北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

使わなくなったパソコンの無料処分を申し込みました

2021-11-16 23:18:33 | Weblog

 

 今はもう使わなくなったパソコン、家に1台や2台は必ず残っているのではないでしょうか。

 私の家にも、もう10年以上前に使っていて処分しないまま残っているノートパソコンと昨年使うのを止めたデスクトップパソコンがあります。

 これらの処分は案外困るもので、ときおり「ご家庭のゴミは何でも回収します」と触れ回っている巡回業者につい出したくなってしまうものです。

 ところがこのような業者の中には自治体の許可を受けていない無許可の廃棄物回収業者も多く、そのような回収は違法になります。

 まだ比較的新しく使えるものは再利用のために中古品として売却する方法もありますが、これには古物商の許可を持った信頼できる業者さんに買い取ってもらわなくてはなりません。

 特にパソコンなどは、家電製品(エアコン、テレビ(ブラウン管、液晶・プラズマ)、冷蔵庫・冷凍庫、洗濯機・衣類乾燥機)を処分する家電リサイクル法の対象ではなく、平成25年施工の「小型家電リサイクル法」によって処分すべき対象となっています。

 そもそもパソコンのような小型家電には、貴金属が使われていて資源性があることや、広域的・効率的な回収ができれば採算性を求めることも可能ではないか、ということから、主務大臣の認定を受けることで廃棄物処理業の許可がなくても回収を行う事業を進めようという狙いがあります。

 これらの「小型家電」には、パソコン、携帯電話、デジタルカメラ、ゲーム機、時計、炊飯器、電子レンジ、ドライヤー、扇風機など、これまでの法律で対象となっていなかったほぼすべての家電が含められていて、これらのリサイクルを進めていくための法律が「小型家電リサイクル法」なのです。

   ◆

 今回私は、札幌市とも連携して事業を進めている"ReNet.jp(リネットジャパン)"に申し込みをしてパソコンの処分をしてもらうことにしました。

 私がこのサービスを知ったのは新聞に広告が入っていたからで、札幌市も後押しをしていることを知りました。

 

【処分の流れなどはこちら】 → https://www.renet.jp/

 処分の流れは、処分したい小型家電を段ボールに詰めて、回収希望日を登録すると回収業者さんが家までその段ボールを取りに来てくれるというもの。

 段ボールは「縦+横+高さの合計が140㎝以内」という制限がありますが、段ボール一箱までは(入ればですが)一箱に2台以上のパソコンを入れても無料で回収をしてくれます。

 さらには携帯電話や電子ゲーム機など、およそほとんどの小型家電は対象になっていて同じ段ボールに詰めても良いのです。

 パソコンのデータについては、自分でソフトをダウンロードするなどして破棄するのが原則ですが、有料(1台税込み3,300円)で処分を依頼することもできますし、自己責任で穴を開けるなどの物理破壊をしたものでも受け取ってもらえるそうです。

 段ボールはサイズの範囲なら何でも良いのですが、私はリネットジャパンさんへの注文で段ボールを有料で購入してそれに詰めることにしました。

 パソコンの処分ってついつい面倒くさくなって家の片隅を占拠し続けているものですが、このようなサービスを上手に使って処分に踏み切ってはいかがでしょうか。

 写真のノートパソコンは今回処分しようと思っている、もう10年前に使っていたノートで、初めてパソコンでもWifiサービスでインターネットができることを知った機械でした。

 その頃は単身赴任中で、家にルーターをつければよいことも知らずに、電車で一駅先のマクドナルドのお店によく行ったことを思い出します。

 もう電源ケーブルもなく充電もできないので物理破壊の上で出そうと思います。

 断捨離を一歩進められるでしょうか。 

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懐メロがこんなに良いものだったとは ~ 青春の一曲はなに?

