この本に行き着いたのは、 先月 マイケル・オンダーチェの『ディビザデロ通り』を読んでいたからです(>>)
あのとき引用した
孤児の歴史感覚をもつ人間は歴史が好きになる。
…(略)… なぜなら歴史を掠奪しないかぎり、不在がわたしたちを糧にして生き残ってしまうからだ。
、、この《不在》という感覚、、 それがいつまでも自分の中に〈欠落〉とか〈不安〉として生き残る、、 しかし一方でそれらは 永遠の〈希求〉や〈憧れ〉にもつながっているのかもしれない… と。 history は story 、、 わたしたちが物語をもとめつづける理由にも つながっているから、、
***
そんな繋がりを内心感じつつ、 でも本当はこんなにも重く、難解な、いろんな事を考えさせられる小説だとは思いませんでした、、年末だから 忙しい日々でも傍らで読んでいけるミステリ小説(エンターテインメント小説)にしようと軽い気持ちでピックアップした中の一冊でした。
エーリク・ヴァレア著『7人目の子』 長谷川圭 訳、ハヤカワミステリ文庫 2014年 >>Amazon
早くも絶版だとは残念です。 決して楽しくすいすい読める本ではないし、 (殺人は起きますが)殺人犯が誰か、刑事や探偵が追う話でもないですが、 北欧ミステリ界の《ガラスの鍵賞》受賞作。 この作品の〈何〉が北欧の読書人の心をとらえたのでしょう、、
読後にあらためて考えてみると この小説の社会性とか現代性が見えてくるのかも… と今思っています。
***
物語の始まりは 上のAmazon の内容紹介を読んで頂ければ良いかと思います。
60年代のクリスマスに撮られた7人の幼子が写った写真。 とんがり帽をかぶったあどけない幼児たち。 《新年に新しいおうちが見つかるのを楽しみにしています》という文字。 デンマークのとある児童養護施設で写された写真… その子たちは養子縁組を待っている子供たちでした。
この写真を同封した匿名の手紙が 40年経ったある日、デンマークの国務省に届く。 他に入っていたのは赤ちゃんの靴下と、 養子縁組申請書。 書かれていた名前は「ヨーン・ビエグストラン」
一方で、 浜辺で身元不明の女性の遺体が見つかる。 女性の周囲にちらばった謎めいた「本」「ロープ」「木」「カナリアの死体」、、 しかし その日は海の向こうアメリカで9・11のテロが起きた日。 報道はテロ一色となり女性の死亡は事故として忘れられた…
、、 ここまでの導入部なら、 犯人捜しの推理小説がここから始まるんだな、と思って読むのですけど…
国務省に届いた40年前の養護施設の写真が、 国務大臣を始め、 政府を揺るがすようなどんな重要性があるのか…? 読んでいくうちに、 同じ写真が他の人へも送り付けられていたことがわかってきます… その意味は…?
