星のひとかけ

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「燈台守」 ヘンルィク・シェンキェヴィチ

2016-11-25 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
ことしの マイ・キーワードのひとつが… 「灯台」、、 というのは前にちらっと書きました。 、、今年、だけではないのかも、、 数年前から頭の中にそっとひそんでいました、、 「灯台」へのあこがれ。。

これまでに、 灯台が出てくる小説のことを3つ 書きましたね。
 『灯台守の話』 >>
『冬の灯台が語るとき』 >>
「燈台」 『ベイツ短篇集』より >>


「灯台」って、、 「灯台守」という言葉から感じる、 日本人の私としてのイメージは、、 気象とか、 海上交通とかの、 公的な任務の為に 最果ての地で昼も夜も、 一年中休むことなく 任務をまっとうしている、 そういうイメージ。 万葉集の「防人の歌」ではないけれど、 そういうとても大変だけれども尊い、 「職務」としてのイメージしか持っていなかったのです。。

それが ふっと別の見方になったのが、 上記の ジャネット・ウィンターソンの『灯台守の話』を読んでから・・・  灯台守の老人が、 身寄りのなくなった女の子をひきとって一緒に暮らす物語、、 どこか おとぎ話のように始まる これファンタジーなのかしら、、と思わせる話、、、

それで、 これまで「任官」という堅い職務のイメージしか持っていなかった「灯台守」または「灯台で暮らす人」、、が、 ふわっと私の中で膨らんでしまったのでした。

、、その後に 「灯台」の出てくる話を読みたいと検索して辿りついたのが こちら↓



今日は、、 左側の 『世界短編名作選 東欧編』からの話です。。 この本の短編は、 ほんとうに いろいろ忘れられないものばかりなのですが、、 前にひとつの作品について 書きましたね↓
ドゥミトル・ラドゥ・ポペスク作 『砂漠の下の海』>>

 ***

さて、、 「燈台守」 ヘンルィク・シェンキェヴィチ作 の話に移りましょう。

シェンキェヴィチはポーランドの作家、 叙事詩の功績によってノーベル文学賞を受賞した作家だそうです(知りませんでした・汗)、、 『クオ・ヴァディス』が代表作、、(こちらは題名だけは…) 
Wikiはこちら>>

でも、、 「燈台守」の舞台は ポーランドではありません。 「パナマからほど遠くないアスピンウォール、、 中米のパナマ運河の入り口のようです。

そこの燈台守に急な欠員ができてしまい、 パナマ駐在アメリカ合衆国領事は 「後任は十二時間以内にどうしても見つける必要があった」のですが、、 

「燈台守は囚人とほとんど変るところがない」
「昼間は、気圧計の示度にしたがって、いろいろな色の旗をかかげて合図を送り、夕方になると明かりを入れる」
「一口に言ってそれは修道士の生活、いや修道士以上の、隠者の生活でさえあった」

、、そんなお仕事であるから、、 「ぐうたらな南方の人間に向いた職業ではなかった」、、と ちょっと 語弊のある(笑)書き方もしています。

、、その緊急事態に 運よくやってきた男、、 70歳以上に見えたとはいえ 「矍鑠(かくしゃく)として、背筋をまっすぐにのばし」、、 その老人は こう言いました。

「わたしはポーランド人であります」
「これまで何をしておられたんだね?」
「あちこち歩きまわっておりました」
「燈台守というのは、ひとつところにじっとしているのが好きでなくてはつとまらんが」
「わたしもいいかげんに体を休めたいと思っておりまして」

、、中略、、

「ずいぶんいろんな職業に就かれたと見えるね?」
「知らないのはじっくり腰を落ちつける仕事だけでございました」

、、こんなやりとりのあと、、 この老人は、 突然、、

「わたしはくたくたに疲れ、なにがなんだかさっぱりわかりません。おわかりのように、いろんな目に会ってまいりまして。 ここみたいな場所が、いちばんあこがれたところなのでございます。もう年もとっていて、安らぎがほしいのです!・・・」 、、このあと11行にわたって、 この候補者は懇願を続けました。 そして、採用されたのです。

、、、 これは冒頭の2~3ページの出来事ですが、、 ここまでなら、 ある意味、 領事館が任命した 「公的な任務」であり、 気象や船の航行のための仕事をする、、という 今までどおりの 「燈台守」としてのお仕事と同様のように思えます。。 ちょっとだけ異なるのは、、 このように、 生涯を放浪して暮らした なんだか「世捨て人」のような老人が、 ここの「燈台守」になった、ということ。。。

、、この老人は、 期待どおりに きちんと仕事をつづけていきます。 日用品や食料は、 週に一度の舟がはこんできます。 

老人はこれまでの自分の流浪(さすらい)の人生をふりかえりつつ、、 燈台守としての規則正しい仕事を毎日変らずつづけ、、 そして時が経ち、、 いまでは、、 日々 海と、 空と、 浜と、 鳥と、 月と、 時おり航行する船と、、  そしてたまには 見張り用の望遠鏡で 遠くのパナマの森を眺めるだけの、、 その孤独な生活にひたり、、

「もはやこれ以上望むものは何もなかった」

、、という やすらぎを感じるのでした。 

 ***

、、 しかし、、 ある日、、、 何かが起きるのです。

、、 それについては やはり書くのは控えましょうね、、。

放浪をつづけたこの老人の 「孤独」 「流浪」 「安らぎ」 そして人生の「終末」をむかえつつある 「想い」、、、


人には、、 「定住」を求める人と、、 「移動」を求めるノマド型の人と、、 そういう気質の違いがあるような、、 そんな気がしていました。。 わたしは (引越しは別として) 故郷と、 いまの都会と、 人生で二箇所にしか暮らしたことがないけれど、、 でも、 世界を放浪するバッグパッカー達と付き合っていた頃もあったし、、 旅も大好きだし、、 生涯を好きに暮らせる体力があるなら、 人生を「移動」しながら生きていくのもいいな、と 思ってる。。 死して屍拾うものなし、、 そんな人生でもかまわない、、と。。

でも、、

人間の ほんとうの 「根っこ」 って、、 何処にあるの・・・ かな。


 ***

上のフォト 右側の、 ポール・ギャリコ著 『スノー・グース』についてはまた。。。

有名な作品なので 書く必要もないかもしれないですけれど、、 私は初めて読みました。。 この美しい絵本で読むことができて、 よかったです。

それは またいずれ。。


、、 あたたかい週末を 、、
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