2021-11-15 22:03:28 | Weblog

 

 最近はやたらと1970年代~90年代の洋楽や歌謡曲にターゲットを絞ったラジオ番組が増えたと思いませんか。

 それはまさにその頃が青春だった聴取層が増えたということの裏返しに違いありません。

 私がよく聴いているやつだけでも、
①STVラジオ「MUSIC★J」毎週火曜日~金曜日の夜19時~22時
②STVラジオ「GOOD DAYS MUSIC あの頃の名曲たち」毎週日曜日11時~12時
③NHK札幌FM「洋楽グロリアス デイズ」毎週日曜日16時~17時
 
 コーナーでも、NHKラジオ毎週土曜日の『マイあさ!土曜6時台』には、「サエキけんぞうの20世紀ポップ」というコーナーがあって、70年代から90年代の洋楽や歌謡曲を紹介してくれています。

 深夜のテレビショッピングでは、その頃の青春歌謡曲や洋楽ポップスをCDセットにしたものを販売されていますし、それを購入する層が確実に見込めているのでしょう。

 
 特に最近は、ただ懐かしい曲をかけるだけではなくその背景や曲作りの裏話を説明してくれるトークも豊かです。

「あの曲にはこんなエピソードがあったのか!」と今さら知るような話題も多く、音楽の奥深さを感じては楽しんでいます。

 そんなラジオで教えられた衝撃的だった「知らなかった話」のひとつ。

 エリック・カルメンが1976年に発表した"Never gonna Fall in love again "(邦題は「恋にノータッチ」)という名曲があるのですが、これはラフマニノフの交響曲第2番第3楽章の主題をモチーフにしたポップスだったということ。

 かねてより(きれいな曲だなあ)と思っていましたが、そんな事実があったとは今まで知りませんでした

 知らないという事は残念なことですが、今頃になって知れて良かったとも思います。

 考えてみれば、原曲をリスペクトしてオマージュとして新しい曲が作られるというのは良くある話ですが、クラシックのオマージュだったとは。

 古い歌でもまだまだ楽しめる青春の一曲。

 これも若い人たちから見れば年寄の「懐メロ」なのかもしれませんが(笑)。

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美幌町産蕎麦粉を打ってみた ~ ふるさと納税返礼品

2021-11-14 22:58:31 | 蕎麦打ち

 先日友人から紹介された「美幌町産石臼挽き蕎麦粉セット」。

 ふるさと納税の返礼品で手に入る、というので早速美幌町に寄付をして蕎麦粉を送ってもらいました。

 内容は、一番粉の1kgが一袋と田舎風二番粉の500gが二袋、そして打ち粉500gが一袋のセット。

 今日は、私と妻と次女の大人三人なので、500gの田舎風蕎麦粉につなぎの小麦粉を100g足して、600gで打ってみました。

 水分量は270㏄で始めて足りない分を補ってゆき、最後に296㏄でちょうど良い感じで水回しを終えました。

 

 粉の量に対して水分量が49%ということで、やはり石臼挽きの粉は水を食いがちになります。

 水回しがうまくいけばあとは熨して畳んで切るだけ。

 ちなみに江戸時代の蕎麦職人の間では「切りべら23本」と言って、畳んだ蕎麦の生地幅一寸(=3.03㎝)を23本に切るのが基本の太さと言っていたのだそう。
 …ということは、3.03÷23≒1.317ミリというわけ

 今回私も挑戦してみましたが、二寸の幅で38本に切れましたがこれでは6.06÷38=1.595ミリと江戸前よりは気持ち太かったか。

 ちなみに、8層に畳んだ蕎麦生地の厚さを図ってみたところ15ミリで、これは15÷8=1.875ミリということになります。

 普段と同じくらいに薄く熨したつもりでしたが、これでも厚かったとは感触としてもう一段薄く熨して一段階細く切らなくてはいけない。

 最後に茹でて食べましたが十分に満足のゆく細さでしたし、挽き立てでコシがありまた田舎らしく黒い色をして蕎麦らしい味がする良い粉でした。

 次回は1番粉をまだ挽きたて状態が続くうちに早く打たなくては。

 

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「それなら釣れないわ」「なんで?」「尻に〇〇〇〇が(笑)」