写真に写っていた7人の子供たち(60年代生まれ)、今は40代になっている大人たちの、 その一人一人とは一体〈誰〉なのか、 彼らは養子として引きとられていったのか、 どんな生活を送ったのか。。 養護施設、 国務省、 かつての養子たち、、 ヨーンとは誰か、 そして殺人事件、、それらがどうつながるのか…
***
巻末の解説のなかに、 著者の言葉が紹介されていますが、、 デンマークでは養子縁組が盛んで、 誰でも身近に養子になった人や養子を育てている人を知っているほど当たり前のことなのだそうです。 それは福祉国家で子育て環境や制度が整っているからなのか、 それとも子供を社会的にとても大切にする国民性のようなものがあるのか、、 それについては書かれていなくてよくわかりません。
でも、 小説の中で、 身寄りのない一人の難民の少年を入国させるか国に送り返すか、 それが メディアと政府と国民全体の大問題として取り上げられ、 その対処で政権支持率が左右されるとまで書かれているので、 《子供》に対する国民感情には(宗教的なのか道徳的なものかわかりませんが) とてもセンシティブな感情があるのかもしれません。 アンデルセンを生んだ国、ですから。
小説中にも、 とても重要な部分でアンデルセンの作品が出てきます。 「パンをふんだ娘」(Wiki>>
私、、 この童話を知りませんでした。 あらすじは小説中にも書かれていますが、 上のウィキで内容を読んでも この童話の意味するところを理解するのは難しいですし、 その「パンをふんだ娘」に言及して著者がその部分で何を言わんとしているのかも、すごくすごく難しいです。
『7人目の子』に登場する かつての写真の幼子たちは40代になっています。 写真が国務省に送り付けられたことをきっかけに、 彼らのそれぞれの過去も描かれていきます、、 が、そこには何とも言えない特異な《暗部》が存在します。 自分が養子であることを知らずに育った子も、 ある時期に打ち明けられた子も、、 それぞれが強烈な孤立感とか、 親と子の違和感とか、 人間関係の屈折とか、 読んでいて息苦しくなるような闇を抱えている…
それは何故なのか、、 ここには作者のなにか〈偏見〉が無いだろうか… 養子、だからではなく、 実の両親が揃っていても顧みられずに淋しい想いをする子もいるだろうし… 養子であっても愛情に恵まれる子もいるはず…
、、 でも わからない。。 ほんとうのところはわからない、、 当事者ではないから
著者は物語の中で、 たとえ養子であることを隠しても必ず子供は知るのだ、という。 自分とほかの子との〈差異〉を確実に感じとるのだ、と。
、、 そう書かれていることや、 子供時代の彼らの特殊な闇の記述に、 作者の意図がわからなくなってしまい、、 つい先に解説を読んでしまいました。 作者自身も養護施設にいた事が書かれていました。 この小説のなかの子供たちの深い闇は、 作者自身が幼少期に味わったものなのでしょうか…
作者自身が背負ったトラウマが語られているとして、 それを〈偏見〉とみていいかわからないし、 体験に基づくから真実といえるのかもわからない。 でも この子供たちの複雑な精神状態や、 親と子の会話や、 子ども同士の関係性、、 傷をえぐるような記述は作者の経歴がなければ書けなかっただろうと思える、ずっしりと迫ってくるものでした。
***
たぶん作者は どの子供の〈過去〉も〈特異性〉も おろそかにしたくなかったのかもしれません。 最初に 『ディビザデロ通り』の引用をしましたが、 自分の断ち切られた過去の〈洞穴〉、、血脈の〈不在〉が生き残り そのぽっかりと開いた〈洞穴〉に呑み込まれてしまわないように、 ひとりひとりの〈歴史〉をきちんと語らなければ、と。。
彼らが養護施設に預けられ、養子として新しい人生を歩むことになった〈原因〉をも含めて、 彼らは誰ひとり、養子、孤児、という一括りの存在ではないのだという作者の強烈な葛藤がこの物語を書かせたのかなと考えもしました。
この 40年前の子供たちのそれぞれの〈過去〉と 現在の政府高官の過去の陰謀が絡み、謎が解き明かされていく過程には、 先にちらっと書いた難民受け入れの問題や、 国民の反応とメディアの役割と政府の操作、 さらには、外国人を受け入れる代わりの少子化対策として妊娠中絶を禁止せよ、などという政府案まで出てきます。
そして、 何度か書かれるのが「デンマーク人は~を好む」 とか「デンマークは~こういう国」という記述。。 だから本国でこれを読む人は、お話のなかの問題としてではなく、 実際に幸福の国といわれ 福祉国家で養子縁組もさかんなデンマークの社会で子供を育てるということや、 親と子のあり方… これらのテーマが身近なもので 深く考えさせられる重要なテーマなのかも。 日本人が考える以上に…
