葉は、教科書に書いてある知識ではなく、地元を味わう過程でしみついた感動の積み重ねに外ならないのです。

 良い旅の原点を見せてくれるドリフトウッドロッジ。釣好きが泊まるならここしかない。


   【後ろから見た姿】


【阿寒 ドリフトウッドロッジ】
 http://bit.ly/jdIaZW
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実感!釧路という異国

2011-06-11 23:45:34 | Weblog
 掛川から来た友人たちを朝8時に迎えに行って合流。掛川からは5人が来釧し、釣り組は4人。これに東京から参加するまちづくりの大親分の浜野さんを空港へ迎えて
その足で阿寒川上流へ。今日は私も釧路のフライの先生に連れられて、生まれて初めてのフライフィッシングに挑戦です。

 釧路市内は曇りがちでしたが、阿寒方面へ走らせるうちに天気が好転して明るくなってきました。

 阿寒川の上流部で橋のたもとに車を止めて準備を整えます。私もこの日のためにウェイダーという胴長を買ったのです。竿やフライやベストなどは借り物ですが、まあ少しは格好が付きました。


   【なんかまだおぼつかないけれど…】


 阿寒川は思いのほか流れが重くて、ちょっとした深みでは足を取られそうなところを流されないように注意しながら渡って行きます。


   【いざ阿寒川へ】


 フライフィッシングは初めてなので、竿の振り方や疑似餌のフライを遠くに飛ばす方法、どこに落とすのかなどを教えてもらいながらおずおずと練習開始。

 こうした世界は場数が全てなので一朝一夕にうまくなるはずもありませんが、むやみやたらに竿を振っている間に何回かは魚が餌に食いつくシーンもあって、こちらの方が驚きです。

 でも食いついた瞬間にどういう動作をするべきかがまだ分からないのでみすみす逃すだけ。まあまだ魚に遊んでもらっている感覚です。

 それでも一緒に行った掛川の人たちの中には40~50センチ級を釣り上げて大満足の人たちも。


   【40センチ級に大満足のY君】

 おまけに今日は川からつぎつぎに虫が羽化するスーパーハッチと呼ぶ一日だったようで、そんな川の姿を見れただけでもフライフィッシャーたちには感動だったようです。

 ところで川に入り始めた頃から遠くの山では雷が鳴り出し雨が降りそうないやな感じだったのですが、午後二時くらいにちょうど一釣り終えて車に戻った頃からそれが急に豪雨になり、車から出られなくなりました。

 もうポイントを変えようと下流に移動してみたところ雨が小やみになってきたので別なポイントで再挑戦。先ほどとはまた違った阿寒川でフィッシングを楽しむことができ、少しは釣りの楽しみが分かってきたような気がします。

「こままささん、これはもうフライの世界に飛び込むしかないでしょ」と回りからはからかわれましたが、掛川組だって、宿へ入ってから宿のマスターから大物釣りの話を聞かされ、あげくに「9月に来たら絶対に連れますよ。ボウズ(釣れない人)はいないね。しかも50センチ以下はありませんから!」と言われて、今度は9月にまた釧路へ来たくて溜まらなくなったよう。

 現地を案内するのも地元では名うてのフライフィッシャーで、魚の情報もたくさん持っています。明日も朝一番からお楽しみポイントが釣り人を待っています。

「フライの世界では『北海道でフライをやっている』と言うと一目置かれるのですが、その北海道の中でも『道東でフライをやっている』というとまた見られ方の格が一段上がるんですよ」


    ※    ※    ※    ※


 『釧路という異国』というのは釧路観光のキャッチフレーズですが、まさにそれを今日の掛川組は実感されたのではないでしょうか。私も北海道の懐の深さを日増しに味わっています。

 「釧路という異国」は単なるキャッチフレーズではありません。

 釧路にいるうちにせめて一匹くらいは大物を釣ってみたいなあ…。


   【私もこんな魚が…釣れたらいいなあ】
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掛川から友来る

2011-06-10 23:46:50 | Weblog
 さて、明日からの週末は掛川から友達が釧路へやってきます。


 掛川組の中には、明日朝から斜里岳まで行って日帰りの登山をしたいという山男もいて、とりあえず車を貸すことに。現地はまだ雪深いという情報なので、心配だが冬山経験もあるとのことなので、楽しんできてほしいもの。

