蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

安曇野の駅シリーズ 安曇追分

2006年01月29日 | 駅&鉄道
しなの鉄道に「信濃追分」がある
移住当初、ある放送局の天気予報のバックに電車が走るのだが、「信濃追分」の看板を背負っている。車両デザインの違いに気づかず「安曇追分なのに何故だう?」と真剣に悩んでいた。
しなの鉄道は観光地として人気のある軽井沢を通る鉄道で、JRではない。
新幹線建設にあたり並行在来線となる軽井沢~篠ノ井間は、新幹線開業時に東日本旅客鉄道株式会社から経営分離されることとなり、第三セクター「しなの鉄道株式会社」が設立され、平成9年10月1日に開業した。
ちなみに信濃追分駅は軽井沢駅からふたつ西の駅です

さて、安曇追分駅
写真左:勿論ホームはひとつ。クラシックな木造ホーム屋根に注目
写真右:駅舎の屋根は赤く洋館風。山麓沿いにある「鐘の鳴る丘の建物がイメージされている
(上記Webサイトは早春賦と同じ方からいただきました。♪を聴きながら是非最後まで読んでください)


大正4年の開業時は「アルプス追分駅」だった。
明治20年代に日本アルプスと命名されたことを受けての駅名だったのか?
なぜか大正8年に安曇追分に変更されている。
またまた余談
「日本アルプス」という名称は、イギリス人冶金技師ウイリアム・ガウランドが「日本案内」という著書の中で紹介したのが最初といわれている。ガウランドは、大阪造幣局寮のお雇い外国人技師として明治5年に来日し、明治11年7月、外国人として初めて槍ヶ岳に登頂した。なお、ウェストンの槍ヶ岳登頂は明治25年であり、日本アルプスの命名者でなく世界に知らしめた紹介者である。日本での登頂山が多く活動地も広く上高地ほか銅像が建っていることも知名度を高くしているのかも。安曇野では須佐渡渓谷(掘金)にあります。

ふたたび安曇追分駅。7時から17時までは駅員がいますが、JR東日本から委託を受けて
穂高町(現安曇野市)から派遣されている職員だそうです。残念ながらサービス精神にはかけます。
「切符・特急券・定期券は是非地元の駅でご購入ください」の掲示板がありました。
南側の道を有明山に向かって行くと、有明山ロードという木立の中を走る。
山麓線にぶつかりとんがり帽子の時計台へ続く


右方向へ上ると中房温泉~北アルプス登山口へとつながります。
学内登山で燕岳へ行ったよと地元の人から聞きます

写真左:有明山へ続く木立のなかの道(2005年春撮影)
写真右:はるかに見える燕岳(雪山)。手前は有明山(2005年初夏撮影)
コメント
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