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この『冬の旅』は これまで凍りついた川や凍った窓の霜模様などを見てきたために、 厳寒の真冬の旅のように思ってきましたが、 晩秋… に近い冬なのですね。。 樹々にまだ色づいた葉が残っているとは…
旅人は 幾枚か残っている葉のなかから 一枚を選んで、 その葉に自分の《希い》を託します。
この第16曲は まさに気まぐれな風があちらこちらと木の葉をもてあそぶように、 音符も木の葉がランダムに震えるかのようにばらばらに聞こえ、 ピアノが震える木の葉だとしたら、 歌はそこへさらに不意をついて吹いてくる風のように (ピアノと無関係のように)強まったり弱まったりします。
ボストリッジさんも 「このありえないような音楽」… と書いています。
最初、、 「最後の希い」という題と、 木の葉に自分のねがいを託す、という詩を読んで、 どうしても O・ヘンリーの小説『最後の一葉』のイメージがまとわりついてしまい、、 その木の葉が落ちる時、 自分の命も絶えるのだろう… と旅人が考えているように想像してしまいました。
でも、、 この摩訶不思議なピアノと歌を何度か聴いて詩を読んでいるうちに、 最初思ったような 生死という自分の運命を木の葉に託しているのではなく、 旅人が 何枚かの葉のなかから一枚を選んで そこに《願をかける》ように想いを託して、、 それで風が葉をふるわすたびに 自分も精一杯の力をこめて一緒にからだをふるわせている… それは なんだか旅人がゲームをしているようで、 一枚の葉を必死にみつめながら 落ちないように念を送っているみたいで、、 その様子が可愛らしくも思えてきました。。
この章で ボストリッジさんも旅人の《希い》という点には殆んど触れず、 「確率論」とか「統計学」について論じています… (笑) 、、そうなのです、、 自分が選んだ木の葉がつぎに吹いてくる風で落ちるか落ちないかは、 旅人の運命が関わっているのでもなんでもなく 要は「確率」の問題なのですから…
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旅人が 一枚の木の葉に託した Letzte Hoffnung=最後の希望 って何なのでしょうか…
もしその葉が地面に落ちたら 自分の希望もついえる、、 と詩にはあります。 そして 希望の墓の前で泣き伏すのだ、、と。 歌はそこで終わっています。
…… 泣き伏した後は、、 どうするんだろう……
やっぱり、、 最後の希望とは 断ち切れない女性への想い、、 なのかしら…。 幾つかの葉の中から一枚を選んで 落ちるな、落ちるな、、と念じている様子は どこか花占いのようでもあります。 来る、来ない… 逢える、逢えない… と花びらをちぎっていく、、
だけど いつまで旅人は木の葉を見つめているつもりなのでしょう… 何時まで葉が風に耐えて残っていれば希望が叶うって決めたのでしょう…?
葉がもし地面に落ちたら その墓の前で泣き伏すのだ… と歌う旅人は、、 すごく すごく 穿った見方をすれば、、 願わくばそうやって泣き伏したいんじゃないかしら…
、、自分が願をかけた木の葉が落ちるのを目撃して、、 自分では諦めきれない想いを 風と木の葉の気まぐれにどうにかして欲しくて、、 ほんとうは 木の葉に落ちてもらいたい の…… かも?
きっと
もし木の葉が落ち ひとしきり地面に伏してわが身を憂いて泣いた後は、、 旅人はやっぱりまた立ち上がって歩き出すのでしょう。。 それしかないのだもの…
昨日の「カラス」も、、 じつはずっと付いてきて欲しかったのかもしれないし、、
立ち止まって じっと木の葉が風にふるえるのを見つめて まだあの人が自分を想ってくれているんじゃないか… あの人ももしかして自分を想ってふるえて泣いてるのじゃないか… そういう物思いにひたる時間が欲しかったのではないかしら……
淋しがり屋の 旅人さん。。
そんな気も してきました…