2021-11-13 23:19:18 | 釣りのはなし

 今日は友人たちに誘われて積丹のとある港でマメイカ釣りにいそしみました。

 先月は一向にダメでしたが少し釣れ始めた、という地元の情報で気合も入ろうというもの。

 現地で合流してからはバカ話をしながらも気の置けない友人たちとの会話が弾みます。

「小松さん、そんなところで釣っていたって釣れないよ」
「どうして?」
「だって尻に×って書いてあるじゃん(笑)」

 実際、尻に×だったからか、午後から始めても一向に釣れません。

 周りを見回してもほとんどマメイカを釣り上げている人はおらず、忍耐の時間が続きます。

「聞いた?枝幸港も鮭釣りのマナーが悪くて釣りが規制されているんだって」
「あ、そう?だんだん規制が厳しくなるような気がしますが困ったもんですねえ」

 そんな話をしているうちに夕方になって少しずつ周りから「釣れた」という声が上がり始めます。

 左右の友人も釣れ始めたのですが、私の竿にだけ一匹もかかりません。

「小松さん、連れた(ニヤニヤ)」
「まだ…」
「これからよ、ガンバ(笑)」

 そこからもややしばらく釣れなかったのですが、ようやく私の竿にもヒットが。

「やった!」

 ようやく4匹を釣り上げましたが、今日も釣り場全体に寂しい釣果で次こそと気合を入れなおしたのでした。


      ◆


 ところで、友人たちが先に帰ってからも少し粘っていた私。

 友人たちが釣っていた隣の場所には次の釣り人がやってきました。

 ところがその人は、ごそごそと釣竿を動かす機械をセッティングし始め、同時に強い光を放つ投光器をセットし最後にエンジン発電機を動かして釣りを始めました。

 この手の機械は最近流行っていて、小樽港などでは日常的に見るのですがそこから外れたこの港では投げ釣りを楽しむ人がほとんどで、とにかく釣りたいという機械仕掛けの釣りはここではほとんど見かけない釣り方です。

 まあそもそも管理釣り場でもない港では、違法でない限りどんな釣り方をしてもかまわないと言えばそれまでです。

 しかしそれにしても古くからの地元民を始め釣りファンには、釣り場ごとに明文化されていないなんとはないルールやマナーがあることを知っています。

 ただ釣れれば良いというのではなく、釣りを楽しむ場所と時間を皆で分かち合おうという精神です。

 私の隣に来た方の釣り方そのものは突き詰めれば最後は『気に入らない』という程度のことですが、ただエンジン発電機はいけません。

 風下にいた私にはもろに排気ガスの洗礼が押し寄せるとともに、静かな釣りを楽しんでいる場所へやってきてただ一人エンジン音を響かせているというのも内心愉快ではありません。

 隣で釣りを始めて小一時間もしたころ、なんとその御仁が私の方へやってきて「釣れてますか?」と話しかけてきました。

 こういう場合普通の釣り客同士ならば、多少の自慢話も含めて情報交換をするということは日常茶飯です。

 「そうですねえ、夕方にすこし釣れている時間帯があったんですが、それを過ぎてからはちょっとだめですねえ」と答えたところ、「そうですか、投光器を当ててもダメですかね」と来たので、ちょっとばかり虫の居所の悪かった私は「はあ、ここでは機械を使ったり発電機を使う釣りはあまり見かけませんね。私のライトも集魚と言うよりは釣り糸が見えるように明るくしているもので…」とやや愛想なく答えてしまいました。

 その方は「なるほど」と言って自分の場所へ戻ると、私の言葉に感じるものがあったのか釣れずに頃合いを感じたのか、そそくさと釣り道具をしまうとその場を離れてゆきました。