この小説で作者が丹念に描く、 非常に重苦しく難解な孤児たちの深い闇の物語は、 それが孤児や養子の実態なのかどうかはともかく、 ひとりひとりの子供の〈幸せ〉の問題として 他人事ではないテーマなのかも、、 それだからこその「ガラスの鍵賞」なのかも… と、、 まだ解ったとは言えないけれども そう思うに至りました。
話は少し逸れますが…
もうすぐ 東京都美術館で 『ハマスホイとデンマーク絵画』という美術展が開かれます。 そのサイトに、 デンマークの独特の文化として 《ヒュゲ》という言葉が説明されています⤵
https://artexhibition.jp/denmark2020/
家庭のくつろぎや家族のつながりをたいせつにする文化、、 そこから生まれる国民感情、、 そのようなものもこの小説には関係しているのかもしれないな、、などと…
ハンマースホイは好きな画家ですし、 この美術展にはぜひ行ってまた考えてみようと思っています。
***
話をもどして
、、 私自身は〈血縁〉とか〈血族〉が生涯を支配するほど最も強いものだとは思っていないし、 むしろ 血のつながっていない他人との出会いによって そこから人間同士としての家族をいかに築いていけるのか、 が自分にとっての生きる課題と思っているので
40代を過ぎたかつての孤児たちのそれぞれの最後の場面を、 もう一度 ぜんぶの物語が終わった後で 彼らはどこへ行き着いたのか、 それをもう一度読み返したいと思っています。 殺人者は誰だったのか、がこの小説でだいじな部分では無くて、 あの写真の幼子たちがどんな成長過程を経て、 どんな大人になったのか、、 彼らはこの〈事件〉のあとで〈幸せ〉を見つけられたのか、、 それを考えてみたいから…
最初に、、
自分の中にある〈欠落〉とか〈不安〉が 永遠の〈希求〉や〈憧れ〉につながっているのかもしれない… と書きました。
あの物語の養護施設にいた子供たちのなかで、 〈どこにも貰われて行かなかった子供〉がひとりいます。。 その子が感じる〈憧れ〉についての記述が… とても とても せつなかったです。。
どんなに希んでも 手に入れられないものは、、 あるから。
完訳の アンデルセン 「パンをふんだ娘」、、 今度 読んでみようと思います。
(お友だちに貰った可愛らしいクリスマス柄の干菓子。 星のかけらみたい…)
、、 よき聖夜を 、、
あのとき引用した
孤児の歴史感覚をもつ人間は歴史が好きになる。
…(略)… なぜなら歴史を掠奪しないかぎり、不在がわたしたちを糧にして生き残ってしまうからだ。
、、この《不在》という感覚、、 それがいつまでも自分の中に〈欠落〉とか〈不安〉として生き残る、、 しかし一方でそれらは 永遠の〈希求〉や〈憧れ〉にもつながっているのかもしれない… と。 history は story 、、 わたしたちが物語をもとめつづける理由にも つながっているから、、
***
そんな繋がりを内心感じつつ、 でも本当はこんなにも重く、難解な、いろんな事を考えさせられる小説だとは思いませんでした、、年末だから 忙しい日々でも傍らで読んでいけるミステリ小説(エンターテインメント小説)にしようと軽い気持ちでピックアップした中の一冊でした。
エーリク・ヴァレア著『7人目の子』 長谷川圭 訳、ハヤカワミステリ文庫 2014年 >>Amazon
早くも絶版だとは残念です。 決して楽しくすいすい読める本ではないし、 (殺人は起きますが)殺人犯が誰か、刑事や探偵が追う話でもないですが、 北欧ミステリ界の《ガラスの鍵賞》受賞作。 この作品の〈何〉が北欧の読書人の心をとらえたのでしょう、、
読後にあらためて考えてみると この小説の社会性とか現代性が見えてくるのかも… と今思っています。
***
物語の始まりは 上のAmazon の内容紹介を読んで頂ければ良いかと思います。
60年代のクリスマスに撮られた7人の幼子が写った写真。 とんがり帽をかぶったあどけない幼児たち。 《新年に新しいおうちが見つかるのを楽しみにしています》という文字。 デンマークのとある児童養護施設で写された写真… その子たちは養子縁組を待っている子供たちでした。
この写真を同封した匿名の手紙が 40年経ったある日、デンマークの国務省に届く。 他に入っていたのは赤ちゃんの靴下と、 養子縁組申請書。 書かれていた名前は「ヨーン・ビエグストラン」
一方で、 浜辺で身元不明の女性の遺体が見つかる。 女性の周囲にちらばった謎めいた「本」「ロープ」「木」「カナリアの死体」、、 しかし その日は海の向こうアメリカで9・11のテロが起きた日。 報道はテロ一色となり女性の死亡は事故として忘れられた…
、、 ここまでの導入部なら、 犯人捜しの推理小説がここから始まるんだな、と思って読むのですけど…
国務省に届いた40年前の養護施設の写真が、 国務大臣を始め、 政府を揺るがすようなどんな重要性があるのか…? 読んでいくうちに、 同じ写真が他の人へも送り付けられていたことがわかってきます… その意味は…?
