1982年、原作・脚本・監督 橋本忍。
「シベリア超特急」「北京原人」と並ぶトンデモ映画ないし底抜け超大作としてやたら面白おかしく語られた映画。東宝50周年記念作品でもある。
どれほどのものかなと思って見ると、初めのうちやたらえんえんと続くジョギングのバックに琵琶湖畔の四季の風景を取り入れた大作らしい構えで、これだったらもっとチンケな映画がいくらでもあるぞと思っているうちにだんだん冷酒のようにデンパが効いてくる。
本筋はヒロインがいつも一緒に琵琶湖畔をジョギングしていた犬が東京の日夏という作曲家に殺されたのでジョギングでまかして仇をとり、その後出刃包丁で刺し殺すというもの(書いていても意味がわからん)。
わざわざ東京に出てきてその日夏に会わせろと事務所に押しかけて要求し(その受付では日夏に妊娠させられたらしい女の子が人前で泣いている)、容れられないと包丁をカウンターの上にどんと置き(布で包んだままだから見えないというのも妙)、追い返されると「東京中の人間が日夏をかばおうとしている」と呟くあたり、完全に電波が入ってます。
余談だが、日夏という名前は「七人の侍」のネタ本である「本朝武芸小伝」の著者日夏繁高からとったものではないか。
ヒロインは最初の方で誰も吹いていない笛の音が聞こえて、しかもその相手と運命のめぐり合わせを感じてしまうのだから、大丈夫かと思う。
「西鶴一代女」ばりに居並ぶ石仏のうちのどれかに今まで出会った相手が似ているなんていうセリフがあったと思うと、いきなり外人のソープ嬢(実はアメリカの情報機関員!)が、空の轟音を聞いて「ファトムか。いやイーグルはもう実戦配備されている」と唐突に言い出すのだからたまらない。それが字幕で出てくるのが、またなんともいえない味わい。
この外人が「白い犬」「白い犬」「白い犬」「走る女」「走る女」「走る女」と繰り返しタイプしているあたり、なにやら「シャイニング」みたいでホラーです。
笛を吹く相手(隆大介)は、東京から琵琶湖までわざわざ笛を吹くためだけに来ているらしく、しかもその後アメリカに渡ってペースシャトルに乗り込み、宇宙で琵琶湖の上に笛を置く(意味わかります? でもその通りなんですよ)。
雄琴のトルコ(今ソープ)嬢、ジョギング、愛犬の敵討ち、人気作曲家、浅井長政の妹のお市の方と笛を吹く地侍のロマンス、スペースシャトル、といったどこをどうやると結びつくのかわからない要素がディテールのリアリティというかもっともらしさ無視でぶちこまれている。
もう少しもっともらしく言うと、こういう変さ、というのはここでいきなり出てきたわけではないと思う。
仇を刺した後ギャグみたいなタイミングでスペースシャトルが発射されるあたりの飛躍は「八つ墓村」の戦国時代の落武者が村に逃げ延びてきた情景からいきなり現代のジェット旅客機につないだオープニングと発想は近い。
あれも原作はオカルト風の道具立てはあっても事件そのものは合理的に説明されるのを、強引に本物のオカルトを持ち込んでおかしくしてましたからね。
最近の橋本の著書「複眼の映像」で、「影武者」「乱」に至るまでの黒澤明の共同脚本システムの崩壊を、崩壊にも一定の順序があると書かれているが、御当人にも同じことが言えるかも。
「八甲田山」でシナノ企画(創価学会系)と組んだからおかしくなったのではないかというまことしやかな噂あり(いや、ただの噂ですよ)。
本ホームページ
幻の湖 - goo 映画
「シベリア超特急」「北京原人」と並ぶトンデモ映画ないし底抜け超大作としてやたら面白おかしく語られた映画。東宝50周年記念作品でもある。
どれほどのものかなと思って見ると、初めのうちやたらえんえんと続くジョギングのバックに琵琶湖畔の四季の風景を取り入れた大作らしい構えで、これだったらもっとチンケな映画がいくらでもあるぞと思っているうちにだんだん冷酒のようにデンパが効いてくる。
本筋はヒロインがいつも一緒に琵琶湖畔をジョギングしていた犬が東京の日夏という作曲家に殺されたのでジョギングでまかして仇をとり、その後出刃包丁で刺し殺すというもの(書いていても意味がわからん)。
わざわざ東京に出てきてその日夏に会わせろと事務所に押しかけて要求し(その受付では日夏に妊娠させられたらしい女の子が人前で泣いている)、容れられないと包丁をカウンターの上にどんと置き(布で包んだままだから見えないというのも妙)、追い返されると「東京中の人間が日夏をかばおうとしている」と呟くあたり、完全に電波が入ってます。
余談だが、日夏という名前は「七人の侍」のネタ本である「本朝武芸小伝」の著者日夏繁高からとったものではないか。
ヒロインは最初の方で誰も吹いていない笛の音が聞こえて、しかもその相手と運命のめぐり合わせを感じてしまうのだから、大丈夫かと思う。
「西鶴一代女」ばりに居並ぶ石仏のうちのどれかに今まで出会った相手が似ているなんていうセリフがあったと思うと、いきなり外人のソープ嬢(実はアメリカの情報機関員!)が、空の轟音を聞いて「ファトムか。いやイーグルはもう実戦配備されている」と唐突に言い出すのだからたまらない。それが字幕で出てくるのが、またなんともいえない味わい。
この外人が「白い犬」「白い犬」「白い犬」「走る女」「走る女」「走る女」と繰り返しタイプしているあたり、なにやら「シャイニング」みたいでホラーです。
笛を吹く相手(隆大介)は、東京から琵琶湖までわざわざ笛を吹くためだけに来ているらしく、しかもその後アメリカに渡ってペースシャトルに乗り込み、宇宙で琵琶湖の上に笛を置く(意味わかります? でもその通りなんですよ)。
雄琴のトルコ(今ソープ)嬢、ジョギング、愛犬の敵討ち、人気作曲家、浅井長政の妹のお市の方と笛を吹く地侍のロマンス、スペースシャトル、といったどこをどうやると結びつくのかわからない要素がディテールのリアリティというかもっともらしさ無視でぶちこまれている。
もう少しもっともらしく言うと、こういう変さ、というのはここでいきなり出てきたわけではないと思う。
仇を刺した後ギャグみたいなタイミングでスペースシャトルが発射されるあたりの飛躍は「八つ墓村」の戦国時代の落武者が村に逃げ延びてきた情景からいきなり現代のジェット旅客機につないだオープニングと発想は近い。
あれも原作はオカルト風の道具立てはあっても事件そのものは合理的に説明されるのを、強引に本物のオカルトを持ち込んでおかしくしてましたからね。
最近の橋本の著書「複眼の映像」で、「影武者」「乱」に至るまでの黒澤明の共同脚本システムの崩壊を、崩壊にも一定の順序があると書かれているが、御当人にも同じことが言えるかも。
「八甲田山」でシナノ企画(創価学会系)と組んだからおかしくなったのではないかというまことしやかな噂あり(いや、ただの噂ですよ)。
本ホームページ
幻の湖 - goo 映画