当然日本が敵役になるわけだが、日本がどうこうというより近代文明が近代以前の文明を侵略し同化するモチーフというのは、北米の「ダンス・ウィズ・ウルブス」、南米の「アポカリプト」、ニュージーランドの「復讐」などなど、世界的な広がりを持つ。。
日本軍は数においても武装においても圧倒的に有利で、叛乱に勝ち目はまったくないのは初めからわかっている。
しかし、ただ生き延びるより戦士として戦って死に、先祖から連なる生死を越える共同体に帰りたいという願いに殉ずるというモチーフは、鎮圧する側である日本にとっても他人事ではない。
敵将を討ち取ったら御印頂戴として首を切って挙げていたのは日本でもやっていたことで、少なくとも中世までの日本人は今から見たら首狩り族だと看做されてもおかしくはない。ただし、明治維新以降、そういった「野蛮」で「未開」な要素を懸命に切り捨て隠蔽して近代化に邁進してきたのだが、その切り捨ててきた自分の鏡に写したような姿を思いがけず植民地にした台湾の先住民に見せられて、「100年前に失った武士道をここで見せられるとは」とか司令官がうろたえるのがおもしろい。特攻が突っ込んできた時の米兵の気分に近かったのではないか、と思ったりした
近代というのが個々人の生を優先するあまり共同体で受け継がれる生を軽視してしまい、そうすると死んだら終わりということになって結局個人の生の意義まで軽くなってしまう矛盾にまで射程が及んでいる。
多くの首狩りを含む長い長いアクション・シーンの凄絶さは見もの。先住民がもともと自分たちが住んでいた地の利を生かし、さらに大方高いところから攻撃を仕掛けているので大勢を相手にできることがありありとわかる。
叛乱のリーダーになるリン・チンタイ(林慶台)の素晴らしいマスクと音吐朗々とした発声に大いに感心したら、役者ではなく本職は牧師だという。発声がいいのはそのせいかとも思ったが、まず素材の柄の良さが生きているのは、他の出演者たち全般にいえること。
先住民が初めから銃を持っていて、どうやら漢族から手に入れたらしいのだが、その漢族の関わりというのはほとんど描かれない。何か問題でもあるのかと思う。
安藤政信が比較的まともな日本人の役で出演、板ばさみの苦悩を見せる。
日本人の日本語のセリフは大体ちゃんとしていたが、少し言いまわしが変だったり聞きとりにくいところがあった。録音やミキシングのせいか、監督が日本語がわからないから十分コントロールしきれなかったからか。
(☆☆☆★★★)
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セデック・バレ 第一部 太陽旗@ぴあ映画生活
セデック・バレ 第二部 虹の橋@ぴあ映画生活
映画『セデック・バレ 第一部 太陽旗』 - シネマトゥデイ
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