 私もライトの電池が切れたので納竿にしたのですが、道具を片付けながら先ほどの言い方にとげがあったことを大いに反省しました。

 どういう言い方で伝えれば私の思いは伝わったでしょう。

 せめて「釣り機械を使うのは良いとして、せめてバッテリーで静かで排気ガスが出ないやり方でやる方が良いですよ」と言えば良かったでしょうか。

 釣り人のマナーに答えはありませんが、私も冷静さを欠いた対応になってしまい大いに恥じるところです。

 大人のレジャーなのですから、時間と空間を共有し分かち合いながら楽しい時間を過ごしたいものですね。 

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研修の余禄 ~ 若者の声を聞く機会がもてる

2021-11-11 22:58:28 | Weblog

 今日も一日函館周辺の関係者をめぐって挨拶やら営業やら。

 函館開発建設部では、挨拶のついでに今年私が講師を務めた研修の受講生を訪ね歩いて、私の講義の印象や研修の成果について聞いて回りました。

 私の場合、研修の講義の中で受講生に対して「転勤した先の一日を無駄にせずに、積極的に地域を見て回る方が良い」ということを強調します。
 
 つまり単身赴任をしている方には、週末に家族のいるところへ簡単に戻るのではなく、たまには現地に残って地域のイベントを体験したり、地域の名所や名店を訪ね歩いて地域を理解しましょうよ、ということ。

 これって、住んでいるあるいは仕事をする地域のことを自分自身の時間と体力とお金でもっと知りなさい、ということなのですが、最近ではこんなことを職場の上司が口にすると「祭日も地域を歩けというのは職務命令ですか?休日出勤の対象になりますか?」などという質問や批判も出そうな、ちょっと嫌な時代です。

 なので、職場の中での職員の育成も良いけれど、たまには外部講師に職員のあるべき姿を語ってもらうことも意義のあることです。


 今日話を伺ったまだ若い職員は、今年の春に函館に赴任してきたそうですが、こじんまりした町が大いに気に入っているそう。

 そして「来たときはよそ者なのであまり動き回らずに大人しくしていよう」と思ったそうなのですが、研修を受けて「そうか、そんなに遠慮することはないのだ」という事に思うことができて、今では買い物などで人と触れ合うときの何気ない会話を大いに楽しめるようになったとのことです。
 
 研修も「話を聞いて良かった」というだけではなく、実際に少しでも行動変容があると意味が増します。

 実際に受講者に会って話を聞くと、研修講義を思い出してくれることもあれば、私の方も若い人たちの意見にインスパイアされるところがあってお互いに意義深い時間になりました。

 人と会うのは楽しいと思える時間です。

 

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「嫁さんは自分で見つけて連れてこい」 ~ 地方の疲弊は増している

2021-11-10 20:43:13 | Weblog

 

 今日から久しぶりに函館方面への出張。

 早朝の札幌は大雨だったのが、室蘭あたりで小雨になり八雲では曇り、函館に着くころには晴天になっていました。

 ところが夜には一転強い雨が降り始め、週の半ばの北海道は荒れ模様です。

 先日訪問したある中堅の市にある建設業者の社長さんの話。

 その方は息子さんが東京の大学を出て東京で就職したのですが、最近になって、「ふるさとに帰っても良い」という気持ちになってくれた、と嬉しそうに話されました。

「最初は息子も『札幌の大学に行こうか』と言ったんですが、そこは『東京へ行け』と言いました。札幌の緩さとは違う東京のある意味厳しいギスギス感を味わってほしいと思いました」

 息子さんもその思いを受けつつ、東京を大いに楽しんだようです。

 そして今後故郷に戻ったあかつきにはこの会社を継いでくれるという覚悟もあるようですが、「そのこと自体は嬉しいんですが、その先を考えるとなかなか大変です」と社長。

「何が大変ですか?」
「息子が帰って来ようとしているこのふるさとの現状です。地域の人口減少は激しくて、若い女性はまず札幌を始め都会に出てしまいますから地域に結婚できそうな若い女性がいないんです。
 さらに言えば、ポテンシャルの高い女性ほど都会へ出ていきますからね。だから息子には、帰ってくるのは良いけれど嫁さんは東京で見つけてこい、と言っています。果たしてそれがどうなるでしょうか」
「うーん、それは確かに大変ですね」  