写真に写っていた7人の子供たち(60年代生まれ)、今は40代になっている大人たちの、 その一人一人とは一体〈誰〉なのか、 彼らは養子として引きとられていったのか、 どんな生活を送ったのか。。 養護施設、 国務省、 かつての養子たち、、 ヨーンとは誰か、 そして殺人事件、、それらがどうつながるのか…
***
巻末の解説のなかに、 著者の言葉が紹介されていますが、、 デンマークでは養子縁組が盛んで、 誰でも身近に養子になった人や養子を育てている人を知っているほど当たり前のことなのだそうです。 それは福祉国家で子育て環境や制度が整っているからなのか、 それとも子供を社会的にとても大切にする国民性のようなものがあるのか、、 それについては書かれていなくてよくわかりません。
でも、 小説の中で、 身寄りのない一人の難民の少年を入国させるか国に送り返すか、 それが メディアと政府と国民全体の大問題として取り上げられ、 その対処で政権支持率が左右されるとまで書かれているので、 《子供》に対する国民感情には(宗教的なのか道徳的なものかわかりませんが) とてもセンシティブな感情があるのかもしれません。 アンデルセンを生んだ国、ですから。
小説中にも、 とても重要な部分でアンデルセンの作品が出てきます。 「パンをふんだ娘」(Wiki>>
私、、 この童話を知りませんでした。 あらすじは小説中にも書かれていますが、 上のウィキで内容を読んでも この童話の意味するところを理解するのは難しいですし、 その「パンをふんだ娘」に言及して著者がその部分で何を言わんとしているのかも、すごくすごく難しいです。
『7人目の子』に登場する かつての写真の幼子たちは40代になっています。 写真が国務省に送り付けられたことをきっかけに、 彼らのそれぞれの過去も描かれていきます、、 が、そこには何とも言えない特異な《暗部》が存在します。 自分が養子であることを知らずに育った子も、 ある時期に打ち明けられた子も、、 それぞれが強烈な孤立感とか、 親と子の違和感とか、 人間関係の屈折とか、 読んでいて息苦しくなるような闇を抱えている…
それは何故なのか、、 ここには作者のなにか〈偏見〉が無いだろうか… 養子、だからではなく、 実の両親が揃っていても顧みられずに淋しい想いをする子もいるだろうし… 養子であっても愛情に恵まれる子もいるはず…
、、 でも わからない。。 ほんとうのところはわからない、、 当事者ではないから
著者は物語の中で、 たとえ養子であることを隠しても必ず子供は知るのだ、という。 自分とほかの子との〈差異〉を確実に感じとるのだ、と。
、、 そう書かれていることや、 子供時代の彼らの特殊な闇の記述に、 作者の意図がわからなくなってしまい、、 つい先に解説を読んでしまいました。 作者自身も養護施設にいた事が書かれていました。 この小説のなかの子供たちの深い闇は、 作者自身が幼少期に味わったものなのでしょうか…
作者自身が背負ったトラウマが語られているとして、 それを〈偏見〉とみていいかわからないし、 体験に基づくから真実といえるのかもわからない。 でも この子供たちの複雑な精神状態や、 親と子の会話や、 子ども同士の関係性、、 傷をえぐるような記述は作者の経歴がなければ書けなかっただろうと思える、ずっしりと迫ってくるものでした。
***
たぶん作者は どの子供の〈過去〉も〈特異性〉も おろそかにしたくなかったのかもしれません。 最初に 『ディビザデロ通り』の引用をしましたが、 自分の断ち切られた過去の〈洞穴〉、、血脈の〈不在〉が生き残り そのぽっかりと開いた〈洞穴〉に呑み込まれてしまわないように、 ひとりひとりの〈歴史〉をきちんと語らなければ、と。。
