先ごろ、 火星への片道切符、というニュースが話題になりましたね。 すでに何万人もの応募があるんだそう、、 そんな夢物語みたいなとか、 ほとんど自殺行為のようなとか、、 「あり得ない」イメージで言われてますが
スコットやアムンゼンが南極点に行ったのが 1912年のこと、
「スコット大佐が南極をめざしたのは、もう他に探検する場所が残っていなかったからだと、本の序文には書いてあった。・・(略)・・ 一九六九年に人類が月に行くなんて、誰も想像すらしなかった時代だ」
、、と先日読んだ本に書いてあって、 なるほどと思いました。 南極探検から57年後には人は月の上を歩いてちゃんと帰ってきました。 想像もできないことが50年くらいで可能になるなら、 いずれ火星に移住するのだってあり得ないことじゃないのかもしれません。。。
***
先に引用した本は、 『灯台守の話』(ジャネット・ウィンターソン著/岸本佐知子訳 白水社)
でも、 南極や月探検の話ではありません。 スコットランドの北の涯ての海辺に 母と住む少女の話。
「二人の家は崖っぷちに斜めに突き刺さるようにして建っているため、母娘はつねに命綱でしっかり体を結び合っている」(あとがきより)
、、というちょっと「あり得ない」ような家が 物語の始まり。 、、しかしある日、 母を失い孤児になってしまった少女(と犬)は、 養い手を探す張り紙を町に貼り出され、 応募してきた灯台守の老人と灯台で暮らすことになる。
母娘の住んでいた家も、 娘の行き先を「張り紙」で募るのも、 いろいろと「あり得ない」不思議さで、 これは何か寓話的なファンタジーかしらと思って読んでいると、、、
少女が暮らすことになる灯台は、1828年に建てられたもので、 設計者はロバート・スティーヴンソン、 『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』を書いたRLスティーヴンソンの祖父、、 という記述が出てきて、 おとぎ話が一気に現実の歴史と咬み合って、 突然あのスティーヴンソンの痩せた肖像とか、19世紀のスコットランドの辺境の船宿とか、 現実感が急に増して (本当にあったお話なの?) と考えてしまう。
灯台で暮らすことになった少女は、 灯台守の老人からたくさんの物語を聞きながら育っていく。 100年以上にわたる物語。
***
しかしやがて、、 時代の流れとともに 灯台を去らなければならなくなった少女。 ひとりで生きていかなければならなくなった少女。
そこから先の彼女=シルバーが、 (唐突な喩えだけど…)なんだか私には 映画『ドラゴン・タトゥーの女』のリスベットみたいに思えて、、。 ああいう事件と関わるとかではなくて、 彼女の孤独とか、 人とのかかわり方とか、 求めているものとか、、 そのぎこちなさ、 せつなさ。
そう思いながら全部を読み終えて、 「あとがき」で作者ジャネット・ウィンターソンの背景を読んだら やはり、、という思いでした。 孤独で、 困難な子供時代を送らなければならなかったこと。
そういう自らが背負った過去の重さを 「物語る」くだりは、 正直であり、 切実であり、 とても心に迫るものがある一方で、 「物語る」ことで自分を支え、自分が自分であり続けるために「物語」を書いている限りは、 その自分を重ねた部分だけがやっぱりそこだけ浮いたみたいになってしまう。 すごく力のある物語だけど、 そこだけ物語の向こうに作者の姿が透けてしまう。 難しいな、、と思いました。
***
でも、 すごくいい表現にはっとさせられるところが一杯でした。 まるで箴言集のような。。
いちばん好きなのは・・・
「お話して、 ピュー。
どんな話だね?
ハッピー・エンドの話がいいな。
そんなものは、 この世のどこにもありはせん。
ハッピー・エンドが?
おしまい(エンド)がさ。」
灯台守ピューの語る物語をちゃんと味わうには、 R・L・スティーヴンソンの作品(ジキル・・・)はちょっと読んでおいたほうがいいかも。。 お話の中で、 スティーヴンソンがこの灯台を訪れたことになっているんだけど、、 本当なのかな? たくさん旅はした人のようだけど、 この最果ての地まで行ったのかな…
スティーヴンソン、、 また読んでみよう。
R・L・スティーヴンソンに関する過去ログ>> さらに>>
***
ところで、、 この物語のモデルになった灯台が、 スコットランドに本当にあるのですって。。。 ケープ・ラスをgoogleマップで探す、、、
うわぁ ほんとうにスコットランドの一番北の果てだ。。。 まわりには都市や鉄道も見当たらない、、
どんな極寒の地かと思ったけれど、 こんなに美しい場所でした。 もちろんこれは夏の間、、ね。
http://www.capewrath.org.uk/index.htm
↑このサイトに載っているカフェ、、 すご~く行ってみたい!!
