久しぶりの駅シリーズ
2006年の4月中旬から7月下旬の3.5ケ月間、家造りに参加した折ひとり暮らしをした最寄駅で、思い出深い駅である
大正14年1月開業、標高550メートルにあり、常念岳、蝶ケ岳への登山基地駅
写真左:木造3角屋根の駅舎。駅前にはロータリーがありタクシーの常駐多し
写真右:2006年春大糸線初の自動改札機が設置されたが、必要かなと思うほどの乗降客ではないと思う
順次自動化する手始めということか?
写真左:正面右の庭にある古そうな二宮金次郎像
写真右:古くて文字も薄くて読みにくい駅名板
この金次郎像に何年か前の駅長さんが、冬は手編みの赤い毛糸の帽子とマフラーを、夏は菅笠と手ぬぐいを巻いたことがあったそうですが、駅員にきくと「私が来た時はありませんでした」とそっけない返事
何処へ行ったのだろう?世相を反映して盗難にでもあったのかな?復活すれば和むんだろうな。
小学校の校門横にはよくあったが、今ではどうだろう。ましてや駅に二宮金次郎像というのは少ないと思われる
豊科駅正面出入口戸の上に古い毛筆の看板がかかっています。読みにくいが「和気兆豊年」説明書きには「わき、ほうねんをきざす」。意味は「やわらいだ空気は、豊かな年の兆しがみえる」とあります。安曇米の産地であったからこんな漢詩?がかけられたのかもしれない。
今は”たまねぎ”で地域おこしを図っています
国営アルプスあづみの公園ゆきのバスが出ており、犀川白鳥飛来湖へもこの駅からです
どちらかというと安曇野市内でも商工地域を抱える駅、学生が多く利用する駅という印象である。
駅舎、駅名板、二宮金次郎像と最新自動改札機の対比を笑わば笑え
2006年の4月中旬から7月下旬の3.5ケ月間、家造りに参加した折ひとり暮らしをした最寄駅で、思い出深い駅である
大正14年1月開業、標高550メートルにあり、常念岳、蝶ケ岳への登山基地駅
写真左:木造3角屋根の駅舎。駅前にはロータリーがありタクシーの常駐多し
写真右:2006年春大糸線初の自動改札機が設置されたが、必要かなと思うほどの乗降客ではないと思う
順次自動化する手始めということか?
写真左:正面右の庭にある古そうな二宮金次郎像
写真右:古くて文字も薄くて読みにくい駅名板
何処へ行ったのだろう?世相を反映して盗難にでもあったのかな?復活すれば和むんだろうな。
小学校の校門横にはよくあったが、今ではどうだろう。ましてや駅に二宮金次郎像というのは少ないと思われる
豊科駅正面出入口戸の上に古い毛筆の看板がかかっています。読みにくいが「和気兆豊年」説明書きには「わき、ほうねんをきざす」。意味は「やわらいだ空気は、豊かな年の兆しがみえる」とあります。安曇米の産地であったからこんな漢詩?がかけられたのかもしれない。
今は”たまねぎ”で地域おこしを図っています
国営アルプスあづみの公園ゆきのバスが出ており、犀川白鳥飛来湖へもこの駅からです
どちらかというと安曇野市内でも商工地域を抱える駅、学生が多く利用する駅という印象である。
駅舎、駅名板、二宮金次郎像と最新自動改札機の対比を笑わば笑え