彼らが養護施設に預けられ、養子として新しい人生を歩むことになった〈原因〉をも含めて、 彼らは誰ひとり、養子、孤児、という一括りの存在ではないのだという作者の強烈な葛藤がこの物語を書かせたのかなと考えもしました。
この 40年前の子供たちのそれぞれの〈過去〉と 現在の政府高官の過去の陰謀が絡み、謎が解き明かされていく過程には、 先にちらっと書いた難民受け入れの問題や、 国民の反応とメディアの役割と政府の操作、 さらには、外国人を受け入れる代わりの少子化対策として妊娠中絶を禁止せよ、などという政府案まで出てきます。
そして、 何度か書かれるのが「デンマーク人は~を好む」 とか「デンマークは~こういう国」という記述。。 だから本国でこれを読む人は、お話のなかの問題としてではなく、 実際に幸福の国といわれ 福祉国家で養子縁組もさかんなデンマークの社会で子供を育てるということや、 親と子のあり方… これらのテーマが身近なもので 深く考えさせられる重要なテーマなのかも。 日本人が考える以上に…
この小説で作者が丹念に描く、 非常に重苦しく難解な孤児たちの深い闇の物語は、 それが孤児や養子の実態なのかどうかはともかく、 ひとりひとりの子供の〈幸せ〉の問題として 他人事ではないテーマなのかも、、 それだからこその「ガラスの鍵賞」なのかも… と、、 まだ解ったとは言えないけれども そう思うに至りました。
話は少し逸れますが…
もうすぐ 東京都美術館で 『ハマスホイとデンマーク絵画』という美術展が開かれます。 そのサイトに、 デンマークの独特の文化として 《ヒュゲ》という言葉が説明されています⤵
https://artexhibition.jp/denmark2020/
家庭のくつろぎや家族のつながりをたいせつにする文化、、 そこから生まれる国民感情、、 そのようなものもこの小説には関係しているのかもしれないな、、などと…
ハンマースホイは好きな画家ですし、 この美術展にはぜひ行ってまた考えてみようと思っています。
***
話をもどして
、、 私自身は〈血縁〉とか〈血族〉が生涯を支配するほど最も強いものだとは思っていないし、 むしろ 血のつながっていない他人との出会いによって そこから人間同士としての家族をいかに築いていけるのか、 が自分にとっての生きる課題と思っているので
40代を過ぎたかつての孤児たちのそれぞれの最後の場面を、 もう一度 ぜんぶの物語が終わった後で 彼らはどこへ行き着いたのか、 それをもう一度読み返したいと思っています。 殺人者は誰だったのか、がこの小説でだいじな部分では無くて、 あの写真の幼子たちがどんな成長過程を経て、 どんな大人になったのか、、 彼らはこの〈事件〉のあとで〈幸せ〉を見つけられたのか、、 それを考えてみたいから…
最初に、、
自分の中にある〈欠落〉とか〈不安〉が 永遠の〈希求〉や〈憧れ〉につながっているのかもしれない… と書きました。
あの物語の養護施設にいた子供たちのなかで、 〈どこにも貰われて行かなかった子供〉がひとりいます。。 その子が感じる〈憧れ〉についての記述が… とても とても せつなかったです。。
どんなに希んでも 手に入れられないものは、、 あるから。
完訳の アンデルセン 「パンをふんだ娘」、、 今度 読んでみようと思います。
(お友だちに貰った可愛らしいクリスマス柄の干菓子。 星のかけらみたい…)
、、 よき聖夜を 、、