ゴダールの「勝手にしやがれ」のリメーク、というなんだそりゃと言いたくなる予備知識しかなかったのだが、冒頭リチャード・ギアが車を走らせながらカセットテープを再生して聞くのがジェリー・リー・ルイスの「ブレスレス」。
製作・監督・脚本のジム・マクブライトはこの後ルイスの伝記映画「グレート・ボール・オブ・ファイアー」を撮っているわけで、ゴダールに限らず好きなものを集めるのに興味がいっていたのではないかと思える。
「勝手にしやがれ」の原題À bout de souffleが初め「息たえだえ」では映画のタイトルにならないので宣伝部であれこれ考えたがいい案が出ない、やけになった部員が「ええい、勝手にしやがれ」と言ったら「あ、それでいこう」というので決まったという伝説があるが、たまたまにせよ意味が同じなのです。(字幕では「息もできないぜ」と訳していた)
リメークの作者としてはあるいは曲名からの連想でルイスの曲に引きつけることでアメリカ化あるいは先祖がえりさせるとっかかりとしたかったのかもしれない。
舞台をロスにしてあちこちにあるオールド・ハリウッドをモチーフにした壁画や広告を頻繁に画面に入れたり、鈴木清順の「野獣の青春」ばりに上映中の映画館のスクリーンの裏でラブシーンを展開したり、車の走行シーンでは昔の映画風のあからさまなスクリーン・プロセスを使ったりして、昔の「映画らしさ」を取り入れようとしている。
今だったらタランティーノみたいに好きな映画やマンガなどの引用で作るのがむしろ持て囃されたりするのだが、これが作られた1983年ではまだ手探りでやっている感じ。
映画中映画、見たことないけれどなんだろうとエンドタイトルに目を凝らしたが、それらしいクレジットなし。オリジナルにそれらしく作ったのだろうか。
もともとゴダール自身好きなアメリカ製B級犯罪映画の引用から作っているわけで、リメークでもやっていること自体はまるで違うわけでもない。
ただ、才能の違いというのは、ゴダールが苦手な人間から見てもあまりに明白。むしろ、引用して自分のものにできるかできないかで才能の有無がはっきり出るということかもしれない。
この頃のリチャード・ギアは品の悪いセックス・アピールが売り物で、ここでもベガスのステージに立って歌うのかと思わせるとんでもなくケバい服装でバカでかいアメ車を転がします。今から見るとウソみたいだけれど。
(☆☆☆)