「都会だって、これまで人材供給をしていた地方にもう人がいなくなり人材を供給できなくなれば、今までのような豊かさを享受できなくなる日が近いと思いますよ」

 地方の疲弊は都会にとっても決して他人事ではありません。


     ◆

 
「社員の皆さんの様子はどうですか。お忙しいと思いますが、休みなどは取れていますか?」

 するとその社長さんは「私たちのところはできるだけ週休二日に近づけようと、土日はできるだけ休むようにしてその分日当を上げるように努力してきました。そして実際ほぼ週休二日ができるところまで来たのですが…」
「それはご立派ですね」

「それがですね、もはや週休二日が当たり前になってしまって、どうしても土日に工事をする必要があるときも出てくれる社員が少なくなってしまいました(笑)」
「はあ」

「私の若い時は土日にも働くのなんて当たり前でしたが、今さらそんなことを言っても全く通用はしません。もはや日本人が労働力を増やすということは期待できないでしょう」
「労働のあり方も変わっていますけれども」

「確かに、今の若い子たちは肉体労働よりも電子パッドを使ってGISを駆使するようなことは我々よりはるかに得意で、それを誉めるととても嬉しそうにしていますから、労働と言ってもそのようなろうどうがふえるのかもしれません。しかし人口減少、少子高齢化に加えて一人ひとりが労働力も出し惜しむようになるとちょっと未来は心配です。でもそれを前提にした社会にしてゆかないといけないのでしょうね」

 
 地方の会社の社長さんの不安に対する答えはなかなか見つかりません。

 地方の厳しさは増しつつあります。 
 

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「世界100年カレンダー」を読む ~ 米中人口戦の行方もばっちり予測

2021-11-09 21:35:43 | 本の感想

 

 『世界100年カレンダー 少子高齢化する地球でこれから起きること』(河合雅司著 朝日新書)を読みました。

 帯には「米中人口戦、アフリカ対等、未来の姿がここに」とあります。

 世界の推計人口を調べてみると、私が子供の頃は世界人口は約30億人弱、物心ついた中学生くらいの時で35億人くらいだったものが、その後一貫して増加の一途をたどり、2020年では約80億人にも達したのだそう。

 しかし人口の増加によって、資源の消費が増大し温暖化ガスを代表に、外部経済性の問題が明らかになってきました。

 その間、日本はちょうど良い頃に人口が増加したことによって経済的恩恵を大きく受けた代表的な国の一つでしょう。

 ところがご承知のようにいまや日本は世界に先駆けて人口減少と少子高齢化の洗礼を受ける課題先進国です。

 社会が発展すると、医療が普及し乳幼児死亡率は低下し、多産である必要がなくなってきます。
 
 同時に経済的に豊かになり女性の社会進出が進み、避妊への意識が始まるとともに、「子宝は収入をもたらす」から「多くの子をもうけることは貧困につながる」と意識も変化してゆくのです。

 必然的に成熟した社会では多産から少産へと変わり、人口減少へと移り変わって行くことになるのです。


     ◆


 ところが世界にはまだまだ21世紀中に人口が伸びる国と地域があり、その代表例がインドに代表される南アジアからアフリカにかけての開発途上国。

 2100年の世界の人口を予測すると、一位はインドで10億9千万人、続いてナイジェリアが7億9100万人、中国は今世紀の半ばで人口ピークを迎えて2100年時では第3位の7億3200万人、以下アメリカ、パキスタン、コンゴ、インドネシアと続き、日本は世界の中で一人負けの38位の6000万人という予測が出ています。

 この本では、今世紀末までの80年間の人口の変化を予測して、人口を基盤とした経済の優劣を論じていますが、余程の大きな考え方の変化がない限り、この予測の通りになるだろうというのが人口論の怖いところ。

 また最後の方では今後の米中の人口戦の予想を立てています。

 著者の見立てでは、中国は今後の早い段階で経済規模がアメリカに追いつくものの、急速な少子高齢化によって今世紀中盤にはその勢いを失うだろうという予想。

 一方アメリカは、国のかじ取りによっての振れ幅が大きいものの、今のように移民を受け入れている限り若年者の流入により社会が若さを失うまでにはまだ時間がかかり、人口も増加基調が続くとしています。

 人口をベースにした米中の争いでは、まだ勢いを延ばす中国に対して、衰えを見せるまでの間にアメリカと価値観を同じくする同盟国側が切り崩されずに堪え切れるかどうかが鍵なのだと。