スコットやアムンゼンが南極点に行ったのが 1912年のこと、
「スコット大佐が南極をめざしたのは、もう他に探検する場所が残っていなかったからだと、本の序文には書いてあった。・・(略)・・ 一九六九年に人類が月に行くなんて、誰も想像すらしなかった時代だ」
、、と先日読んだ本に書いてあって、 なるほどと思いました。 南極探検から57年後には人は月の上を歩いてちゃんと帰ってきました。 想像もできないことが50年くらいで可能になるなら、 いずれ火星に移住するのだってあり得ないことじゃないのかもしれません。。。
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先に引用した本は、 『灯台守の話』(ジャネット・ウィンターソン著/岸本佐知子訳 白水社)
でも、 南極や月探検の話ではありません。 スコットランドの北の涯ての海辺に 母と住む少女の話。
「二人の家は崖っぷちに斜めに突き刺さるようにして建っているため、母娘はつねに命綱でしっかり体を結び合っている」(あとがきより)
、、というちょっと「あり得ない」ような家が 物語の始まり。 、、しかしある日、 母を失い孤児になってしまった少女(と犬)は、 養い手を探す張り紙を町に貼り出され、 応募してきた灯台守の老人と灯台で暮らすことになる。
母娘の住んでいた家も、 娘の行き先を「張り紙」で募るのも、 いろいろと「あり得ない」不思議さで、 これは何か寓話的なファンタジーかしらと思って読んでいると、、、
少女が暮らすことになる灯台は、1828年に建てられたもので、 設計者はロバート・スティーヴンソン、 『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』を書いたRLスティーヴンソンの祖父、、 という記述が出てきて、 おとぎ話が一気に現実の歴史と咬み合って、 突然あのスティーヴンソンの痩せた肖像とか、19世紀のスコットランドの辺境の船宿とか、 現実感が急に増して (本当にあったお話なの?) と考えてしまう。
灯台で暮らすことになった少女は、 灯台守の老人からたくさんの物語を聞きながら育っていく。 100年以上にわたる物語。
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しかしやがて、、 時代の流れとともに 灯台を去らなければならなくなった少女。 ひとりで生きていかなければならなくなった少女。
そこから先の彼女=シルバーが、 (唐突な喩えだけど…)なんだか私には 映画『ドラゴン・タトゥーの女』のリスベットみたいに思えて、、。 ああいう事件と関わるとかではなくて、 彼女の孤独とか、 人とのかかわり方とか、 求めているものとか、、 そのぎこちなさ、 せつなさ。
そう思いながら全部を読み終えて、 「あとがき」で作者ジャネット・ウィンターソンの背景を読んだら やはり、、という思いでした。 孤独で、 困難な子供時代を送らなければならなかったこと。
そういう自らが背負った過去の重さを 「物語る」くだりは、 正直であり、 切実であり、 とても心に迫るものがある一方で、 「物語る」ことで自分を支え、自分が自分であり続けるために「物語」を書いている限りは、 その自分を重ねた部分だけがやっぱりそこだけ浮いたみたいになってしまう。 すごく力のある物語だけど、 そこだけ物語の向こうに作者の姿が透けてしまう。 難しいな、、と思いました。
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でも、 すごくいい表現にはっとさせられるところが一杯でした。 まるで箴言集のような。。
いちばん好きなのは・・・
「お話して、 ピュー。
どんな話だね?
ハッピー・エンドの話がいいな。
そんなものは、 この世のどこにもありはせん。
ハッピー・エンドが?
おしまい(エンド)がさ。」
灯台守ピューの語る物語をちゃんと味わうには、 R・L・スティーヴンソンの作品(ジキル・・・)はちょっと読んでおいたほうがいいかも。。 お話の中で、 スティーヴンソンがこの灯台を訪れたことになっているんだけど、、 本当なのかな? たくさん旅はした人のようだけど、 この最果ての地まで行ったのかな…
スティーヴンソン、、 また読んでみよう。
R・L・スティーヴンソンに関する過去ログ>> さらに>>
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ところで、、 この物語のモデルになった灯台が、 スコットランドに本当にあるのですって。。。 ケープ・ラスをgoogleマップで探す、、、
うわぁ ほんとうにスコットランドの一番北の果てだ。。。 まわりには都市や鉄道も見当たらない、、
どんな極寒の地かと思ったけれど、 こんなに美しい場所でした。 もちろんこれは夏の間、、ね。
http://www.capewrath.org.uk/index.htm
↑このサイトに載っているカフェ、、 すご~く行ってみたい!!