 残りは静岡でフライフィッシングをたしなむ連中なので、こちらもフライフィッシングの猛者を用意して案内してもらうことにしました。

 私もフライはかつてやったことがないのですが、フライのメッカと言われる道東なので、話のネタ程度に参加してみることにしたもの。まあ釣れるとは思いませんが、どういう自然の中でどういう楽しみ方をするのかくらいは体験しておこうと思います。


    ※     ※     ※     ※     ※


 二日目はもう一丁フライフィッシングをしたいチームと、片やは乗馬で釧路湿原に飛び出す半島の宮島岬まで行ってみようというチームに分かれます。

 私は乗馬チームの方を引っ張ることにして、こちらはこちらで乗馬のアシスタントをお願いしてあります。まあ身近なところにアウトドア派が多いのも釧路ならではでしょう。
  
 馬はちゃんと調教された馬を使うので、大丈夫…なはずなのですが…。

 あとは天気です。なんとか雨には当たらなければ楽しい週末になるのですが。

 アウトドアのネタには事欠かない釧路ですが、ぼんやりしているとたちまち日が経ってシーズンを逃してしまいそう。こういう機会を最大限に使おうと思います。


     ※     ※     ※     ※     ※
 
 
 今日NHKの釧路支局長のIさんが転勤のご挨拶に来てくれました。

「ずっと釧路に来たくて来たくて、転勤希望の第一に書き続けていたら本当にこれたので嬉しかったです。この三年間でカヌーは30回乗ったし、山にもいくつ登ったでしょうか。本当に楽しかった。これからも釧路の応援団として頑張ります」とのこと。

 Iさんに刺激されて私も釧路検定を受けたのですが、Iさんの方は今年の釧路検定で上級に合格されたとのこと。

 ヨソ者の方が真剣に地域の資源をしゃぶり尽くす意欲は高いと思います。そんな姿に地元民が刺激を受けると良いのですが。

 Iさん、お世話になりました。新任地でもご活躍をお祈りしています。
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【過去のアーカイブ】地獄を見た男

2011-06-10 15:46:09 | 過去のアーカイブ
 もうすぐ行う講演のために、昔書いたブログの記事を検索してみました。

 なんだかんだ言っても、8年間ほぼ毎日書いていると膨大な記事があって、中には(ええ?こんなこと書いたっけかなあ)と書いたことを思い出せない不思議な記事や、改めて読んで「良いこと書いてるなあ」と感心する記事があったりします。

 もしかして私じゃない誰かが私のブログを借りて書いていたりして…


 そんな過去のアーカイブから心に残った一編をときどきお届けします。タイトルは「地獄を見た男」ですが一部改変してお届けします。


【地獄を見た男】
 かつて札幌にいたときに仕事の面で大変お世話になった先輩のKさんと一杯飲んだ。

 Kさんとは親子ほども年が離れているのだが、不思議にお互いに気があって、時々お会いしていたのだが、さすがに振り返ると会うのは4年ぶりであった。つい先日会ったような気もしたが、月日の経つのは早いものである。

 四方山話に花が咲いたが、Kさんが会っていないときに大病をしたという話に及んだ。

「いや、こままささんよ、おれは地獄を見たよ」
「大病ってそんなに苦しかったんですか?」

「そうじゃないよ。俺は大病で意識がなくなったときに心臓が止まりかけて血圧が50位まで下がったんだ。そうしたら腎不全だわ、肝不全だわで多臓器不全という状態になったんだそうだ、もちろん俺は覚えてないんだけどね」
「…」

「医者も『近親者を呼んでください』と言うくらいのところまでいったらしいんだけど、俺は覚えていない。でもその昏睡状態の時にずっと夢を見ていたんだよ」
「夢…ですか」
 
「ああ。それがな、いまでもはっきりと覚えていて小説として書けるくらいの風景が広がっているのよ。そのときに俺は地獄の釜を見たのさ。死体がぷかぷか浮いてるんだよな。色まで覚えているよ」
「そこへ行くのに三途の川は渡らなかったんですか?」
 