 一方一人負けの日本ですが、社会保障、国の経済規模の維持など様々な少子高齢化の荒波を世界の先頭で受け続けることになりますが、だからこそその課題を一つずつ克服するアイディアは今後の世界の人口減少を救う灯になりうるのだと。

 なかなかに刺激的で、日本と世界の近未来の姿が頭に描かれているかどうかで、目指すべき方向性も変わるかもしれません。


 さて翻ってわが身を考えると、やはり軽々しく隠居などとは口にせず、体も気持ちも動くうちは社会の片隅で一隅を照らすような貢献をすべきなのか、と思わせてくれます。

 老人が世話になる側に立つか、世話をする側に立つか、その割合はいかほどか、ということだけでも世の中の在り様は変わってくるでしょう。

 元気な年寄りが動き続けて社会を支え続ける様子を"サムライスピリット"として世界に示してやりたいものです。

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生きている「今」を誠実に ~ 帯広であえた人たち

2021-11-08 22:34:19 | Weblog

 

 今日は帯広方面への出張。

 コロナもだいぶ収まってきたことを受けて支店長とともに、業界の関係者へあいさつ回りの再開です。

 ある会社へ行ったところ、アポを取った社長さんがまだ出かけた先から戻っておらず、営業課長さんが対応してくれました。

 ところがその課長さんが支店長を見るなり、「〇〇さん、お久しぶりです、覚えていただいていますか!」と声をかけてくれました。

 聞けば、もう20年ほども前に冬期に本州へ越冬で渡った際に支店長のいる職場で働いていたのだそう。

 実は北海道では、冬期の積雪で工事ができなくなる季節には、「越冬」と称して技術者や作業員を本州へ出稼ぎのような形で送り出し、仕事をさせてもらうという事がよくあります。

 北海道では仕事のない技術者を本州で働いてもらうと同時に、年度末で忙しい本州企業にしてみれば応援部隊として大いに手伝ってもらえるという双方にとってウィン―ウィンな関係です。

 声をかけられた支店長の方は当時を思い出しながら、「ああ、いたかなあ」とおぼろげな記憶を引っ張り出しつつ、「当時は△△さんや◆◆さんがいました」という先方の記憶から「ああ、あのときだね」と段々焦点が絞られてゆきます。

「当時は越冬の最後に温泉に連れて行っていただき、飲んで遊んだのを今でも覚えています」
「そういえばあの頃は、残業もさせ放題だったけれど最後は職員も応援部隊も同じチームメイトの感覚で働いていたもんなあ」と支店長も懐かしそう。

 そもそもそのときの記憶が忌まわしいものであれば、このような形で声をかけてくれることもなかったでしょう。

 本州企業で現場を経験しながら高い技術力を目の当たりにすることで地力をつけてふるさとで活躍するという人は多かったはずです。

「こんなところで会えるとはねえ、また何かあれば今度はこちらもお世話になりますよ」と笑いながら会話が弾みました。

 旧交が再開するのは楽しいものです。


     ◆


 折角帯広へ来たのだから、ということであいさつの最後に帯広市役所を訪ねて米沢市長さんのアポをいただいてお会いをしてきました。

 実は米沢市長さんとは、私が釧路の副市長をしていたときにある会合で一緒になり、話の中で「僕が帯広市長に立候補しようと思ったのは、掛川の榛村純一さんの本を読んだことが一つのきっかけだったんです」ということをおっしゃられました。

 米沢市長さんは「その榛村さんの本には、これからのリーダーは三つの故郷を持つべきだ、と書かれていました。曰く、生まれ落ちた田舎の故郷、猥雑な集積のある都会と言う故郷、そして海外の異質な故郷の三つです、と書かれていたのですが、それを読んだときに、(これはまさに自分のことではないか)というインスピレーションが湧いて、勢いで故郷帯広市の市長選に立候補したというわけなんです」と言うのです。

