『吾輩は猫である』読書中に、R・L・スティーヴンソンの名が文中に出てきたり、 『新・アラビア夜話』中の「自殺クラブ」の話が出てきたりしました…
漱石がスティーヴンソンの作品を好んでいたことは知ってはいたのですが、
『彼岸過迄』に書かれているような、「新・アラビア夜話」や「ジキルとハイド」の如き都市の暗部に潜んだ謎めいた事件を覗いてみたいという欲望… そういう19世紀のロンドンを描いたスティーヴンソンの作品のことばかり今まで頭にあったので、
漱石が倫敦留学中に、 スティーヴンスンの青少年向けのいわゆる「冒険小説」に読み耽っていたと知って、、 ちょっとそれは面白いな、、と思って、、
こちらに書いてありました↓
「夏目漱石、ロンドンの下宿部屋にとじこもり、スティーブンソンの小説を読みふける」【日めくり漱石/4月5日】(サライ)
https://serai.jp/hobby/49791
1901年の4月、というのは 漱石がロンドンに到着して半年余り、、 まだクレイグ先生のところに通って個人授業を受けたり、 劇場で観劇したり、 子規に倫敦消息を書き送ったり、、と のちに心配されたように「下宿に閉じ籠り」という、神経衰弱と言われた時期にはまだ至らない頃のこと。 このころの日記は毎日つけられていて、 古本屋へ行ったとか、どこそこへ行ったとか、読んだ本も漱石が好みの文学作品の名が見られる。 わりとのんびりした精神状態の時期。
そんな時期に、スティーヴンソンの『誘拐されて』(原題 'Kidnapped', 1886)を 日がな一日読み耽っていたのです。 実際、読み耽るもの無理はないと思えるお話なんですよ、 スコットランドの海から、ハイランドの荒れ野へ、 山あり谷あり、波乱に富んだ冒険歴史小説なのだから、 それを倫敦の狭い下宿に一人籠って、 夢中で読んでいる漱石先生が 何を想いながらだったのかしらと、想像するのもちょっと面白い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/c9/c7768c967e085021fbebf395c19c9749.jpg)
写真はもちろんスコットランドではありませんが、 ハイランド地方を少しイメージして…
雨と、寒さと、岩山と、、 ヒースの茂みしかない、、 そんなハイランド。
で、『さらわれたデービッド』ですが、、
たった一人の身内の父が死に、 相続のことで叔父を訪ねて旅立ったデービッド、、 しかし叔父に騙されて、 アメリカ行きの船に乗せられ、ゆくゆくは奴隷として新大陸で売り飛ばされそうな運命に…
船の上での戦闘があり、、 そのあと嵐の難破があり、、 孤島に打ち上げられてスコットランド高地地方の放浪が始まる。 背景には「ジャコバイトの反乱運動」などの政治的対立があって、その辺の歴史がなかなか頭に入らなくて、 これを日本の青少年が読むのはしんどいのではないかしら…と思うのだけど、、(別に漱石先生なら難しくはないでしょうが) 、、そのジャコバイトの残党、今では賞金をかけられたお尋ね者になっているアランと連れ立っての逃亡劇がはじまる、、 このあたりはまるで 「ブッチとサンダンス」。。
でも、、
そういったハラハラドキドキの冒険、という要素以外に、 漱石との関連で注目されるのは、 主人公の身の上でしょうね。 肉親を亡くし、その相続において叔父に金を騙し取られる、、 『こころ』の先生の身の上と同じ設定、 そして漱石自身が、生まれてすぐ養子に出され、 元の家の兄達が相次いで亡くなるとまた復籍させられ、 後々まで養父に対する金の支払いを要求される、、 そういう自分自身の身の上。。 『虞美人草』にも『坊っちゃん』にも、『三四郎』にも、《相続》《金》の問題はひっそりと翳を落としています。
遠い倫敦という異国にいる自分と、 身内に売り飛ばされスコットランド高地を彷徨わなければならなくなった主人公の身の上と、 きっとどこか重ね合わせていた部分があったのでは…
漱石の日記のつづきを読むと、 『さらわれたデービッド 'Kidnapped'』のことを書いた4月5日の、わずか10日後の日記に、 その続編である 'Catriona'(1893) のタイトルが書かれている。 すぐに続編も読み終えた、ということがわかる。
ちなみにその続編のタイトル 「カトリオナ」は、 さらわれたデービッドのデービッドがやがて巡り会い結婚する女性の名だということです、、。 漱石先生がなぜすぐに続編を読んだか、、 わかるような気もする。。 こちらの本もいずれ読んでみなくては…ね。 です
漱石先生が倫敦留学の間の4月のひととき、、 スティーヴンソンの冒険小説、 恋愛小説に独り読み耽って何を思っていらしたのかと、、 漱石の夢の女性、 永遠の女性像、、というものを考えるうえでも 何かしらのヒントになりはしないかと、、 そんな気もしています。
***
漱石先生を別としても、 スティーヴンスン自身が 大西洋から南洋の島々へ、 命がけの大変な冒険と大恋愛に身を投じたロマンの人ですものね。。
しばらくの間、、 スティーヴンスン作品を少しまとめて読んでみようかと、、 読書の秋に、、
金木犀の香がせつなく漂う季節に、、