「うん、不思議に三途の川は出てこなかったな、まっすぐ地獄へ行っちまったみたいだ」
「はあ…」

「その地獄の釜というのが実に大きいんだが、縁に幅50センチくらいの土の道があって、俺はそこを誰かと二人連れで歩いていたんだ。そうしたら向かいから5人連れが歩いて来たんだ。『これじゃすれ違えないな』と思い、やり過ごそうとして脇道に入ったのよ」
「…」

「そうしたらなんとそこで意識を取り戻して生き返ったというわけさ。誰と歩いていたかは今もわからない。だが確かに俺はそのときに地獄にいたし、あの道をずっと歩いていたら死んでいたんだと思ったよ。可笑しいかな?」


 いえいえ、そういうことってあるのかも知れません。自分のちょっとした行動が運命を分ける分岐点になっていて、自分はただ偶然に良い分岐点を選んで歩いているだけなのかも知れません。

 そのときに誰かが道案内をしてくれたり一緒に歩いてくれているのかも気づいていませんし。

 今度から脇道へはいる時はちょっと深呼吸してからにしてみます。

 そこで目が覚めるかも知れないので。

 
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まちなか案内所「くるる」

2011-06-09 23:45:01 | Weblog

   【くるるのオフィス】


 釧路の北大通りに誕生した「釧路まちなかコンシェルジュ くるる」を訪ねました。

 ここは釧路市の緊急雇用事業で公募をしたまちなかの案内所です。事業を受託したのは北大通り商店街で、基本的には北大通りの案内をしてちょっとさびしくなったこの界隈を盛り上げようというもの。

 オフィスも空き店舗を利活用したもので、一階の部分だけで良いからこうして一つずつでも空き店舗が開いてゆけば賑わいが演出できます。まずはその一歩です。

 さて、この「くるる」では事業の柱は二つ。一つは北大通りをメインとしつつも、より広範なまちなかの観光案内で、もう一つは実際にまちなかを巡ることを助けるレンタサイクルです。

 観光案内としては飲食店やショップ、喫茶店などのほか、啄木ゆかりの観光スポットなどを市内めぐりの地図で集めて紹介しています。よく見るといろいろな団体がそれぞれにまちなかを巡る地図を出してくれているんですね。

 またレンタサイクルには普通の自転車に加えて電動自転車も用意されていて、坂の多い橋南地区を巡るのにはうってつけです。

 
「まだ開店してから二週間ということですが反応はどうですか?」
「少しずつ知られてくるようになりました。特にホテルさんに案内のチラシを置き始めてからは、まちなかの案内や自転車を貸してほしい、という宿泊のお客さんが来るようになりました」

「電動自転車は人気が出ると思うのですが」
「値段が普通の自転車よりは高いので、そこで迷われる方もいるようです。でも中には『市立病院へ行くので電動自転車を貸してほしい』という人がいたり、行く先を聞いたら高台の上なので電動自転車をお勧めして喜ばれたというようなこともあって、利用者は様々ですね」


「市立病院とは考えましたね。でも最近の電動自転車なら結構力があるでしょう」
「はい、三段階で強さを切り替えられるようになっているのですが、一番強いアシストなら、まなぼっと前の坂も立ちこぎをせずに上ることができますよ。実際スタッフでいろいろな坂を上って試しているところです」

「お店の紹介となると、末広町や栄町の繁華街のお店も案内の対象になるのでしょう?」
「お店の集積からいうと、そのあたりが中心になると思います。今はは各店のデータやウリを集めてホームページを作るための準備をしているところです」 


   【店内にはチラシやマップがたくさん】


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   【わからないことはスタッフに訊きましょう】



 電動自転車が借りられる環境ができた、ということで、私のロコ・サイクルツーリズムに心強い援軍が来た思いです。

 これで自転車でついてゆくのが苦手というような女性や高齢者でもロコ・サイクルツーリズムを楽しむことができそうです。私も釧路のウリを独自の視点で集めるようなマップを精力的に作らなくては。


 釧路市内で宿泊をして時間があるようだったらぜひお立ち寄りください。親切なスタッフがお待ちしています。 

 同所の営業時間は午前9時から午後7時(木曜休み)です。



 【くるるの場所はこちら】
コメント (1)
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