娘のプレゼントのチケットで「ドレスデン、運命に日」を日比谷シャンテシネで観ました。
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第二次世界大戦の終末、1945年2月、連合国軍のイギリスがドイツにダメージを与えるために選んだ都市、ドレスデンの空爆を中心とした映画でした。かなりの時間を費やして激しい空爆による炎の海を描いていました。戦後生まれの私は体験していませんが1945年の東京大空襲を、ナチスによるロンドンの空爆を、また、ドイツのヴィルツブルクのイギリス軍の空爆もこのようだったのかと、空爆の無差別殺戮の恐ろしさが戦争を知らない世代、地域の人々に迫ってきました。21世紀にはいっても、アフガン攻撃、イラク攻撃で空爆が激しく行われました。空爆の無差別殺戮は歴史的な事件ではありません。
ローラン・ズゾ・リヒター監督は「・・・戦争の多くが、エゴイスティックな考え方のごく少数の指導者によって引き起こされ、多くの文化、多くの人間の命が失われます。それら指導者が戦争によって得ようとしたことは、払われた犠牲とは比べものになりません。戦争から人間が学べることがあるとすれば、それはただ一つ いかに戦争が無意味であるかということだけなのです」
ドイツの東西統一後の1993年に、夫は娘と息子を連れて夏休みに旧東ドイツのツアーに参加しました。フラウエン・キルヘ(聖母教会)は1945年に崩れたままだったとのことでした。崩れ落ちた教会の石に番号をつけていたそうです。私は仕事の都合でいけなかったので、1997年に夫はツアーで周った都市に私を連れて観光しました。その年には、番号のふられた石は整然と棚に並び、教会はすっぽり養生に包まれていました。その後、ドレスデンに縁がありまして、1999年に2週間のドイツ語コースに参加、そして、2001年夏にも観光で5日ほど滞在しました。その都度、フラウエン・キルへの近くを通りましたが、ちっとも再建は進まず、いつも養生の中でした。ドイツ人の仕事はとても精密なのでしょうと・・
・・・。映画「ドレスデン、運命の日」のエンディングは2005年10月に完成した「反戦」と「和解」のシンボル、フライエン・キルヘ(聖母教会)のドキュメンタリー映像で、観るものに希望と反戦を伝えました。
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ジーゲス・クランツの洋菓子はドイツの都市名や人名で呼んでいます
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