ドキュメンタリーとフィクションとの区別というのきっちりつけられるものではない、というのは今でこそ常識になりつつあるが、その先駆的作品。
ただフィクションだったら不在の蒸発した男が何らかの象徴的意味合いを持つ(「ゴドーを待ちながら」とか)ように作るだろうけれど、この場合は婚約者が一緒に蒸発した男を探す俳優露口茂に惚れるみたいな展開になってしまい、それはそれで想定外のおもしろさというのはあるけれど、やや蒸発というモチーフからすると脱線ぎみではある。
ある意味、脱線しながらもそれはそれでおもしろがって追いかけていく監督今村昌平その人のドキュメンタリーという感もある。「復讐するは我にあり」のために実在の犯人の足取りを追っていく過程でどうしてもこの男は中身が空っぽなのではないか、という疑問にとらわれたというが、わからない、空っぽだから執拗に追いかけるという体質というか嗜好があるみたい。ドキュメンタリーだと思うようにいかなかったことをドラマで果たしたともいえる。