映画だと「ツィゴイネルワイゼン」みたいに生者と死者の垣根のない世界を描いている先例はホラーを含めていくらもあるわけだが、過剰な感情的装飾がないという点ではあまり先例のない世界。
ラスト近くで深津絵里と浅野が道路のこちらとあちらに分かれるのが、三途の川の此岸と彼岸に対応しているのだろうが(タイトルの岸辺というのは三途の川の岸辺なのかもしれない)、それがものものしい道具立て抜きにただの道路で成立してしまう。
死んだのを忘れてしまっている小松政夫のふわっとした非存在感や、あまり人影のない商店街や田舎道などが、普通なら寂れた雰囲気になりそうなのが、何かいなくなったものたちで満たされているような逆転した充実感がある。
死者である浅野忠信の登場の仕方が暗がりがすうっと現れたり、物陰から現れたり、カメラが移動したらフレームに入ってきたりとさまざまに変化があって、映像演出のヴォキャブラリーの豊かさとそれを実現するスタッフワークのレベルの高さに感心する。
突然、浅野が講演で宇宙論を語りだすのも、疑似科学みたいに科学でオカルト世界を正当化する方向に行くのかとひやっとしかけたが、あくまで実際の宇宙の成り立ちの不思議さそのものの範囲に収まっていて、こうして存在していること、生きていること自体が不思議なことと自然に結びつく。
何かすごい達成を力まずにやってのけた感。
(☆☆☆☆)
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映画『岸辺の旅』 - シネマトゥデイ