 ところが市長に当選した後もまだ榛村さんには直接お会いしたことがないのだと。

 そこでその場で私が榛村さんに電話をして、「今目の前に榛村さんに感化された帯広市長さんがいるのですが」と米沢市長さんをご紹介した、と言う次第。

「お陰様でその後榛村さんは二度ほど帯広市を訪れてくださってお会いすることができました。亡くなられたのは実に残念ですが、小松さんにご紹介いただけたことでご縁が繋がりました」と大いに感謝されたのでした。

 米沢市長さんからは、「初めての選挙の時も、それまでの人生でご縁があった多くの人から、陰に日向に応援をしていただいて今があります。その場その場を『立つ鳥跡を濁さず』で過ごしてきた良かったなあ、と本当に思いましたよ(笑)」と、ここでも瞬間瞬間を誠実に生きることの意味を教えていただきました。

 昔の悪行を取り返すことはできません。
 
 今を一生懸命誠実に生きることが、長い目で見たときの成功の秘訣だという事を改めて感じた一日となりました。

 私たちは「今」をどう生きるかが問われています。 

 榛村さんの話題に触れることができたことも嬉しい時間でした。

 
 

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都市計画学会全国大会で、地理総合支援の北海道の取り組みを紹介

2021-11-07 11:18:25 | Weblog

 

 昨日は日本都市計画学会の全国大会が開催され、その中でワークショップが企画され、学会として取り組んでいる地理総合支援の現状が報告されました。

 大会は愛媛県松山市で開催されていて、私も北海道の取り組みを報告するパネラーの一人として参加。

 松山なら現地にも行ってみたいところでしたが、今回はZoomでのリモート参加です。

 移動の苦労もなければ情報交換の質は高く、終わればすぐにプライベートに戻れる。しかしその一方、遠隔地の方と身近に接して語り合うことはできない。

 メリットとデメリットが大きく出るなあ、と改めて感じ入りました。

 さて、来年4月から始まる高校での地理総合必修化ですが、都市計画学会としては半分は地理総合の学習指導要領の中で「地域の探求」という部分を支援しよう、という義挙であり、もう半分はわが学会のPRでもあるという立場。

 冒頭チームリーダーからWG全体の説明があり、続いてこれまで作ってきたモデル授業集の検討状況・内容の説明がありました。

 ちなみにこれまでのモデル授業集については、都市計画学会のホームページのトップページで「地理総合必修化に向けた『日本都市計画学会の取り組み」のリンクの中で「生活圏の調査と地域の展望」の学習に向けた教材の検討」として紹介されています。(先頭の写真)
 https://bit.ly/3bOYsV2

 続いていよいよ私からの北海道支部での取り組み報告。

 私の基本的なスタンスは、①教育者側(地理の先生)たちの考えを知ろう、②教育者側のニーズを知ろう、③教育者側との人脈を形成しよう、ということ。

 まずは相手側の事情を知り、それと並行して人同士の信頼と繋がりがなければ良いことも伝わって行かない、ということをベースに考えました。

 その結果、地理の先生の中に熱心で信頼できる何人かの先生と繋がることができ、全道の高校へのアンケートもしていただき、多くの現場の教師の皆さんの考えも知ることができました。

 そこで印象的だったのは、地理総合の学習指導要領に項目C-2として盛り込まれた「生活圏の調査と地域の展望」への取り組み姿勢。

 北海道内の現場の先生たちが子供たちに取り組ませたいテーマとしては「自然災害」に次いで「人口減少問題」や「地域活性化」などが上位にランキングされています。

 しかし都市計画学会の高校支援WSでは、モデル授業でも「交通路の安全対策」や「都市公園」「コンパクトシティ」など都市的な問題対策の教材案が多く提供されていて、全国の高校となると、やはり人口減少や地域活性化に悩むところもあると思われ、全国的なニーズへの対応はまだ充実しきれていない感じがします。