そんなことを想っております。。
漱石がスティーヴンソンの作品を好んでいたことは知ってはいたのですが、
『彼岸過迄』に書かれているような、「新・アラビア夜話」や「ジキルとハイド」の如き都市の暗部に潜んだ謎めいた事件を覗いてみたいという欲望… そういう19世紀のロンドンを描いたスティーヴンソンの作品のことばかり今まで頭にあったので、
漱石が倫敦留学中に、 スティーヴンスンの青少年向けのいわゆる「冒険小説」に読み耽っていたと知って、、 ちょっとそれは面白いな、、と思って、、
こちらに書いてありました↓
「夏目漱石、ロンドンの下宿部屋にとじこもり、スティーブンソンの小説を読みふける」【日めくり漱石/4月5日】(サライ)
https://serai.jp/hobby/49791
1901年の4月、というのは 漱石がロンドンに到着して半年余り、、 まだクレイグ先生のところに通って個人授業を受けたり、 劇場で観劇したり、 子規に倫敦消息を書き送ったり、、と のちに心配されたように「下宿に閉じ籠り」という、神経衰弱と言われた時期にはまだ至らない頃のこと。 このころの日記は毎日つけられていて、 古本屋へ行ったとか、どこそこへ行ったとか、読んだ本も漱石が好みの文学作品の名が見られる。 わりとのんびりした精神状態の時期。
そんな時期に、スティーヴンソンの『誘拐されて』(原題 'Kidnapped', 1886)を 日がな一日読み耽っていたのです。 実際、読み耽るもの無理はないと思えるお話なんですよ、 スコットランドの海から、ハイランドの荒れ野へ、 山あり谷あり、波乱に富んだ冒険歴史小説なのだから、 それを倫敦の狭い下宿に一人籠って、 夢中で読んでいる漱石先生が 何を想いながらだったのかしらと、想像するのもちょっと面白い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/c9/c7768c967e085021fbebf395c19c9749.jpg)
写真はもちろんスコットランドではありませんが、 ハイランド地方を少しイメージして…
雨と、寒さと、岩山と、、 ヒースの茂みしかない、、 そんなハイランド。
で、『さらわれたデービッド』ですが、、
たった一人の身内の父が死に、 相続のことで叔父を訪ねて旅立ったデービッド、、 しかし叔父に騙されて、 アメリカ行きの船に乗せられ、ゆくゆくは奴隷として新大陸で売り飛ばされそうな運命に…
船の上での戦闘があり、、 そのあと嵐の難破があり、、 孤島に打ち上げられてスコットランド高地地方の放浪が始まる。 背景には「ジャコバイトの反乱運動」などの政治的対立があって、その辺の歴史がなかなか頭に入らなくて、 これを日本の青少年が読むのはしんどいのではないかしら…と思うのだけど、、(別に漱石先生なら難しくはないでしょうが) 、、そのジャコバイトの残党、今では賞金をかけられたお尋ね者になっているアランと連れ立っての逃亡劇がはじまる、、 このあたりはまるで 「ブッチとサンダンス」。。
でも、、
そういったハラハラドキドキの冒険、という要素以外に、 漱石との関連で注目されるのは、 主人公の身の上でしょうね。 肉親を亡くし、その相続において叔父に金を騙し取られる、、 『こころ』の先生の身の上と同じ設定、 そして漱石自身が、生まれてすぐ養子に出され、 元の家の兄達が相次いで亡くなるとまた復籍させられ、 後々まで養父に対する金の支払いを要求される、、 そういう自分自身の身の上。。 『虞美人草』にも『坊っちゃん』にも、『三四郎』にも、《相続》《金》の問題はひっそりと翳を落としています。
遠い倫敦という異国にいる自分と、 身内に売り飛ばされスコットランド高地を彷徨わなければならなくなった主人公の身の上と、 きっとどこか重ね合わせていた部分があったのでは…
漱石の日記のつづきを読むと、 『さらわれたデービッド 'Kidnapped'』のことを書いた4月5日の、わずか10日後の日記に、 その続編である 'Catriona'(1893) のタイトルが書かれている。 すぐに続編も読み終えた、ということがわかる。
ちなみにその続編のタイトル 「カトリオナ」は、 さらわれたデービッドのデービッドがやがて巡り会い結婚する女性の名だということです、、。 漱石先生がなぜすぐに続編を読んだか、、 わかるような気もする。。 こちらの本もいずれ読んでみなくては…ね。 です
漱石先生が倫敦留学の間の4月のひととき、、 スティーヴンソンの冒険小説、 恋愛小説に独り読み耽って何を思っていらしたのかと、、 漱石の夢の女性、 永遠の女性像、、というものを考えるうえでも 何かしらのヒントになりはしないかと、、 そんな気もしています。
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漱石先生を別としても、 スティーヴンスン自身が 大西洋から南洋の島々へ、 命がけの大変な冒険と大恋愛に身を投じたロマンの人ですものね。。
しばらくの間、、 スティーヴンスン作品を少しまとめて読んでみようかと、、 読書の秋に、、
金木犀の香がせつなく漂う季節に、、
そんなことを想っております。。