先月からの流れで、、 (芥川龍之介の「死後」という作品を読んでから…)
ここのところ龍之介の後期の作品を読んでいます。
、、作品、というか 私小説的なエッセイに近いものたち。。 「河童」や「歯車」などの有名な作品の間でつい読み逃がしてしまっていた小品を…
大正15年に書かれた「彼」「彼 第二」の二篇は、 早世した友人の思い出をつづったもので、 「彼」は中学時代の旧友のこと、 「彼 第二」は二十三歳ぐらいからの付き合いのある、アイルランド人の友人のこと。 彼は新聞社の通信員として日本に駐在したのち、 上海へ転任し その地で亡くなる。
アイルランド人の彼との、青春の日々の描写がとてもみずみずしくて、 龍之介の心が記憶のなかから掬い上げた場面の、せつなさ、美しさ、そして痛み。。 これを龍之介が書いたのが自死の8カ月前だというのを想うと、、 (こんなにも美しいエッセイが書けるのなら死なずとも良かったのに…)と勝手なことを考えてしまいました。
或は、 龍之介の心がすでに死の領域に引き込まれ、 喪った友の近くに引き寄せられているからこそ、 思い出でありながらこんなにも親しげな、心安い書きぶりになっているのか…
、、 それでも 生きていて欲しかったな… と思う。。
「彼 第二」の中で、 アイルランド人の友だちが 谷崎潤一郎の『悪魔』を読み、 「あれはおそらく世界中でいちばん汚いことを書いた小説だろう」と言ったのを、 龍之介がのちに、 当の谷崎に語ったそのときの谷崎の反応が書いてあって…
するとこの作家は笑いながら、無造作に僕にこう言うのだった。――「世界一ならば何でも好い。」!
、、さすが谷崎潤一郎です。。 このくらいの作家魂というか したたかさが芥川にあれば…
***
こんなことを考えています… できれば戦争の時代を越えて生きて、、 そして 芥川を師とした堀辰雄が病気で死んでしまった後も生きて、、 「彼 第二」を書いたように、 堀辰雄と自分の軽井沢の日々などを追憶してもらいたかった、、 などと。。
どんなことがあろうと (つまり… 彼らを取り巻いた男女の事件やら不幸やら…) 芸術家の身の上に起こるこもごもであれば いずれは消え去る。。 過去になる、、 そう思うのです。 芸術家はそれを作品に変えられる。
龍之介は死の二カ月前に、 ピカソとマティスを比べてこう書いています
若しどちらをとるかと言へば、僕のとりたいのはピカソである。兜の毛は炎に燒け、槍の柄は折れたピカソである。
「二人の紅毛畫家」
、、その意味の全文は青空文庫で読んでみてください(>>)
ピカソみたいに、、 91歳まで書いて欲しかった… したたかに。。 そんなのは芥川龍之介じゃない、と言う人もいるかもしれないけれど。。
美しいノスタルジアで良いではないか…
まなざしが曇りさえしなければ…
『河童・玄鶴山房』 芥川龍之介 角川文庫
(昭和54年版だからボロボロだ…)
ここのところ龍之介の後期の作品を読んでいます。
、、作品、というか 私小説的なエッセイに近いものたち。。 「河童」や「歯車」などの有名な作品の間でつい読み逃がしてしまっていた小品を…
大正15年に書かれた「彼」「彼 第二」の二篇は、 早世した友人の思い出をつづったもので、 「彼」は中学時代の旧友のこと、 「彼 第二」は二十三歳ぐらいからの付き合いのある、アイルランド人の友人のこと。 彼は新聞社の通信員として日本に駐在したのち、 上海へ転任し その地で亡くなる。
アイルランド人の彼との、青春の日々の描写がとてもみずみずしくて、 龍之介の心が記憶のなかから掬い上げた場面の、せつなさ、美しさ、そして痛み。。 これを龍之介が書いたのが自死の8カ月前だというのを想うと、、 (こんなにも美しいエッセイが書けるのなら死なずとも良かったのに…)と勝手なことを考えてしまいました。
或は、 龍之介の心がすでに死の領域に引き込まれ、 喪った友の近くに引き寄せられているからこそ、 思い出でありながらこんなにも親しげな、心安い書きぶりになっているのか…
、、 それでも 生きていて欲しかったな… と思う。。
「彼 第二」の中で、 アイルランド人の友だちが 谷崎潤一郎の『悪魔』を読み、 「あれはおそらく世界中でいちばん汚いことを書いた小説だろう」と言ったのを、 龍之介がのちに、 当の谷崎に語ったそのときの谷崎の反応が書いてあって…
するとこの作家は笑いながら、無造作に僕にこう言うのだった。――「世界一ならば何でも好い。」!
、、さすが谷崎潤一郎です。。 このくらいの作家魂というか したたかさが芥川にあれば…
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こんなことを考えています… できれば戦争の時代を越えて生きて、、 そして 芥川を師とした堀辰雄が病気で死んでしまった後も生きて、、 「彼 第二」を書いたように、 堀辰雄と自分の軽井沢の日々などを追憶してもらいたかった、、 などと。。
どんなことがあろうと (つまり… 彼らを取り巻いた男女の事件やら不幸やら…) 芸術家の身の上に起こるこもごもであれば いずれは消え去る。。 過去になる、、 そう思うのです。 芸術家はそれを作品に変えられる。
龍之介は死の二カ月前に、 ピカソとマティスを比べてこう書いています
若しどちらをとるかと言へば、僕のとりたいのはピカソである。兜の毛は炎に燒け、槍の柄は折れたピカソである。
「二人の紅毛畫家」
、、その意味の全文は青空文庫で読んでみてください(>>)
ピカソみたいに、、 91歳まで書いて欲しかった… したたかに。。 そんなのは芥川龍之介じゃない、と言う人もいるかもしれないけれど。。
美しいノスタルジアで良いではないか…
まなざしが曇りさえしなければ…
『河童・玄鶴山房』 芥川龍之介 角川文庫
(昭和54年版だからボロボロだ…)