『冬の旅』の最後の歌は 「ライアーまわし」 とイアン・ボストリッジさんの著書の翻訳では書かれています。 Der Leiermann はそのままだと「ライアーマン」になりますし、 英語に訳すと「The hurdy-gurdy man」になります。
ボストリッジさんのCDや、 「冬の旅」のウィキでは「辻音楽師」となっているので、 こちらのタイトルの方が一般的なのだと思いますが、 私には「ライアーマン」とか「ハーディ・ガーディ・マン」の方がしっくりします、、 理由は… 以下でそれとなく…
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最後の歌だけは ボストリッジさんの本文を読む前に(解説に影響されないように) 先に詩と曲を何度か聴いて 自分のイメージ、 この旅人の結末について、 考えておきました。
曲は、、 淋しい曲です。
旅人は夜更けに とある村はずれに着きます。 村の隅っこに独り立っている盲目の老人「辻音楽師」=ライアーマン(ハーディ・ガーディ・マン) 氷の道に裸足で、 誰も聴く人もなく、 老人の前の皿は空っぽ…
ライアーとは 手回しオルガンというか、 手回しヴァイオリンという感じでしょうか、、
ハーディ・ガーディ >>Wiki
hurdy gurdy で検索すれば音色が聴ける動画も沢山あります。 hurdy gurdy と Der Leiermann で調べれば シューベルトのこの曲をハーディ・ガーディの演奏で歌ったものもあります。
相当古くからある楽器のようで、 バグパイプに少し似たようなその音色は耳にしたことがある人も多いかと思います。 手回しで弦を鳴らす (悪く言えば)ガーガーキーキーという感じの少し淋しい音色、、 明るく弾くこともできるのでしょうけれど、、 この最後の曲でピアノのたどたどしい音色がハーディ・ガーディの音色を模倣しているのを聴くと、 この老人が奏でる音色は疲れ切って 手もかじかんでやっと やっと一廻し、 また一廻し… といった感じです、、
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… 気づいた事があります。
これまで、 ピアノの伴奏は 旅人の行動や気持ちの情景描写をしてきました。 風であったり、 木の葉であったり、 犬が吠えたり、 風見が廻ったり、、 或は 旅人の気持ちの明暗を表現したり、、
この 最後の曲で、 初めて「音楽」が流れているんです。 それがハーディ・ガーディの音色。
ここでも ハーディ・ガーディ弾きの老人のまわりで犬が唸り声を上げたりしているけれど、 そういう表現は何も無くて、 流れているのはハーディ・ガーディの音色だけ…
そして 旅人は、 「奇妙な老人、 お前と一緒に行こうか?」と。。
Willst zu meinen Liedern
deine Leier dreh’n?
… うまく訳せないのですが、 「私の歌でお前のハーディ・ガーディを廻したいか?」というのが直訳で、 英語だと 「When I sing my songs, will you play your hurdy-gurdy too?」となるようです。
、、つまり ここで奏でられているのはハーディ・ガーディの音色で、 そして旅人のこういう呟きがボストリッジさんの歌声になってその伴奏に乗っているということは、 すでに旅人の言葉がハーディ・ガーディの歌になっている(一緒に歌っている)ということになるのか、と…
第22章の「勇気」で 心が嘆くとき、 明るく歌おう! と、 初めて「歌う」という言葉が出てきました。 そして、 最後に旅人はハーディ・ガーディ弾きに出会って、 本当に歌っているのかな、と…
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ボストリッジさんがこの第24章で書かれていることは、 いろいろネタばれになってしまうので あまり触れないでおきます。。 シューベルトが作曲家として社会的に(経済的にも)どういう立場だったか、、 また、 ここに登場する辻音楽師のような人たちの社会的立場、など、、
それから、 この最後の曲を歌うときにご自身が考えること、、
、、 旅人が一番最初に 眠る女性を残して家を出ていく時、 私が思い浮かべたのが ディランの「いつもの朝に One Too Many Mornings」でしたが、、 ボストリッジさんは 最後にディランの歌を挙げています。
(…と書いただけで わかる人にはわかってしまうのでしょう…)
、、 ボストリッジさん まったくその通りです。。 もう一度、 その歌と歌詞、、 あらためて聴き直してみました。。 凄いです、、 ディランて本当にすごいです。。
この第24曲にとどまらず、 これまでの旅人のことも含めて、、 あっ! と感じる詩の言葉を拾い上げていて、 しかもそれが見事な韻を踏みながら ディランの詩に組み込まれてる、、 ほんと すごいなぁ…
そして、 ディランのずっとやっている「ネヴァー・エンディング・ツアー」は ディランなりの辻音楽師としてのあり方、生き方なんだと、、 そう思います。
でも、 もう一つ(私的に)、 ボストリッジさんは書かれていないけれど、 この章を読みながらずっと私の頭に流れていた曲があったのです、、 それは「ピアノマン」。
この歌は この旅人とハーディ・ガーディ弾きへの願望もかなり混じっていますけど、、 この旅の最後は、、(旅人と老人の最後の風景は)「ピアノマン」みたいだったらいいな、、と。
旅人と老人が連れ立って、 凍えた老人の肩を抱いて、 村の安酒場に連れていってあげるんです、、 そうして歌を歌い始めると、 ピアノマンの歌詞みたいに、 俺のことを歌ってくれ、、 俺も、 俺も、、 といろんな人が自分の身の上と重なる歌を聴きたがる…
だって、、 誰しも 自分の心が胸の中で語っていることを 誰かに歌にしてもらいたいはずだもの…
自分の境遇と重なる歌だからこそ、、 何度でも何度でも聴いてなにかしら力を貰いたいのだもの
…
旅人が最後にハーディ・ガーディ弾きに眼を留めたのも、 その物悲しい音色が自分のいまの様に重なり、 心の言葉とハーディ・ガーディの音色が重なったからでしょう…?
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旅人は最後に 「歌」をみつけました。 そして「友」も…
旅人と老いたハーディ・ガーディ弾きが 連れ立って行く後ろ姿は、、 なんとなくベケットの「ゴドーを待ちながら」に出てくる、 なぜか離れられない二人組の姿にも似ています。。
Billy Joel の 「Piano Man」は、 酒場のピアノ弾きが その場のいろんな人の身の上を歌にするものですが、 その中にこういう歌詞があります
Yes, they're sharing a drink they call loneliness
But it's better than drinkin' alone
、、 そう、 独りで呑むよりはまし…
Billy Joel - Piano Man (Video)
シューベルトも お酒を飲んで歌ったりするピアノマン、 だったそうです。。