 また現場からは、地域内をめぐってフィールド調査をする「巡検」が求められていますが、冬期に積雪寒冷の環境下で地域を巡れるだろうか、という悩みも多く聞かれました。

 こうした地域ごとの現場のニーズの把握は作業の前段として非常に大切なように思います。

 そこで私も夏休みの間に、人口減少下の地域での地域振興を模索するような教材案を作ってみました。

 今後はこのような地域の課題に応えるような教材案が充実してゆくことが望まれます。


【パワポは全部で16枚ほど、以下省略】

 
      ◆


 説明を終えてからの意見交換では、北海道以外の支部での活動の状況に関する質問がありましたが、私自身道内での取り組みでとどまっていて、まだ他の地域での取り組み状況については把握しておらずお答えにはなりませんでした。

 しかし最初から広くあまねく取り組みを行うよりは、まず数は少なくても成功事例を積み重ねてゆくことが大切だとも思います。

 今後もこのような教材モデルの充実と併せて、各地で教育界との連携を模索する動きが望まれます。


 さて、10月の声を聞いてからというもの、研修講師やパネルディスカッション、プレゼンの機会が多く、一品もののパワポ作成に苦労していましたがとりあえず今日でひと段落。

 これからはコロナも収まってきたので、道内行脚も復活させて地域の様々な人たちにも会ってこようと思います。

 秋が深まってきましたねえ。 
 

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「始める」は易けれど「止める」は難し

2021-11-05 23:01:18 | Weblog

 

 かつて私が国営滝野すずらん丘陵公園の所長をしたいたときに、開園中の時間帯に園内に熊がいるのが見つかりました。

 滝野公園ではその後、結構な頻度で熊が出没してその度に臨時閉園の憂き目を見るのですが、私の時はその第一号となる最初の熊事件。

 「熊が出た」という知らせを受けた時点では園内に利用者がいたので、園内放送をしたうえで急きょ時閉園とした…までは良かったのですが、お客さんがいなくなったところで「さて、今後はどうするべきか」にはたと悩みました。

 大きな方針は二つ考えられました。一つは、『熊がまだいるかどうかの確認』と、二つ目は『今後熊が出たときに対処できる対策を取る』ということの二つです。

 熊の専門家を招いてハンターさんとともに巡回をしたところ、「ここはそれほど餌になる樹木が多いわけでもなく住み着く環境ではないし、熊の目撃情報を総括すると、親離れしたての冒険をするオス熊と考えられるので、園内にいる可能性は低いですね」という判断でした。

 ところが「では熊は絶対に園内にいないし戻らないのか」となるとそれを証明することが難しいことに気がつきました。

 つまり「どういう条件が満たされたなら安全と判断して開園できるのか」という基準がなかったし、当時は境界柵もなく基準を作っても完璧な安全を満たすのは難しい状況でした。

 結果的には園内の巡視を繰り返し、熊の足跡が園外に向かっていたことなどから「ほぼ園内にはいない」と結論付けて一週間後に再開園を果たしました。

 事程左様に、新しいことを実行するのは割と簡単ですが、それを止めるということは条件やタイミングなどがあってなかなか難しいという事です。

 うちの会社でも朝出勤者に対してコロナ罹患チェックとして体温を測っているのですが、担当者に「これっていつまで続けるのかねえ」と訊くと「本社からはその辺の指示がないんです」とのこと。

 ただ社員の飲食については、これまでは「4人以下にせよ」だった指示が、「参加者が二回ワクチンを受けている場合は人数制限はしない」と条件が緩和されました。

 コロナの新規感染者が激減しているなか、様々な経済的制限も解除されつつあるなか、コロナ対策はいつ止められるのでしょう。


      ◆


 ちなみに某官庁では、やはりコロナ蔓延防止の観点から多くの職員さんがローテーションで在宅勤務となっていましたがこれも未だに解除されていません。

 オフィスを訪問しても「今日は在宅のため出勤しておりません」すごすごと帰ることも多く非効率を感じます。

 一説には岸田政権誕生前の全大臣の指示なので、大臣が変わってからまだ相談に行けていないのではないか、と噂されていますが真実はわかりません。

 そろそろ年末が近づいて、様々な職場では忘年会はどうするのでしょうか。

 衆議院選挙では大物が落選する一方、長老議員が「まだやるの?」とも言われています。

 「止める」って実は難しいんですね。

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